昨日は 幼稚園の3人の先生で


日本語の話から 英語など 外国語の 話題になった。



先生は 昔 日本語を したことがあるといい


午後の先生は フランス語を 取ったことがあるといい


私も 2人に 合わせて ドイツ語を 勉強したことがあると 言ってみた。



もちろん みんな かじっただけで 全然 覚えていないという 情けない


話だったけど。




実は 私は 外国語の 話題で  宣教時代を 思い出していた。


でも ○○○○○ア語を 話題にすると 話が ややこしくなると思って


大学で 単位をとらないといけなかった ドイツ語のことを だしてみたのだ。




現地で 言葉が 分からなくて 通じないときは 言葉は 大切だと 思った。


でも 言葉を 覚え始めると 更なる 壁に ぶつかった。


言葉が あっても 通じないのだ。


もっと レベルを上げないといけないのかな・・・とも 思ったけど


問題は それだけではないと 感じた。



それで 日本語の場合を 考えた。


日本語が できるからと 日本人だったら 誰でも 何でも 言葉で 通じるだろうか?



通じない。なぜか 通じないことがある。


みなさんも 経験があるだろう。



そう 言葉を 知っていても


表現力の問題だとは 言えない 根本的な差がある。




考え方の違い 感性の違い


そういう心の違いがあって 言葉が 完璧でも 伝わらないことがある。



まあ 知識 伝達事項は 別にしても


心情の世界は なかなか 通じない。


同じ思いをしていないと 結局 分からないのだ。


これを ブログの世界でも 感じる。



それにしても 汚い言葉って すぐに 通じてしまうのね。


いかに 自分が ばかに されているのか ピンと きてしまう。


理解されていないというのは 言葉で すぐに 感じてしまう。




教会に居るときは


私が こんな思いをしているのだから


きっと みんなも 陰では そうなんじゃないだろうか?などと 思っていた。



今 分かったことは


確かに そう 思っている人も 居たということだ。


でも また みんなが そうではないということも。


実に いろいろな人が 居るということだ。




心の世界


通じなさ過ぎるから きっと 人間は テレパシーが 使えなくなってしまったのでは


ないだろうか?


変に ダイレクトに伝わると 自分が 傷つく。


お互いに 分かろうとすると 膨大なエネルギーを 消費する。


いっそう 分からないほうがまし!ってね?



だから みんなが お互いのことを 思い 受け入れるという 姿勢で


思いを 発信し始めたら テレパシーが 復活するかも?



変な まとめになったね。


おしまい。(笑)