今・・・思うに 過去から いろいろな 違和感 疑問があったけど


私が ある明確な ヒントを得て 


み言葉は 真実なのだろうか?信じていいんだろうか?と


吟味し始めた 時期があったとしたら


それは 斉藤一人さんの 本と 出合った時期に 重なります。




それまでは 子育ての本 内面を考えるような本は 読んではいましたけど


2世をきちんと 育て 仲の良い夫婦になって 家族になって


ゴフボ様を 証したいと 思っていましたから。






斉藤一人さんの 本の中にある


何が正しいかではなく 


何が楽しいかで 決めなくてはいけない。


という言葉に え!?と 来て。



苦労の扉を 自分から 開ける必要はない。


(苦労をするというのは 間違った道を 歩んでいる サインでしかない。)



という メッセージに 出会った時からだったように 思います。




私には 目から うろこの 劇的な 瞬間だったかもしれません。


その本に どうやって 出会ったか?


それを 今日は 思い出してみます。




時代背景は 2000年 くらい


長男が生まれ 3,4歳の 幼児でした。


いつまで たっても 貧しく


夫は 救いを求めて ネットワークビジネスを始めました。



ネットワークをした時期は 約3年でした。




その間


1)ネットワークビジネスを はじめながら 土方仕事を主にする。


2)廃校の管理人と言う形で 両親と離れて 私たち家族だけで


  田舎の奥の 超不便な 生活をする。


3)廃校の仕事が終わり 家に帰ってきたと思ったら


  夫は 本格的に ネットワークビジネスをはじめ ビジネス以外は


  まったくなにもしないので 収入はないし 借金は 増える 一番 厳しい期間


の3つに 分けることができますが。


一人さんの本に 出会ったのは 3)段階のはじめでした。


自分も アップ アップの生活をしていた中で


一人さんの言葉には 癒しがあり 希望がありました。


今思うと この本に出会っていなかったら 私は この後の期間を


どういう風に 過ごしただろうかと 思います。


きっと そうやって 一人さんの言葉に 癒された部分があるので


どちらが 正しいかよりも どちらが 楽しいかで 決めないといけないという


言葉も 信じたい気持ちになったのだと思います。



でも メシアの言っていることと 反対のような 気がする。


一体  どっちの言葉が 正しいか 見極めてみようじゃないかという 思いが 強くなって


そういう目で 自分も含め シックを 観察し始めるようになったというわけです。




その最初の 1冊を見つけたのは


同じ市に住んでいても 近い教会が 隣の市の教会だというので


そちらに所属していた 姉妹の家でした。



面での 訓読会を 開くように 摂理が 移り変わって


6500のオンニが その面を 責任者になったときのことでした。


まずは そこに 住んでいる シックを 訪ねるのが良いと思って


一人で 何回か 彼女にあっていたようです。



そんなとき その家に ソウルから スポーツマッサージを 教えてくれる


姉妹が来るので こちらの教会からも 何人か 来ないかと 誘われたのを


きっかけに 伝道を展開する チャンスにしようと思って 何人かに


声をかけたようです。



そして 私を含め 3人が 行くことになりました。


今思うと 当時の 伝道の活動時間に 教会に行くだけでも ヒーヒー体力的に


難しさを感じていた 私ですが その件には OKしてしまったということは


実に 不思議です。


20人も日本人が居るので 私が 断ったとしても 別に 良かったわけです。




教えてくれる 彼女には 化粧品を売るという 目的がありました。


面のリーダーは その姉妹と交流をし 


そこで 訓読会を開きたいという 目的がありました。




私は 廃校に住んでいたとき 礼拝以外は 教会に出ることができない


環境に居たので 負債もあったと思います。


教会に 行ける 喜びも感じていたかもしれません。


学んで 夫にしてあげようとも 思いました。


そして 学んでいる最中 お互いに スポーツマッサージも 受けれるので


私も マッサージを受けたいし・・・


教会にさえ 行けば あとは 車で 姉妹が 連れていってくれるんだから・・・・


と 自分に 言い聞かせて 参加を表明しました。



一言で 言えば 今までの 活動と 違って


わくわくするものを 感じたからだと 思います。




実際に 学んで マッサージを受けて ご飯を食べて 雑談をして


本当に 楽しい時間でした。



そして ある日 彼女の家の 本棚の中に 一人さんの本があるのを


発見したんです。そして 快く 貸してくれました。


それが きっかけだったんです。




2005年からは ネットに繋がれるようになって


斉藤一人さんを 検索したり


一人さんのメッセージを 伝えている メルマガに出会い


100回聴き CDを いただき・・・ 


そこから 一人さんを 離れて どんどん いろいろな メッセージを求め


教会を 冷静に観察し・・・・という 原理離れが 始まったのです。




ごく自然な つながりの中で だんだんと 導かれていったように


見えますが・・・・


その道筋は いつも わくわくの中にあったと 思います。





そして 実践というのは 大きいと思います。


一人さんの 天国言葉の 実践をはじめ 言葉使いを 変えること


思いを変えることを 実践していて 感じることろが 大きかったからです。



そして 今まで 原理や み言葉では こんなに


わくわく 軽くなれなかったのですから


私が 教会の体質を 疑い始めたのは 自然の 成り行きです。




それからは あることに 熱中していると また 何かの きっかけで


別の人 別のメッセージに出会い 本に出会い


そうやって わくわくしながら ネットサーフィンしながら 来たようです。



結果的に

自分の心に 素直に 聞いてみて よかったです。


自分の 体の声に 耳を傾けて よかったです。



わくわくを 選んで よかったです。