今となっては


あの時も おかしかった・・・


そういえば あの時も・・・


などと 書いていますが


その時々を 思い出してみますと その 「おかしいな?」という 心のささやきは


本当に 小さな 小さな ものでありました。



今では そのときの 小さくもありながら


自分が きちんと 記憶していた 感情を 膨らませて 表現しているわけですが


当時 そういう 不信の種を 持っていたときは 密かに 隠しながら


また 自分で その思いを かき消そうとしたところもありました。


自分の中から 不信仰者!という 声も 聞こえていました。


本当に 誰かが 私の 傍で きっと そう言っているとさえ 感じていました。



ですから いつから 私は 文氏が メシアでない!と 言い切ることができるようになったのか?


それを 思い出していました。


これだという 決定的 瞬間は いつだったのか?



それは おそらく


「文鮮明氏はメシアではない」 という確信がありますか?と


聞かれたときでした。



私は それまでも 心は 組織から 完全に離れていました。


もちろん メシアであるはずがないと 思っていました。


むしろ このまま 居てはいけない 逃げようと 思い はじめていました。


姉妹たちと 絶縁関係になることが 分かって まだ 未練がありました。


しかし 準備を 始めないといけないと 思いました。


そして 元シックを 探したのです。



その時 メールを送った 元シックの お姉さんから


メシアでないという 確信がありますか?


聞かれたのです。(文面上ですが)




私が まだ現役で 内部の仕事も しっかりしていたので


スパイと思われたのかもしれません。


実際に 内情を 探るためだけに 入ってくる仲間も居ると 聞きました。


だから 警戒されているのだと。



その 合言葉みたいなものが 「文鮮明は メシアでない」


という言葉だったのでしょう。



私は その2年前には 既に はっきりと 祝福は 献金集めだと


感じていましたし


シックを 苦しめる神なんて メシアなんて・・・・と 写真を見るのも 嫌になっていました。


先祖供養について 検索しているうちに


清平は インチキだと 確信するようになりました。


そんな インチキを 放って置く メシアも 偽者だと 思っていたはずです。



しかし!です。


メールの返信に 「文鮮明はメシアでないと 思います。」と


書く前に 一瞬 躊躇したのを 覚えています。




もしかしたら・・・


私が 間違っているかもしれない。


信仰がないだけかもしれない。


深い意図が 読めないのかもしれない。


そうやって 長い間 自分を 諌めてきた 思考が 浮上して


一瞬 躊躇ったのです。



しかし そのときは


たとえ そうであったとしても


このままでは いけないということだけが 分かったので


勇気を出して 書いたのです。




一人の心の中だけで 収めていたときは まだ いろいろな


迷いが あったものの


口にする 文字にする 人に 自分の 考えを 伝えることで


その 意思が 確固たるものに 変わっていったように思います。



多分 決定的瞬間が あるとしたら


自分で 文章にして 相手に 伝えた 瞬間から・・・・。



もし これが ばりばりの 現役さんだったら?


責任分担 遂行の為と 形だけでも 書けるでしょうか?


かなり 躊躇されるのではないかと 想像します。









そういえば 入教する前


神様に ついて 漠然と 信じていた私が 原理を 聞き始めて


神様が 存在すると 仮定しない 限り 前に進めないなと 感じたときが


ありました。



それまで YES NOを はっきりさせずにいた 神様の存在を


白黒 自分の中で はっきりさせようと 追い詰めたときがありました。


そのときに YESを 出したので この 信仰の道に 入ってしまったのです。



自分の中で YESを 一旦出した後の 原理を 聞く態度は ガラリと


変わりました。


それまでは ちくちく 質問したりして だまされないように 気をつけなくちゃとか


警戒しながら 聞いていたのですけど・・・


ある時点を きっかけに 完全屈服状態で 聞くようになってしまったのです。


その 転換期が なんだったのだろう?と 思うと


霊の親の 献身的な 姿に 屈服して行ったからか?などと 思っていましたけど


実は そんなところではなくて


お金を出して 原理を 学ぼうとした時と


(コース決定はして いたものの 受講料を 払っていなかったので)


自分の中で 神様が存在する YESと 言い切れたときだったかと思うのです。




文鮮明は メシアか 否か?


シックにとっては 長い間に 吟味の余地のない ことになってしまったのかも


しれませんが・・・


きょんちゃんにも 言いました。


もう一度 自分に 聞くべきだ。


本当に メシアだと思っているのなら 信じきるべきだ。


やれと 言われたことを 一切 人間的な思いを捨てて やるべきだと。


どんなに 幹部が間違っていたとしても メシアは 全部 ご存知のはずだ。


アベルの言うことを 自分の言葉として 信じて行った 子女を


悪い風には されないと 思うのだけど?


自分なりの 解釈を入れて 逆らおうとすることが おかしいのではないか?


逆らおうとする何かがあれば それは メシアを 疑っているからではないか?と。



まあ ここまでは 伝え切れてはないですけど。


彼女が ただの鬱憤ばらしのため 聞いてくれる人が 教会の中に


居ないので わざわざ 私に 電話を かけてきてくれるのだとは 思えません。


私のことを 心配して?とも あまり 思えません。


なにか 自分の為にしている部分が あるのです。




私は メシアだと思うの? 思わないの?と


そのたびに 聞いてあげることかなと思います。




「思う」と 言ったら 最後。


今は リーダーよりも 激しく 詰めちゃうかもですよ!



韓国では 訓読会の当番が 回ってきて 天正宮に 行かなくてはいけません。


アベルの言うことが 信じられないのなら 直接 行って 確かめろ!?と


言っちゃうかも?



私って 意地悪~~~。