私は もう4年以上になるのですが メルマガを書いています。
その 目的の 1番か 2番に入るのが
原理用語を使わないで 表現する訓練でした。
教会の中で 原理用語を 並べたてて 会話していた 私たち。
いかにも 信仰者のように 聞こえもよく
原理的に言えば 問題も すぐに
解決できそうな風に 聞こえるのに
いつまで経っても 結果は 変わらない。
そんな 自分たちの 雰囲気に 嫌気がさして
原理用語のない 会話を 心がけるようにも しましたが
その 訓練の場が メルマガでもあったのです。
み言葉から 離れて ネットの世界に 繋がってみたら
私の 心を揺さぶる たくさんの 言葉に出合いました。
私が 引き寄せているのか ネットを通じて やって来るのか?
私は それこそ その言葉を 【神様からの お告げ】と 呼ぶほどでした。
そして その言葉は 私に 勇気と 愛をくれ
私は そのごとくに 小さな 小さな 一歩(努力)を
始めてみました。
すると どうでしょう!
いろいろな問題が 解決していったのです。
最後は 健康まで!!
そんな 私と いろいろな メッセージとの 出会いと 経過を
書いてみたいとも思ったのです。
もちろん 読んでくれる 相手のことも 少しは 考えようと
韓国のことを 私の目から見て 解説もしてもいますが
やはり 最後は 私の 感じたことを そのまま 書きたいと思ってきました。
しかし!
教会のことになると 馬鹿正直に 書くわけにはいかないのです。
だからと 言って 嘘は 書きたくない。
その 葛藤はありました。
嘘を 付かないように 発言できない言葉は ストレートに書かないで
まわりくどく 書いたり・・・
そういう 操作を やっぱり しているのです。
【統一教会】と 書かないで 【教会】 と書くと 読んでいる人は
韓国には 教会が多いというから クリスチャンになったんだなと
思う人も居るでしょう。
でも いつも 私達も 自分の 教会を ただ教会と 呼ぶので
そのごとくに 書いているのですが・・・・
そういう意味では 私も やっぱり 嘘つきなのかなと
思うこともあります。
テレビ コマーシャルなどを みていると 子供と 話すのですが
これを 全て信じてはいけないよと。
必ず 嘘があるから。
嘘は ついていなくても 言って置かないといけない 大切なことを
言わないでいたり
肝心なことを 説明書の 隅に 小さく書いて付けたり
また 良いことだけを並べて 悪い事を 言わないことで
見ている方には 良いことだけが あるような 錯覚を 起こさせる。
だから 見ていることが 全てではない 必ず 裏もある。
そのことを 覚えておきなさいと。
このブログで
【メルマガ 裏話】を 書くようになって
私は もっと 肩の荷が 下りるような
ほっとした 感情を 持つようになりました。
あまり 裏のない 話も あるけれど
シックに向かって ちょっと 考えて欲しいと
メッセージを 発していることも 結構あるのです。
わずかですが 私の教会のメンバーも 読んでくれているそうですから。
そういう ストレートに言いたくても 言えなかったことを
はっきりとした 言葉 表現で こちらでは 書いています。
そう 思うと
あの 自叙伝には どれだけの 嘘
作られた イメージがあるんだろうか?
と 思います。
今年の春までは できるかぎり 配れるものなら 1冊ずつでも
渡していこうと 思っていました。
でも 日本語版が出て
誰かが言ってました。
「韓国語では 6回 投獄されたとあるのに 日本語では 2回になっている
らしいよ。そして それは 読んだ 日本人が ショックを受けないように
考慮したらしいんだって。」
それを 聞いて (確認は 取っていないんですが)
私は この本には 嘘が どれだけあるか 分からない 気味が悪いと
思ったのです。
いくら ショックを 受けないようにと 言っても
表現を 柔らかくするとか その部分を カットしてしまうとか
そういうやり方でなく 数字そのものを 変えてしまうというのですから・・・
私は 同じ 物書きの 端くれとして ショックを 受けました。
読者を それだけ 馬鹿にしているのなら
どれだけの 嘘と 虚栄が 書かれているのだろうか?と
それから 自叙伝を 見るのも 嫌になりました。
【嘘】・・・・って なんでしょうね。
ちょっと 難しいです。
その 目的の 1番か 2番に入るのが
原理用語を使わないで 表現する訓練でした。
教会の中で 原理用語を 並べたてて 会話していた 私たち。
いかにも 信仰者のように 聞こえもよく
原理的に言えば 問題も すぐに
解決できそうな風に 聞こえるのに
いつまで経っても 結果は 変わらない。
そんな 自分たちの 雰囲気に 嫌気がさして
原理用語のない 会話を 心がけるようにも しましたが
その 訓練の場が メルマガでもあったのです。
み言葉から 離れて ネットの世界に 繋がってみたら
私の 心を揺さぶる たくさんの 言葉に出合いました。
私が 引き寄せているのか ネットを通じて やって来るのか?
私は それこそ その言葉を 【神様からの お告げ】と 呼ぶほどでした。
そして その言葉は 私に 勇気と 愛をくれ
私は そのごとくに 小さな 小さな 一歩(努力)を
始めてみました。
すると どうでしょう!
いろいろな問題が 解決していったのです。
最後は 健康まで!!
そんな 私と いろいろな メッセージとの 出会いと 経過を
書いてみたいとも思ったのです。
もちろん 読んでくれる 相手のことも 少しは 考えようと
韓国のことを 私の目から見て 解説もしてもいますが
やはり 最後は 私の 感じたことを そのまま 書きたいと思ってきました。
しかし!
教会のことになると 馬鹿正直に 書くわけにはいかないのです。
だからと 言って 嘘は 書きたくない。
その 葛藤はありました。
嘘を 付かないように 発言できない言葉は ストレートに書かないで
まわりくどく 書いたり・・・
そういう 操作を やっぱり しているのです。
【統一教会】と 書かないで 【教会】 と書くと 読んでいる人は
韓国には 教会が多いというから クリスチャンになったんだなと
思う人も居るでしょう。
でも いつも 私達も 自分の 教会を ただ教会と 呼ぶので
そのごとくに 書いているのですが・・・・
そういう意味では 私も やっぱり 嘘つきなのかなと
思うこともあります。
テレビ コマーシャルなどを みていると 子供と 話すのですが
これを 全て信じてはいけないよと。
必ず 嘘があるから。
嘘は ついていなくても 言って置かないといけない 大切なことを
言わないでいたり
肝心なことを 説明書の 隅に 小さく書いて付けたり
また 良いことだけを並べて 悪い事を 言わないことで
見ている方には 良いことだけが あるような 錯覚を 起こさせる。
だから 見ていることが 全てではない 必ず 裏もある。
そのことを 覚えておきなさいと。
このブログで
【メルマガ 裏話】を 書くようになって
私は もっと 肩の荷が 下りるような
ほっとした 感情を 持つようになりました。
あまり 裏のない 話も あるけれど
シックに向かって ちょっと 考えて欲しいと
メッセージを 発していることも 結構あるのです。
わずかですが 私の教会のメンバーも 読んでくれているそうですから。
そういう ストレートに言いたくても 言えなかったことを
はっきりとした 言葉 表現で こちらでは 書いています。
そう 思うと
あの 自叙伝には どれだけの 嘘
作られた イメージがあるんだろうか?
と 思います。
今年の春までは できるかぎり 配れるものなら 1冊ずつでも
渡していこうと 思っていました。
でも 日本語版が出て
誰かが言ってました。
「韓国語では 6回 投獄されたとあるのに 日本語では 2回になっている
らしいよ。そして それは 読んだ 日本人が ショックを受けないように
考慮したらしいんだって。」
それを 聞いて (確認は 取っていないんですが)
私は この本には 嘘が どれだけあるか 分からない 気味が悪いと
思ったのです。
いくら ショックを 受けないようにと 言っても
表現を 柔らかくするとか その部分を カットしてしまうとか
そういうやり方でなく 数字そのものを 変えてしまうというのですから・・・
私は 同じ 物書きの 端くれとして ショックを 受けました。
読者を それだけ 馬鹿にしているのなら
どれだけの 嘘と 虚栄が 書かれているのだろうか?と
それから 自叙伝を 見るのも 嫌になりました。
【嘘】・・・・って なんでしょうね。
ちょっと 難しいです。