宗教団体 そのものを 否定するような

リーマンさんが

唯一というか 

この人は・・・と 一目置いている 宗教指導者がいるらしいということで

それは どんな人だろうと 興味が 湧いた私は

早速調べてみた。



ラマナ マハルシ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7




でも その写真を見たときに

なんだか 分かるような 気がした。


目が 違う 目が・・・・

透き通って・・・・




だからと言って この人の 生き方 考え方に

関わる 気持は なかったが

ただ ショックだった。


全然違う・・・・

誰かとは・・・・



今は カレンダーの 写真でも 目を合わせたくない 私。

本物に お会いしても

なぜか 目を合わせたくなかったし

すぐに 逸らしたくなる。

それは 自分の 堕落性が たくさんあって

恥ずかしいからだと 思っていたけど。

本当に そうだったのか?


もちろん たった1枚の 写真から 一体何が わかると言うのだろう?

そういう思いもあるけれど

こういう 瞳で 見つめれたら どうだろう?

全く 違った 気持になるんじゃないだろうかと 想像した。

自分の罪を 見透かされているようで怖い・・・という感情

よりも ただただ 許されているような 安心感?





瞳は 嘘を付かない。

それも また 私の 目覚めを 手伝ってくれた。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7



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この方の 著書に 「あるがままに」というのがあるらしい 



私が ネットで この 【あるがまま】という言葉に

出会ったのも 数年前になるが それで どれだけ 心が 救われただろう。


もちろん いろいろな人が 同時に 同じような事を

説くけれど その 言葉の 発信源は 実際

このような方の ところからだったのかもしれない。


どうして オトウサマは シックに 

このような み言葉を 下さらないのだろうか?

不思議に 思ってきたものだ。


メシアは 自分で 勝利したことしか 語れないという

原則があると 鮮文大の み言葉 オタクのような 教授が

言っていたが 


まだまだ 何か 勝利されなくて

最後の最後に こういう言葉を 残して 行かれるのだろうか?

などと 思っていたのだが。


そんな言葉は やっぱり ここに居る以上 聞けないかもね。

どこまでも

「まだまだ 足りない もっと 頑張れ!」

だろうね。