ある夜 | 薫のキブン

薫のキブン

双極性障害Ⅱ型の適当的日々雑感

突然、夜の9時半頃、玄関チャイムが鳴る


「おねいちゃんいますか?」


一瞬、不思議に思ったけど、妹に似た声と


妹の話し方に似ていて、妹じゃないかな?


そんな気がした。



えてして、そんなカンは、よく当たるもので、


たぶん、3年ぶりくらいに妹に会った。


妹は、彼氏と来ていた。



私が、実家と一切連絡を取らなくなり、半年以上が経過した。


携帯に連絡がきても、一切取らないから、


生存確認に来たそうだ。


30分くらいで帰った。


お茶の一つも出さなかった。


あえて、というわけではなく、


我が家は旦那が食事中だったためだ。


放置していいよ、といったのに、


旦那が迎え入れたため、旦那の食事は中断された。




別に話すこともなく、用事とすれば、生前分与のことくらいだと思ってた。


今月上旬に連絡が来たから。


でも、そんなことは、どーでもよかったらしく、


母親からの手紙を携えてきた。


妹の目の前で、破り捨てるのは、


妹の彼氏の車のガソリン代が申し訳ないので、やめた。


ただ、今朝、1番にやったことは、


母の手紙を、開封することなく、真っ二つにして、捨てた。


私が読むと思ってんのか。


どんだけ、思慮が浅いんだ。



母の幸せが、母が考える私の幸せが、私の幸せになることはなく。


母が子供を、労働力と考えるほど、私は働くこともなく。


母が生前分与とかほざく割に、父は何も聞いていないとか。


そして、父も母の気性の荒さに辟易として、


65過ぎた今でも、単身赴任で仕事にでている。


それが、父が好きなことだというのは簡単だと思う。


でも、家が居心地いいと思えない家族が2人もいるという事実。


うちの家族の人口比率50%は、高すぎでしょ。


母は、母親・妻としての務めを果たしていない。


私の目には、そう映る。



子供は、親を選んで生まれてくるとは、最近、よく聞くけど。


占星術・気質学・干支・マヤ暦等々眺めても、


私は、苦労する運命に生まれてきたらしい。


疲れるんですが?


と自分に突っ込み、自分の生まれた年月日を恨んでも仕方ない。


ただ、自分が生きてくうえで、苦労するなら、頑張るさ。


ただ、なんで、あの女を母親にしたのかが、理解できない。



自分の思うように、子供が動かないことが、生きようとしないことが、


どうしても許せない、という親を理解できるわけもなく。


母が思うような結婚生活を送っていない娘を


許せないらしく、結婚した当初から、離婚を進めるような母親だった。


だから、離婚した時も、すんなりOKだったし、


むしろ、私が実家に戻るものだと思ってたらしく、


両手をあげて喜んだ。


私の人生の節目の時には、必ず、仕事に行く人だったし。


居ても仕方ないし、どうしようもないときには、居るのに


居てほしいときとには、自分の仕事を優先させて不在、という


不思議な母だった。



彼女は、私の考える母親像とは、全く違う。


そんな正反対にいる母と私が、話が通じるわけもなく。


お互い離れてたほうが、お互いのためだということを


理解しようとしない、その神経が私には理解できない。




私は、家族が欲しい、という願いをかなえることなく、


今回の人生を終えるらしい。


血のつながりって、よく聞くけど、うちのようなバラバラの家族が


当たり前だという環境で育つと、血のつながりってなんですか?


って思う。


成分が一緒ってだけでしょ?みたいな。


自分と同じ血液成分を保有する人間を授からなかったことで、


私にとって、血のつながり、という言葉はさらに遠くなった。