最期 | 薫のキブン

薫のキブン

双極性障害Ⅱ型の適当的日々雑感

私の朝は、起床して、旦那と朝食を採り、旦那を見送り


ピグ庭で収穫して、水遣りに行き、携帯のアメーバのゲームで


スタンプ貯めて、9時過ぎたあたりから家事に取り掛かる、


というパターンをたどる。


今日も、そのとうり。


何も変わらない日常。


いつも同じ日常。


当たり前じゃない日常なのに、当たり前に感じてしまう日常。


こんな「当たり前に感じる日常」を毎日積み重ねて、


人間の人生って、積み重なっていくんだな・・・って思った。




昨夜のお通夜には行けなかった。


でも、去年の上司だった人は行ったようで、


「都合がつけば、告別式に参列してあげてほしい」


と涙声で電話がかかってきた、とバイト仲間からメールがきた。


そのメールを見たとき、思わず大泣きしてした。



昨日、大阪から帰宅してすぐに、今日の用意にとりかかり


そわそわと落ち着かない時間をすごし、


一人でも多くの人に来てもらえればいいな、と思い


昔のバイト仲間に連絡を取っていた。


まぁ、みんな社会人になってるので全員、ムリだったんだけど。


あれだけお世話になりながら、ゆとり教育受けてる人間って、


こんなに薄情なワケ?


とか、どーしよーもない事実にムカついてたりした自分が滑稽だった。




世界中のどこを探してもいない人だということを、大阪までの電車の中で


京都へ帰る電車の中でずっと思ってた。


「どこを探してもいない」


ということに気づいたら、もう、どんだけ離れてても、


生きていてくれさえしたら、それでいいような気がしてきた。



まだ40代なかばの、その人は、とても悔しかっただろうなぁ・・・とか


辛かっただろうなぁ・・・とかしか、思い浮かばない。



その職員さんの一言で、どれだけ救われたことか。


私が社会の中で働いても許されるんだな・・・って実感したときに


掛けてくれた言葉は、はっきりと覚えている。


帝人時代のように、何もかもを自分ひとりで背負わなくていいんだ・・・


そう思ったことも覚えている。



パニックや対人恐怖症で、私が辛かった時に、助けてくれた人なんだ・・・


旦那にも、その職員さんの話はよく話してたし、飲み会の時の写真も見せてたから


事情を話すと、絶句してた。



朝、出勤する時に旦那が言った。


「最期のお別れ、しっかりして来い」


言われなくても、頑張って行くさ、電車で片道2時間かかろうとも。


それで、職員さんに会えるんだから。



自分の知ってる他人が、他界したことを、こんなに悲しく思うのは、初めてだ。