Привет( ・ω・)ノ


引っ越しの荷解きを少しずつやっているのですが、すっかり忘れていたアイテムが出てきて見入ってしまい、なかなか作業が進みませんw

ロシアの珍品が出るわ出るわw

面白いので、今後ちょっとずつブログで紹介していこうと思います( ´∀`)

さて、今日(4月12日)は国際宇宙飛行の日でした。

1961年4月12日、ソ連のユーリー・ガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功したのです。



Юрий Гагарин в космосе: нештатные ситуации

宇宙でのユーリー・ガガーリン:想定外の事態



4月12日、私たちは恒例の「宇宙飛行の日」と人類最初の宇宙飛行53周年を祝う。にもかかわらず、ユーリー・ガガーリンの宇宙旅行の歴史に関することで、一般大衆が知らないことは多い。例えば、飛行は悲劇的な結末を迎える可能性があり、この初の宇宙飛行士はただ幸運な状況が重なったために助かったということを知る人は少ない。

ガガーリンは、理想的にナンバーワン宇宙飛行士の役割にアプローチした。彼は労働能力があり、学ぶことが好きだったが、同時に退屈がったり学者ぶったりすることはなかった。学校では講義をサボって友人たちとキノコ狩りに行ったりすることもできた。

知人たちの中では陽気でフレンドリーという評判だった。にもかかわらず、候補者の選出に携わる委員会のメンバーたちは揺れていた。彼らは決死隊員を選ぶことになると確信していたからだ・・・1961年4月12日、ガガーリンは伝説となった「行くぞ!」という言葉を発した。まさにその言葉によって、有人宇宙飛行の幕開けをしたのである。総設計者であるコロリョフは、飛行の目的を「特別にしつらえられた宇宙船に乗って、宇宙で人間が滞在できるかチェックし、飛行中の宇宙船の設備をチェックすること。宇宙船と地球との交信をチェックし、宇宙船と飛行士の着陸方法の確実性を確認すること」とした。

ガガーリンは108分間で我々の惑星を完全に一周し、同じ日に地球に帰還した。しかも、この伝説的な旅行は本当にリスキーな出来事であった。飛行中に想定外の事態が11も記録されたと、コロリョフの同僚であるアカデミー会員ボリス・チェルトクは語っている。いかなる想定外の事態もその中に可能性を秘めている一方、本当の危険性を秘めていることもある、ということを考慮すれば、初の宇宙飛行士は間一髪で犠牲になるところだった。

特にスタッフたちを不安にさせたのは、「ヴォストーク」のコンパートメントの分離に対して責任のあるサイクルであった。着陸船はユニットコンパートメントから分離するはずだと予想されていた。しかし、ブレーキエンジン装置の動作停止後、大きく乱れてそれが宇宙船の高速回転を引き起こした(ガガーリンはそれを「バレエ舞踊団」のようだったと述べている)。ブレーキエンジン装置停止の10分後ようやく「ヴォストーク」は、宇宙船の表面を加熱させたまま大気圏の上層の境界に到達した。この10分は耐えなければならなかった。まさにここで何度も確認したこの宇宙飛行士の落ち着きが功を奏したのである!

加熱がサーモードの作動を引き起こし、着陸船にコンパートメントユニットを引き寄せている金属ベルトが集まっている、分離ボルトの作動コマンドが出された。このことが着陸の成功をもたらしたのだった・・・加速度積分器の調整ミスのせいで、中央ブロックのロケットエンジンが、設定時間よりも遅くオフになるコマンドが出た。ブレーキエンジン装置が故障停止した場合、宇宙船は予想されていた5~7日間の3倍の期間、軌道上にあったかもしれない。結果的に、速度超過は25メートル/秒に及び、このことがユーリー・ガガーリンを乗せた「ヴォストーク」を計算よりも85キロメートル高い位置に至らしめた。一方、これは軌道上に滞在する時間を伸ばすこととなった。宇宙飛行士が呼吸するための空気、食事、水の備蓄は最大ですでに大きな問題ではなかったのである。

しかし、ブレーキエンジン装置は動いた。ガガーリンや設計者たちにとっては永遠にも感じられた長き10分を経て。飛行は成功した。「ガガーリンは生きている」という短いメッセージが届いた。

着陸してすぐ宇宙飛行士を診察することはできなかった。着陸の際に不測の事態が生じた場合、ヴィターリー・ヴォロヴィチ医療局中佐率いる医療班がガガーリンの救助に駆けつけるはずだった。予測された着陸場所に時間通りに到着したが、「ヴォストーク」は別の場所に着陸したことが判明した。ヴォロヴィチはエンゲルス市にある飛行場にいる宇宙飛行士のもとに、文字通り手にピストルを持って入ろうとした。電話でモスクワに報告し、質問に答えてようやく、宇宙飛行士は医師たちの手に委ねられたのである。過負荷にもかかわらず、彼の健康に異常はなかった。

ロシアを世界一の宇宙大国にしたこの飛行に、どれほどの努力、汗、神経が費やされたか、もちろん一般の国民は 知る由もなかった。宇宙を克服するという夢は、今や達成可能なものに思われ、そのシンボルとなったのは平凡で魅力的な「わが国の若者」ユーラ・ガガーリンとそのまたとない微笑みだったのだ・・・故郷は初の宇宙飛行士の功績を讃え、ソビエト連邦英雄の称号を授けた。そして彼が宇宙に行った4月12日は国際宇宙飛行の日となったのである。4月14日、モスクワではこの偉業を記念して礼砲が響いた。

出典:Pravda.ru


ちょっと今手元に宇宙関係の用語集が無いので、一部不正確な部分があるかもしれませんorz

専門用語難しいよ―( ;∀;)

ガガーリンといえば、世界初の有人宇宙飛行を行った人物として有名ですが、実はそれ以外の部分はあまり知られていないような気がします。

記録によれば、彼の身長は158センチ。私と同じくらいだから、ロシア人の男性にしては相当小柄だったのではないでしょうか。

初期の宇宙船はとても小さかったため、大柄な人物は乗れなかったのだそうです。

そして彼を乗せたヴォストーク号もトラブル続き。

運良く地球に帰還できたものの、高度7000メートルで飛行士ごとカプセルで射出して、パラシュートで降りてきたという・・・( ゚д゚)

現代のパラグライダーより高い位置からかあ。本当に奇跡的な生還だったのですね。

しかしその生還から数年後、ガガーリンは事故で命を落としてしまいます。34歳の生涯でした。

以来、現在に至るまでソ連→ロシアは宇宙開発の分野で第一線にいます。

宇宙飛行士になる人は、ロシア語が必修なのだそうですね。若田さんが今国際宇宙ステーションの船長をされていますが、ロシアでの記者会見の際、ロシア語で話していました。

そうそう、国際宇宙ステーションは地上から肉眼でも見えるのだそうですよ。私もたまには空を見上げてみようかなあ。


***めも***

Восток(ヴォストーク)・・・ロシア語で「東」の意。ちなみに極東の都市「ウラジオストク」の一部にも「東」が含まれており、ロシア語ではВладивосток(東を支配せよ)を意味する。