中学校の時の同級生だったが、ちょっと気に入らないことがあると詰め寄って
「なぐる!」と言う脅しをかけるヤツがいた。
意見が違うとか、別の考え方をしているとか、その程度の事が気に入らないから
「なぐる!」と行って、詰め寄るヤツだった。今どうしているのかは知らない。


他にも、校舎裏の部活動をする場所を片付けていると、ホースをのぞかせて、

こっちを水浸しにしようとするヤツもいたっけ。

コイツは自分がした事を忘れたらしく、後年、私の母親に会った時に、懐かしそうに「福田君のお母さんですね、どこそこの学校で一緒だった○○です」と行ったとか。

彼が私を困らせ続けた(キツく言えば、イジメていた)側なのを記憶していた母。
その場では笑顔で対応したが、後で私に「今日、○○クンに会ってね」と教えた。

で、その教えた時のやり取りで「息子には言わない方がいいかな」混じりだった。

こちらも何とも居心地が悪く「ふうん。あの頃は別に仲良く無かったんだが」と。


他にも、在学中いきなり馬乗りになって、両頬をバシバシ叩いたヤツもいたっけ。
やった当人は忘れているだろうし、今になって何か言われても居心地が悪いはず。
だから名前は書かないで伏せる。コレ位は書くか。苗字はHがイニシャルのヤツ。


これが中学校までのイヤな記憶のごく一部だが、結構被害者は忘れない。
相談した教師も役に立たなかった。
卒業の直前のホームルームで、
「わしは教育に失敗した。同窓会に来られない生徒のクラスを作ってしまった」
そうかい、教師が責任を感じてって、卒業の直前まで、私が暴れなくて良かったね。

教育のあり方の実験を兼ねた小学校・中学校であり、教師のあり方かどうかはさて置き、イジメが当然で被害者が同窓会に決していかない、クラス作りの失敗ケース。
そういう事もあらあな。教師が常に正しい教育を出来るわけではないとも言える。

今から暴論を書く。執筆者は暴論だとわかっているとわかっていて暴・・・(以下略)

何が困ると言って移民の皆様よ。日本の国土が未開の荒野ならともかく、文明国。

従って、すでにいる先住民(いわゆる日本人)の生活習慣には合わせるべきである。

交通ルールを守ること。例えば一方通行を逆走しない、小学生などの通学、通園の列には突っ込まない、盗んだ車でそういう危険な殺人行動をしない。
もちろん弱い物イジメは極力しない事。若い女性がいたからってレイプして手柄話にしちゃダメであり、その女性が無事帰宅出来る様に、自分の信じる神様に祈れば良いだけの話で、つけ回したりするんじゃないよ、全く。
 

自分の母国の慣習を振り回しても、それが日本の法律や各自治体の制度に合わないんだったら「日本人は多様性を認めない」と喧嘩をせずに、その慣習が通じる国に帰還するなり、移動して下さい。
「ウチの母国は土葬が決まりだから日本でも親の死体を土葬にする」のは、そうしたいというのなら、土葬の習慣がある地域で土葬にすべきだろう。

何年か前までだと思うが、瀬戸内海に土葬の習慣のある島があったから、そこで確認して、「土葬して良い」と自治体が認めているなら、そこに親御さんの本籍地なり住民票を移して、安心して土葬する方法もあると思う。(今もその習慣かは知らない)

筒井康隆さんの小説で、死体を土葬にする習慣の星の人に、
「地球では火で燃やしたり(星の人たち皆が、料理みたいにするのかと嘆きうめく)、海に流す水葬があったり(ああ、魚の餌とは残酷だ、と星の人達の声)・・・」というのがあったはずだが、感覚によっては土葬は「生きた姿のまま埋めてくさらせるのか」となるのではあるまいか?
あまり自分側の慣習の主張を「多様性を認めろ」と言う言葉を楯にとって言うと、
「郷に入っては郷に従う」のだ、と言って多様性いぜんに対話すらなくなる。
もう手遅れの状態なんだが・・・

こうなると、トランプ大統領の自分たちが移民の国を経営している事を棚に上げ、これ以上の移民はお断りだという政策を、日本もとらざるを得なくなって窮屈になる。

別に海外の人を嫌っている訳でなくそれぞれの慣習の土地に生活して、何かで出会う時には笑顔でお互いに居ようね、位だったのだが、入って来る移民さん達の数の多さと今までの習慣のゴリおし等を見ると、仲良くする気が無いなら、鎖国するべきだな、と不謹慎にも思ってしまうんだが、そう思うまで自分勝手をする流入移民と、もう制御ができぬと鎖国を再開する日本と、どちらがマシか推し量って欲しい。

交通標識が読み取れないなら、自動車の運転はあきらめなさい。
元々住んでいる人の生活や習慣を脅かすなら、嫌われ追い立てられます。
外国籍から日本籍に切り替えた方々は、税金をちゃんと日本に払っていますか?
払っていないなら、貴方たちの給与を日本の税金から出すわけにはいきません。
きちんと帰化なさって、日本の法律、制度、慣習、を守り納税していますか?
いざ、ここという所で「これこれの生き物は宗教上食べないんだ」までは良いです。
デビルフィッシュと呼んで気持ち悪くて食べないのは構わない。

ただ、他の宗教や生活習慣で生きている人で美味しがって食べている人に
「そんなタコだのイカだの食べて」
と喧嘩を売らない方がお互い平和だし、
元々日本にはクジラを食べる文化があるのだから「海棲大型哺乳類食べるのはダメ」は、全く通らない。

怖い話をしておこう。南極探検隊で1シーズン、放置されて生き延びた犬たちが歓迎ムードで帰国したんだが、あのワンちゃんたち、何を食べていきのびたんだろうね?
犬同士の数は減ってないよね。隊員から、かえり際にお別れだよと貰った犬のエサ?
それだけで足りるのかな~?野生動物を狩ったって?うーん。それもあるだろうね。
あとは、現地で亡くなった探検隊員の(以下略)
世の中、きれい事だけじゃすまない。すんでいる様におおい隠しているだけかもよ。

YouTubeの動画で、特に気に入っているのが、植松努さまの「思うは招く」です。
コレですね。私が色々書きまくるより、これを鑑賞してもらった方が早いよ。

「思ったらそうなるよ」という話。
そして、否定して邪魔するのは、やったことがない人たち。
その人たちは「どーせむり」という言葉で新たな事をする邪魔や言い訳をする。

なんとか乗り切ろうとする人は「だったらこうしてみたら」と案を考える。

もちろん「こうするための勉強」を熱心にする。


ごく些細な事だけど、高校三年になった時、私は物理の成績が悪かった。

そうでありながら、大学の工学部で地元の山口大学を志望した。

物理の教師はせせら笑って、バカにした態度だった。
その半年後、やはり「山口大学工学部電気工学科」を第一志望に出した。
同じ物理の教師、星出先生は、軽口を叩いて「落ちるつもりで受けてみるか」だと。
普通は合格する様に指導するんじゃないかい?でも見放してるんだなぁ。

で、受験して浪人する事なくストレートで合格、二次試験は数学と物理学。
合格報告に行った時に「二次試験は数学と物理学で合格しました」と伝えた。
熱心にやれば何とかなる人間を見放しても、自分で何とかしちゃうのである。
教師としての信念が揺らいだかも知れない「どーせむり。落ちるつもりで」が、
合格しちゃったんだから。

「どーせむり」というのがまだ人生にいくつかあるんだけどね。
今からでも「だったらこうしてみたら」と考えて乗り切る頭にしてはどうだろう?

アナタは私に「どーせむり」と言うかもしれない。それはアナタの物の判断。
ただ私はそういう場面でも「だったらこうしてみたら、だったらこう考えてみたら」
を続ける事だろう。
何せ、座右の銘らしきものが「僕はあきらめない」なのですよ、私は。

私の趣味は民間信仰関連というか民俗学の書籍をながめる事。

とても読み込むと言うには浅学の徒であるし、本来は理系側だし。

そう、大学は工学部の電気工学科(今は情報工学とか名前が変わっている)の卒業。
文学についてアレコレ語るのは表現の自由だけれど、結局は好き嫌いになる。

 

太宰治も何冊か読み、柳田国男全集の文庫の読破に挑戦して敗北。膨大な量です。

佐々木鏡石の遠野物語は何とか読み切りましたぁ、などと言った状態。
森鴎外は母方の(これは前にも書いたから略)である事も手伝って、囓り読み。

平野威馬雄(ひらのいまお)先生は、主宰されていた「お化けを守る会」から。
普通は「フランス文学の翻訳」とか「レミの会」での混血児救済から入るのでは?

と、そんな私なのだが、YouTubeで動画を見ていて、ちょっと居眠りした。
その間に動画が切り替わり、怪談話をしている。
内容は軽くしか書かない。肝試しに行ってどうこう、という話ではあった。
しばらく聴くともなく聴いていたが、
「アレ、これは精神が、ヤバい所へ引き込まれるぞ」
と直感(直観?)したので、即座に、浄化しなくてはと思い、

「ゴスペル」を手がかりに、検索。
「ゴスペル名曲集」に、動画を切り替えた。


なぜ、ゴスペルかって?私が洗礼を受けたカトリック教徒だからです。

日本の民話からヒントを貰って作った歌を歌った後は、自分で、
「般若心経」をギターの伴奏で歌って周囲を浄化する。
海外の怖い話を語ったり歌ったりした後は、というと、こちらも「般若心経」
もしくは「アメイジング・グレース」を歌って浄化する。

歌には浄化作用があると信じているが「ンなモンきかねーよ」という相手には?
近寄らない。あ、この相手は人間だけでなく、霊的な者たちも含みますからね。
害がないそういう方々とは、友達として対応。
いたずらしても可愛いもんだし、失礼ながら、相手によっては親友にもなるかな。
ジュースをあげ、あとでお下がりを頂いたり、好物をあげてお下がりを頂いたり。

姿がないとやりにくいから依り代として、ぬいぐるみとか抱きぐるみがイッパイ。
タヌキの抱き枕さま(中身は、佐渡ヶ島団三郎の)団ちゃんは仲良くしてくれる。
彼はブラックコーヒーが好きなのだが、奥様のお狐さま、木立木の葉さまにあわせてこの所、カフェオレのジュースで夫婦で楽しんでくれる。
「タヌキの夫にキツネの妻?」と驚くかもしれないが、彼らは民族、種族の違いを超えて、お互いを大切にする生き方を知っている。それに比べて、わずかな違いで線引きし、マウントをとり、戦争をする人間のなんと愚かな事か、と悲しくなってしまう。

私は今、人間としては、やもお状態だが、黒い猫神様のお萩ちゃんが妻、白い可愛いキツネのフィアンセ状態のナナちゃん、なにより雪人山丈の妻、ゆきこさんがいるので、いい人生だなぁ、と思う。ゆきこさんは忙しすぎて滅多にあえないが。
その代わり、白尾ようこナナちゃんが色々と構ってくれるからね。

いずれは団ちゃんにブラックコーヒー、木の葉さまにカフェオレを用意するかな?
津和野由来の子狐、おこんちゃんは「おんないさん」「いないうし」と回らない舌。
「おいなりさん」「いなりずし」を買って欲しいと言っている。ええい可愛いヤツめ!

私は洗礼を受けたカトリックのクリスチャンです。
身内の(宗教上では)顕彰会の近しい人が亡くなりました。

日本の法律に則って、焼き場でお骨にして頂き、ある程度の期間、お骨と生活。

そして納骨を姉夫婦と一緒にしました。(焼き場の時も姉夫婦と一緒)
遠隔地にいる、亡くなった人の肉親の方に、死亡した時に電話で連絡。
その時、分骨して欲しいとご希望だったので、その様に対応しました。

 

分骨のお約束をした時、葬儀にかかったお金の内いくらかを払うと金額を提示。

何もせずに分骨された「お骨」を送付させる訳にはいかないと思ったのでしょう。

「はい、では、お気が済む様に、その金額をお送り下さい」
と応じさせて頂きました。

分骨されたお骨が向こうに着いた時に電話でまた話しました。

その時の事。あちらは日蓮正宗の仏教徒だから、私とは宗教的には違うのです。
電話の中で、しきりと自分の入信している顕彰会を自慢。

そこまでは別に私は許容できます。

ところが、途中から勢いがついたのか、しきりとクリスチャンである私に、

「間違った宗教の信者だ」と責め始めたのです。

「自分の信じている宗教はこれこれ」と表明するのは別に構いません。

むしろ普通の事でしょう。

相手の宗教を「間違った宗教」と言いつのるのは、呆れられる行為でしょう。


どの宗教もある程度正しくて、ある程度間違っているのではないかなと思います。

それは仏教、ヒンズー教、キリスト教のみならず、民間伝承の信仰も含めます。
もちろん、税金逃れのための宗教法人や、テロ行為を目的に含む宗教は別です。
「間違った宗教」と言いつのられたので、以後こちらからの連絡を止めました。

「正しい宗教」は自分の入信している物だけ、という主張はご自由に。
ならば、正しい事をするのかな、と思っておりました。
「自分のした約束を守る」という事など。
そして、あれから半年以上過ぎました。
まだ、間違った宗教信者の私の所に、正しい宗教の方から葬儀費用の一部は・・・
送付されていません。
「別の宗教の人との約束は破って良い」という教義があるのだろうと放置しています。

日本の国旗がどうとか国歌斉唱がどうとか、海外の方々や元々は海外が出自で、日本に帰化した偽物日本人に言われる筋合いはないんだがなぁ、と感じる。
内政干渉っつうんだよなぁ、そういうのを。
「郷に入っては郷に従う」べきなのに「多様性を認めろ」という礼儀知らずどもめ。
それは「多様性」の融通も時には必要だろうが、公平に見て「自分勝手」「我儘」だ。
(相当ムカついているのだが、毛唐、支邦人、鬼畜米英、南蛮人と書くのを我慢中)
日本の国土を金で買いやがる外roadなんぞ、叩き潰して土地を日本に戻すべきだし。
売ったヤツら(オレは「売国土」と呼んでいる)は日本という国を裏切った極悪人。
とんでもねー、犯罪者だろうがよぉ。と思うが穏やかに黙っている私は大人だね。
あ、罪人は、片っ端から強制送還か、どっかで強制労働させりゃ医院で内科医?w

日の丸、日章旗に文句をつけるなら、四角に米と書いてある英国の国旗はどうよ?


これについては、グレートブリテン、アイルランド、スコットランド及びその他、

というのを意図している位はオレも知っている。

ただなー、アメリカが漢字化して戻した影響で「米国」なのを連想する。ツボった。

で、その米国。1787年9月17日現在のアメリカ合衆国憲法が起草された。
国としちゃヒヨッコで移民が、英国やその周辺から宗教解釈でイジ(以下略)

日本の成り立ちは今年2025年が皇紀2685年だからね。はっはっは。悔しいかい。
はるかに年長者の国だぜい。やーい、ガキんちょ国、若造国、寸足らず国~!
しかも、米国は、原住民を殺しまくって騙して土地を奪い取った悪党どもや、
カードゲームでイカサマして相手から掠め取る連中がのしあがったりもしてやがる。
大物地上屋が大統領の国だもんな。(言葉が過ぎるのはジョークですよ)
なお、私がブルーグラス音楽が大好きなのでバランスは取れている。
え、何?中国?あー大陸で「偽・誤植(実際は、魏・呉・蜀)」とかでさぁ。
まとまんないで潰し合ってた連中の子孫か?
しかし中華人民共和国って元は中華ソビエト共和国だろ?
1949年10月1日にケザワ・トンとか言うオッサンが(毛沢東だってば)、
天安門広場で建国してできた、やっぱりヒヨッコ国じゃん。
第二次世界大戦の終戦、日本の敗戦1945年には存在すらしてなかったんだぜ。
それが何で日本に乞食して、金やら物やらせびってさ。物乞いはみっともないだろ。
ロシア?うん、知り合いにもいるよ、ロシアの血が1/8流れてる人。
とっても仲が良いんだ。ただ、ロシアの遺伝子のせいで酒呑んでも酔わないって。
これ、実話ですぜ、ダンナ。DNAとか肝機能の影響があるんだと思われますな。
極寒の土地でウォッカをガンガン飲んで乗り切る民族だから、酒に耐性がつくのか?
さてそろそろ、お開きにするかな、最後は、日本の国歌斉唱で行かねば。

オレは日本人だからな。これが日本だ、私の国だ、ってなもんよ。

え、この歌詞の意味知らないだろって?解釈は色々あるけどね。
天皇陛下とともに時代をすすみ、千世代も八千世代も、
国民それぞれを、国を支える小石になぞらえ、
小石が互いに助け合い、寄り添い、巌と思える状態になり、
良い時代がずっと平和に続き、苔がむすまで日本が続きます様に。
こんなモンでどうでぇ。即興のオレの現代語訳さ。オレは日本を愛してるからな。

集中して用事をしなくてはならないので、こちらからの情報発信の頻度がかなり落ちる事が予想されます。

別に不機嫌になったりはしていません。

必要な連絡や、きちんと連絡したものへは正常に参加します。
よろしくお引き回しの程、お願いいたします。

前に書いたが、私が阿呆なので詐欺の被害にあっている。
大きいのは一つだが、大学時代にも、共産党にだまし取られたり、

トラックの運ちゃんの力説でなけなしの二千円を渡す羽目になっている。
 

金はまた稼げば良いんだが、被害額が大きいのの犯人が放置状態になっている。

私が何もしてないワケではなく、まずは民事での判断でこちらが勝っている。

返済指示が裁判所から出ているのだが、無視したまま年単位すぎた。

私が、というより、民事の裁判所が犯人にバカにされているのだ。
実際、民事裁判所は無能である、というのが私の引き出した結論。
(これを書くため、裁判所に電話で色々確認した上で無能と書いている)

そして、警察(検察)に関する話。
刑事部部長が自ら被害届と調書を相談しながらワープロで作成して下さった。

順当に行けば、逮捕され、事情聴取され、刑務所に服役するなりするだろう。
とっくにそうなっていて良いのだが、その様子がないまま、こちらも年単位すぎた。

こうなると、警察が捜査する気がないんだなぁ、無能だなぁと思う。

 

岡林信康さんの「おまわりさんに捧げる唄」では、警察は蜘蛛の巣で
虫などの小物は捕まえるが、トンビやカラスは巣を壊して抜けていくと歌う。

あの犯人が、それ程の大物とは思わないが。態度だけはデカいからなぁ。
政治屋や奸僚は捕まえたがらない感じはあるからね、おまわりは。

 

面倒になって、書類一式をシュレッダーにかけたのかもしれない。

もしくは年度の切り替わりの時にまとめて可燃ごみにだしたのかも。


いろいろあったので、今私は、人間そのものを信用できなくなって来ている。
その理由にはこの「民事」、「警察」、「検察」の役立たずを体験した事もある。
 

自動車の免許証は返納しているのだけど、交通法規は一応記憶している。
停止線での一旦停止を忘れたり、10キロ程度のスピード違反をした人たちを、
鬼の首を取ったように、責め立てる事だけはしてるんだよな~、おまわりは。

 

好きな歌に「詩人の末路」があり、演奏しているのは「頭脳警察」というバンド。
ちゃんと頭脳を使ってくれよ、警察、検察。
このまま終わったら「無能警察」「無能検察」「無能民事裁判所」だ。

政治屋、奸僚に対しては元々「無能警察」、「無能検察」だからそんなモンか。

とても身近な女性の死(私より四半世紀程も若い)を経験した。

そして私にとってだけだが、それなりの時間が流れた。
 

今、私は脇のDVD再生が出来るテレビのセットで映画を再生している。

私にグサグサと突き刺さるその映画は、黒澤明監督の「生きる」です。
だからタイトルに「ゴンドラの唄」の冒頭を書きました。
志村喬さんの演技が本当に深い。何度目かな、これを見るのは。

そして、何度か流れる「ゴンドラの唄」が本当に良い。

確認して驚いたのだが、「ゴンドラの唄」は、森鴎外が訳したアンデルセンの『即興詩人』の一説をもとに歌人の吉井勇が作詞、中山新平が作曲している。

え!こんな所でこの人の名前が出るとは!驚愕してしまった。

私の実母(現在、認知症でグループホームにいる)の祖母なのだが・・・
その「母の祖母」は津和野の森家(森鷗外の家)から、母の生家に嫁いで来ている。

以前、母から私の母方の祖父の母親だと教わった。母方の曾祖母、という事か。
その曾祖母は津和野の森鴎外旧宅落成式に親族代表で出席している。

ずいぶん前に自宅の自室で、ギターの弾き語りで「ゴンドラの唄」を歌っていた。
高校か大学の頃だったと思う。

突然、母が部屋に入ってきて「メロディが少し違う」と厳しく言われた。
森鴎外のほぼ直系の子孫の母としては息子の節回しが気になったのだろう。
(母は直系であるが父に嫁いでいるので、息子の私は傍系になるのか?)

父も母も音楽好きなのでたまにこういう事が起きる。

ロンドンデリーエアーを楽譜に添って確認しながらクラシックギターで弾いていた。

するとまた突然母が部屋に飛び込んできて「それ『三文楽師』って曲でしょう!」
「さらばジャマイカ」を弾いている時も同様で、いきなり古い歌詞で歌いだした。

父親はスタインベックの「怒りの葡萄」が好きで、頻繁に私にギターで「レッド・リバー・バレー」を弾かせたがったし、親父が好きだから何度も弾いた。
 

おっと、少し森鴎外に話を戻します。

今だと「文豪ストレイドッグス」の影響があるから、あんまり言うと、
「あぁあぁ、エリスちゃぁん、頼むからこのドレスを着ておくれよぉお」
「ドレスはいいけど、林太郎のその頼み方の態度がイヤ」
とか、マネをさせられるかもしれないから、詳しく書くのはここまで。

「生きる」を見ながら、自分が最近だらけていると反省した。
そこで、当面やらなきゃならん事を紙に箇条書きにしてみた。
おー、結構あるなぁ。死ぬ前に、やりきってしまわねば。(笑)
「これより長州男児の心意気をご覧にいれる」(高杉晋作の言葉)という気分だ。

会津方面の皆様、気分を害していらっしゃいますね。申し訳ない。

公園を死に際に必死で作る姿を重ねる物ではないし、いつ死ぬかはわからないが。
だから、やろうとした事を箇条書きにしたわけ。次々、取り組もうじゃないか。
私の座右の銘は「僕はあきらめない」だ。

今の箇条書きの内容の物を全部やり切ったら?
私の事だ、次にやる事を思いついて、それらに取り組んでいるんじゃないかな?

そして、ずーっと「生きる」を流して見ている。
志村喬さんの表情や動きの演技の迫力に圧倒される。
鬼気迫る、という言葉がそのまま当てはまる感じなのだ。
「七人の侍」や「ゴジラ」でも、とんでもない演技だった。
そして「生きる」の、あの健康状態で、あれだけの事を成し遂げる姿、
鬼気迫ると書いたし凄まじいとまで思える演技が、強烈だ。
あの熱意、執念、あきらめずに事を成す凄惨な思い。
自分も、まだ負けられねぇ、僕はあきらめない。やらねば!
少なくとも、生きている内は、何かできるんだよなぁ!

あらためて書こう。「僕はあきらめない」

完全に趣味・・・かというとそうでもないのですよ、はい。

 買ってよかったものBEST3

第三位:ウルトラマン・ウルトラセブン・帰ってきたウルトラマンの、BD
第二位:ビデオカメラ(量販電気店で型落ちで安く買えた)
第一位:Martinのギター、D-35(一番長く使っている愛用のMartinギター)

 

楽天市場
第三位

私が子供の頃にリアルタイムで見ていた物。ただし、合気道の修行や、父親が沢村忠さんの真空飛び膝蹴りの「キックボクシング」(テーマ曲は黛敏郎さん作曲)があると、私の見たいこういうのは、却下されていた。歯抜け状態で見ていたので、その抜けた歯を補う事も含めて、この三作のBDを購入。ほぼ見ていない「ウルトラQ」や、この三作以降のBDが入ってないのは私の思い入れがさほどでないから。

第二位

店頭展示品で型落ちでもあったため、かなり安く買えました。
このビデオカメラの果たした役割は何かというと・・・
私のYouTube動画の撮影に使用していたし、これからも使用します。
(機会があったので予備のビデオカメラの機械がもう一台あります)
本っ当~~~に、役に立っていますね。三脚は元々所持していました。
複数のYouTubeチャンネルを使っていますが、一番登録者が多いのは、
278人の方にご登録いただいています。まぁ、かなりの一般人ですから。

第一位

愛用のギター、Martin D-35です。
持っているMartinのギターで一番古くて修理もしました。
それでも手になじむのは、弾きなれているからでしょうね。
他にも、ギター、バンジョー、ヴァイオリン等を所有。
どれか一つを選べと言われたら、ごめん、選べない。(え!)
それ位、音楽は素晴らしいし、楽器は楽しい器なんです、私には。
いずれD-45に乗り換えているかもしれないし、ギブソンJ-45かも?
でもねー、長らく弾いて修理していて他所に出したくないんだよ。
このD-35はね、ライブハウスを回ったり、師匠主催のライブでも使った。
想い出を一杯、共有している。
最初にこのギターの購入を助けてくれたのが、今は認知症になり、
グループホームにいる母だという事も、自分には大切な事。
母の後押しがなかったら、Martinのギター一生、持てなかったかもしれないし、
親父の形見の楽器とかをね、家族に感謝しながら弾けるってステキでしょう?