春になってきました!

花信風って素敵な言葉ですね。

異なる考えを持つ時って

思わず反発して反論して反対して、

相手をいい負かせて自分だけが正しいことに「ならなきゃいけない気になって」

言動してしまいがちな気がするけど、

実際はそうではないんですよね。

 

 

高齢者と乳児妊婦の福祉対策を「どっちが優先か」

みたいな話をしている情報番組を見かけたのですが、

対立させるのが流行ってるのかな?
でも今の後期高齢者って

戦争戦後でヤバ苦労して高度成長期を頑張った最後の世代なので…

具体的にいうと

今の後期高齢者ってアカデミー賞ゴジラの神木隆之介だよ……?
高齢者とかクソデカ主語で雑な全体化して捉えないほうがええかも

 

だめでヤバいのは!
高齢者と子育てを天秤にかけた政策しか仕立てられない!!
しかも極端な両者をしれっと並べて比べる!
現役の!!!!!
政治屋と金満コバンザメですね。

両方なんとかできるようにすりゃいいのになんで

同じ財源だけで綱引きしてまーすテヘペロ顔なんだろう

両方何とかする事が決してできない、そんな日本だとでも……?

なんでもは出来なくてもいい
なんとかするくらいでええんやで……?

 

比べるのも財源同じで扱うのも

多分「赤ちゃんと高齢者」じゃないですよね
姉さん女房とおさな妻くらい
比べる対象じゃなくない?
もちろん若いのも枯れよるのも最高じゃない?

 

と思いました。

 

ほかの話題の時にも

その関連ポストとしておすすめされてくる話題を見ていたら

何故か女性に恨みねたみがすごい人が集まる悪趣味炎上目的ポストと
それに釣られる女性憎しな人のリプがたくさんついてる地域にたどり着いてしまい、
TLに戻ってから

(ホームすごい平和ァ〜〜癒やし〜〜ほろわさんたちに感謝〜〜!)て

なったことがあったんですけど、

その人たちの捉えて主張する世間は女性優遇!ていう感じがすごかったので

落ち着いてみると
(そんなにお得なら女性になればいいのでは……?)

てふつうに思いました

 

別に話題の女装レイヤー!とか美女に変身する必要はなくて、
無理のない範囲でどこにでもいるおばさん!どこにでもいる女性!

て感じの格好をして

自分が得をしていると思う女性になりきって

知り合いのいない街ですごす習慣すれば

自分の思う女性というだけで受けられる「女性優遇」を享受できるじゃん?

(あきらかな扮装で女性トイレに入ったりするのはもちろんまずいですが)

 

本当に女性優遇の世界ならみんながこぞって女性になって、

豊かで平和のはずなんじゃないかなぁ……………

多分女性優遇!ていう人は自分のいる環境がたまたまそう(感じる)だけ

なんじゃないかな

代々女系の家柄とか、
姉妹に事情があって自分はほったらかされたと感じながら育ったとか。

男と言うだけで様々なプレッシャーがあって

女性が(自分よりも自由で気楽に「見えて」)うらやましく感じる事をすり替えてるとか。

ただでさえ数少ない男っていうだけで力仕事何でもやらされる田舎とか

辛いよな…………
でも女衆がしっかりしててなんでも出来て

男は座ってて!て何もさせてもらえないのも辛いだろうし。


女になりたくないのに
女のほうが人生すべて得だ!
と感じているとすれば、
「俺は男なのに女の方が得をしている(ように見える)場面が多いのはオカシイ!

=これは差別だ!」

と言うような、根底の論理に一種の認知の歪みが出発点になっている可能性がある

のかなあ……なんて感じたりしました。

あとなんか単純に「女さん」「まんさん」てクソデカ婉曲表現で平然といろいろな言論をしているのを見ていると「おめーのかーちゃんもそーじゃん」となっちゃう…

あなたの言ってるそれはおめえのお母ちゃんやおばあちゃんはおめえさんのいうソレじゃない……それには入らない……?

全人類の女がそれだけど俺のババママだけは違うの!って感じで言っちゃってるやつの感じですかね……? やっぱり…………?

(親族全員もソレだよ!とか教育上や環境的な要因も人によりけりでいろいろあるだろうけど……いや親族もまんさん呼ばわりでちゃんと認識できてる人もそれはそれでものすごいやべーやつ)

 

なんてことを感じたりしてました。

対立構造ってよく見てみると

対立するまでもない事、

比較対象としては適当になってないこととかけっこうありますよね……