前回お伝えした通り、素盞嗚尊(スサノオ)という神の顕現は、太陽神が西の地平線に沈み、地球の反対側を通り復活するまでの、夜の姿と言えます。

 

そして日本書紀における天照大神(アマテラス)の本名は、大日孁貴神(オオヒルメノムチのかみ)、つまりは昇る朝日を地上に迎え入れる役割を担った、各地の巫女、日留女達を統合した女神だったと考えられます。

 

つまり日留子もまた、各地で崇められた太陽神の総称だったと言えるでしょう。

 

そしてそうした太陽神の名前として、大穴牟遅神(オオナムチノカミ、記述としては大己貴命・大汝命・大穴持神・大名持神、とも書く)が浮かび上がります。

 

男神が「オオ-ナ(男)-ムチ」

女神が「オオ-ヒル(昼)-メ(女)-ムチ」

という男女・陰陽の対比になっています。

 

こうした男神・女神がセットになった語幹の神々の例として、北欧のオーディンとイドゥンや、エジプトのオシリスとイシス(阿修羅系のシュという語幹)、そして日本の伊奘諾(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が挙げられます。

 

そしてご存知の通り、大穴牟遅神は、素戔嗚尊や大国主命(オオクニヌシ)と重なるエピソードを多数持つ英雄神であることから、日本古来の太陽男神と考えられます。

 

そして太陽男神を表す多くの地方名は、同じ神のイメージを、その地方ごとに自由な意思で言い表したものでしょう。

 

朝廷が日本を統一するにあたり、天皇が太陽神だという崇拝を推進する上で、太陽男神という古来の存在が邪魔になり、日留子は不具の子として流された、という設定になったのです。

 

そして『日本書紀』の日留子の記述:

「次に蛭児を生みたまう。

已に三歳と雖も、脚猶し立たず。

故、天磐櫲樟船に載せて、

風の順に放棄てたまう。

次に素盞嗚尊を生みたまう。」

 

は、実は太陽神としての日留子の化身が、実は蛇だったことを表すのではないでしょうか。

 

三輪山を中心に崇められる大物主(オオモノヌシ、大穴牟遅神の別名の可能性あり)をはじめ、各国の太陽神も、脱皮して死と再生を繰り返す蛇神を化身としています。

 

そして北村サヨに憑った、天照皇大神という男女合体神の姿は、伏羲と女媧のような姿だったのではないでしょうか?

 

 

つまり、男女ペア・陰陽合体・太陽神と巫女が一対で神なのです。

 

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