年長さんになってすぐに発達障害の子供に言語療法をされている施設へ月に一度通う事になりました。
この頃には2号も少し大きくなり、私も仕事にも復帰してました。
生活の為、平日の仕事時間を増やし、土曜日も出勤していました。
通勤に約1時間。子供2人を保育園へ送り迎え。買い物と家事。
毎日、精一杯でした。
正直、ゆっくり1号や2号の相手をしてあげることなんて出来なかった。
その中で月に一度のデートと称して1号と療法を受けに行き、ランチを食べてゆっくり過ごしました。
これが良かったのか、少し優しくなったような気がしました。
最初、療法の先生(女性)に対しても敵対心メラメラで一緒に遊んだりすることは一切なかったのですが、少しずつ心を開いて行き最後は一緒に遊べるようになり、先生の提案する遊びを快く受け入れることが出来るようになっていました。
たった1年ですが、彼にとってとても良い経験が出来たと思っています。
年長さんになった1号は、保育園で字や数字を教えてもらっていましたが全く興味なし。
小学生になる前に数字ぐらいは覚えておいて欲しかったので、送り迎えの最中に目に付く標識の数字やスーパーの値段を『あ!これは1だねぇ。』とか言いながら通って行くと一緒に言うようになって来ました。
ちょうど2号が3歳。2号に負けじと覚えてくれたのかもしれません(笑)
その甲斐あってか、冬頃には数字はほぼ覚えられていました。
しかし、ひらがなは微妙。。。
自分の名前だけは書け、ちゃんと読めるようにはなっていました。
年長さんになると保育園でする課題も増えてきます。
絵を描くこともその一つ。
これまた全く興味なし!
毎回イヤイヤ描いていたようです。
彼のイヤイヤさが分かるぐらい、いつも描かれている絵は一色。
真っ黒一色ということもありました。
でも、アイロンビーズだけはハマり毎日作って行くうちにお手本通りに作れるようになりました。
1号が何かに真剣に何かに取り組んでいるのを見たのは、この時が初めてだと思います。
家では2号が3歳にもなると一緒にライダーごっこや、走り回ったりすることが出来るようになり、1号はいつも2号相手に遊んでいました。
年下への優しさ…淡い期待は期待のみ。
一切手加減ありません。
常に同等に扱っていました。
これは、今も一緒ですが・・・(´Д`;)
でもね、これは発達障害の影響もあるかもしれないけど父親が一切1号に負けてあげたりしなかったせいもあると思ってます。
いつも自分が勝つ!
オレに勝てる者はいない!!という感じです。
『父親の威厳を見せとかなアカン!』等と言ってましたが、全然違うし…。
さて、小学校入学が間近になり就学前検査が始まる頃、私のお腹に3号が居ることが分かりました。
私の心は『別れる』決心がついていました。
相手にも伝えました。
毎日、嫌な空気漂う環境の中は最悪だったと思います。
子供達には嫌な思いしかなかったでしょう。
でも、お腹の中に芽生えた新しい命と1号2号の今後の事を思うとどうしても一緒にいられませんでした。
その前から私の心は完全に帰宅拒否状態。
家に近づくにつれて吐き気が襲い『子供達の為』と自分を言い聞かせてやっと帰宅していました。
でも、本当は子供達の為じゃなかった。
為に何かなってなかった。
別れることになった私達は、私の実家がある大阪へ引越しする為に動きました。
保育園を卒園するまであと数ヶ月だったので、卒園してすぐに引越し。
小学校へは事情を説明し、通う事になる学校へ支援指導の先生と当時の校長先生と話をさせてもらいました。
1号が卒園する頃、お腹は8ヶ月。
大きなお腹で引越し作業。
子供達には説明しても分からないかもしれないと思い『離れて暮らすけど会いたい時はいつでも会えるからね。』と伝えました。
1号は小学生になった喜びと嬉しさでいっぱいでした。
全く自分を知っている人が居ない所へ移ったので、どうなる?と心配で仕方なかったのですが毎日楽しそうに通いはじめました。
この頃には2号も少し大きくなり、私も仕事にも復帰してました。
生活の為、平日の仕事時間を増やし、土曜日も出勤していました。
通勤に約1時間。子供2人を保育園へ送り迎え。買い物と家事。
毎日、精一杯でした。
正直、ゆっくり1号や2号の相手をしてあげることなんて出来なかった。
その中で月に一度のデートと称して1号と療法を受けに行き、ランチを食べてゆっくり過ごしました。
これが良かったのか、少し優しくなったような気がしました。
最初、療法の先生(女性)に対しても敵対心メラメラで一緒に遊んだりすることは一切なかったのですが、少しずつ心を開いて行き最後は一緒に遊べるようになり、先生の提案する遊びを快く受け入れることが出来るようになっていました。
たった1年ですが、彼にとってとても良い経験が出来たと思っています。
年長さんになった1号は、保育園で字や数字を教えてもらっていましたが全く興味なし。
小学生になる前に数字ぐらいは覚えておいて欲しかったので、送り迎えの最中に目に付く標識の数字やスーパーの値段を『あ!これは1だねぇ。』とか言いながら通って行くと一緒に言うようになって来ました。
ちょうど2号が3歳。2号に負けじと覚えてくれたのかもしれません(笑)
その甲斐あってか、冬頃には数字はほぼ覚えられていました。
しかし、ひらがなは微妙。。。
自分の名前だけは書け、ちゃんと読めるようにはなっていました。
年長さんになると保育園でする課題も増えてきます。
絵を描くこともその一つ。
これまた全く興味なし!
毎回イヤイヤ描いていたようです。
彼のイヤイヤさが分かるぐらい、いつも描かれている絵は一色。
真っ黒一色ということもありました。
でも、アイロンビーズだけはハマり毎日作って行くうちにお手本通りに作れるようになりました。
1号が何かに真剣に何かに取り組んでいるのを見たのは、この時が初めてだと思います。
家では2号が3歳にもなると一緒にライダーごっこや、走り回ったりすることが出来るようになり、1号はいつも2号相手に遊んでいました。
年下への優しさ…淡い期待は期待のみ。
一切手加減ありません。
常に同等に扱っていました。
これは、今も一緒ですが・・・(´Д`;)
でもね、これは発達障害の影響もあるかもしれないけど父親が一切1号に負けてあげたりしなかったせいもあると思ってます。
いつも自分が勝つ!
オレに勝てる者はいない!!という感じです。
『父親の威厳を見せとかなアカン!』等と言ってましたが、全然違うし…。
さて、小学校入学が間近になり就学前検査が始まる頃、私のお腹に3号が居ることが分かりました。
私の心は『別れる』決心がついていました。
相手にも伝えました。
毎日、嫌な空気漂う環境の中は最悪だったと思います。
子供達には嫌な思いしかなかったでしょう。
でも、お腹の中に芽生えた新しい命と1号2号の今後の事を思うとどうしても一緒にいられませんでした。
その前から私の心は完全に帰宅拒否状態。
家に近づくにつれて吐き気が襲い『子供達の為』と自分を言い聞かせてやっと帰宅していました。
でも、本当は子供達の為じゃなかった。
為に何かなってなかった。
別れることになった私達は、私の実家がある大阪へ引越しする為に動きました。
保育園を卒園するまであと数ヶ月だったので、卒園してすぐに引越し。
小学校へは事情を説明し、通う事になる学校へ支援指導の先生と当時の校長先生と話をさせてもらいました。
1号が卒園する頃、お腹は8ヶ月。
大きなお腹で引越し作業。
子供達には説明しても分からないかもしれないと思い『離れて暮らすけど会いたい時はいつでも会えるからね。』と伝えました。
1号は小学生になった喜びと嬉しさでいっぱいでした。
全く自分を知っている人が居ない所へ移ったので、どうなる?と心配で仕方なかったのですが毎日楽しそうに通いはじめました。






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