昨日は遊びから帰って来て早々『携帯がない!』と大慌て(((゜д゜;)))


雨の中、探しに出ましたが見つからず…
『多分、遊んでた施設の所にあると思う。』とのこと。

気付いた時には閉館しており、連絡も付かない。
次に開くは火曜日。
それまで、とりあえず見つかる事を祈っておきます(。-人-。)



このところ、1号は毎週月曜日何かと理由を付けて学校を休もうとします。
今朝も同様。
分かっていましたが、続くと問題なので『病気でもしんどい訳でも無いことは分かってるよ。理由がちゃんとあるなら、それを教えて。』と聞くと涙ぐんでいました。

『しんどくはない。でも、理由は言いたくない。』


『いじめられてる?』と聞いてみましたが、違うとの答え。
(↑いじめられる事はまず無いと思います…どちらかと言うと逆の方があり得るので)

『先生?』と聞いてみると頷きました。


以前から担任の先生とは上手く行ってないんですよね。

時折ぶつかります。


原因は先生の冗談でして行為と本当に怒った(注意)した時の違いが上手く判断出来ていないことから、起こってる苛立ちから来ている様です。

例えば…
①週末は上靴を持って帰るように!と言われたが、忘れてた1号。
先生は忘れたらどうなるか…という事で上靴を隠した。
⇒先生としては【注意喚起】
⇒1号にとっては【靴を意地悪で隠された】

②休み時間等に1号が教室に居ない間にこっそり上靴を隠した。
⇒先生としては【冗談】

1号にとっては、どちらも【靴を隠され、意地悪された】になってしまう。
彼の思考回路としては、怒られた・注意された事の行為(意味は分かっていない・忘れる)の方が頭に残る。
それによって②の行為までも【意地悪された】になってしまう。

こういう事が頻繁に怒ってるいる様で彼が受ける事、同級生がされた事の全てで同じ様な状態になる。

それによって先生は意地悪ばかりする。
嫌な事ばかりする。
…になっている所が見られます。


ちょっとした食い違いから、大きな溝になる事は多いですね。


今週は個人懇談があるので、そういった点も改めて伝えようと思っています。
一昨日、1号の病院でした。

3度目のWISK結果が出る日。


結果は……ADHD。


前回の結果度同じだし、今回のテストを受けた時点で心理士さんに言われてたから『やっぱりか…。』という心境ですね。

今まで受けて来た3度のWISK。
それぞれ違う病院でして来ましたが、今回の所が一番ちゃんと状況を聞いてくれたし、結果の説明も詳しくしてくれました。

結果として出た彼の特性等はまた今度ゆっくり書かせてもらいますね。


そして、今回初めてのお薬服用。
処方されたのは、コンサータ18mg。
翌日から休日ということで、週明けいきなりお薬を飲ませて様子が分からないのが嫌だったので、先生に相談して翌日の土曜日(昨日)飲ませました。


朝8時過ぎに服用。
10時過ぎ頃から『腹痛を訴え始めた。』
どんな痛みか聞いてみると『下痢の時の様な痛み』とのこと。

…とすると、ただの下痢かもしれない(笑)

痛みは波があるようでした。
お昼前に私が買い出しに行っている間、トイレへ行った模様。
下痢だったようです。

1号は元々下痢気味なので、お薬の影響かどうか微妙なところ。

コンサータの効果もいまいち分からない!

何となく普段より言葉で伝えて物事を進めて行けていたような気がします。
ただ、この日は3号と家でずっと遊んでいて2号が夕方に帰ってくるなり攻撃的になっていたので、普段と変わらない様な気がしました。


副作用としてよく出るとされる『食欲不振』もなく、お昼も夜もいつもと変わらず食べてました♪(´ε` )


18mgでは少なかったのかな?

まだ始めたばかりなので、この辺の調整とかもしていくと思います。
とりあえず、昨日を含む4日間で様子見です。


昨日はずっと家に居た1号。
ヒマだった様で、ゴルフ練習場を作っていました。
スタートの打つ場所とゴールのカップ。
クラブはアンパンマンのギターです(笑)
3号と交代で打ち合って遊んでいました。
1号は結構、こういう工作が好きです。
遊んでいるうちに『こうなってたら良い!』とか思い、作り直したり足りない部分を足したり…と楽しそうでした。

photo:01



1号の良い部分だと思います。



ただ、この作品を弟達に使わせてあげるのに条件を付けたり、意地悪したりするのが問題なんですよね(´Д` )



はぁ…(´□`。)




明日からの学校で何か変化があるか、担任の先生とのやり取りで聞いて行きたいと思います。
ここまで1号の一番の特性である攻撃性を書いて来ましたが、いつも攻撃的ではないのですよ。
(当然ですね ww)


ADHDから来る衝動性はどうしてもありますが、基本的には優しい心を持っています。

特に自分に対して優しくしてくれる人に対しては。。。

2人の弟達もなんだかんだ言って1号にくっついています。

それはやはり1号が好きだから。

すぐに怒って叩いたり、変な条件を出して来て1号の良い様にされても、いざと言う時は1号がちゃんと守ってくれたりするからです。

2号にも3号にもそうです。

いざと言う時は、1号がちゃんと面倒見てくれいます。
少々乱暴な言い方はしますが、的外れな事はいいません。しません。

こういう時は『おぉ~っ!!!』と思いますね( ̄∀ ̄)


また、私がしんどい時も率先して用事をこなしてくれます。

頼んだ事は嫌とは言わずにしてくれます。

段々要領を覚えて来ているので『あれもやっとこうか?』『そっちはやっといたよ。』ととても気の効く行動を取ってくれる事もあります。


また、最近は毎日何故か洗濯物を取り込んでくれています(笑)


人とのコミュニケーションの取り辛さ。(でも人の事が気になって仕方がないw)
衝動的に手が出ている。(許してくれる人のみ。知らない人には出さなくなった)
冗談が通じない。
融通が利かない。(私の言う事はしぶしぶ聞いてくれてます)
一番じゃないとイヤ!
ビックリする程プライドが高い。
負けず嫌い。

色々あるけど全てが1号。






過去を振り返りながら思い出しながらザッと書いて行きました。
所々泣きながら…
あまりにもザッとですが・・・(笑)
ADHDの特徴とか上手く書けてないと思いますが、同じような状況にいる方に同じ事で悩んでいる人がいる!という事を知ってもらえたらと思います。


私も色んな親御さんのブログで助けてもらった。
参考にさせてもらった。
勇気をもらった。
元気をもらった。

振り返ることで気持ちの整理も少しついた。

『ブログにしたら?』と薦めてくれた母上と妹よ!感謝です。

これからも書ける時には書いて行こうと思ってます。

明日出る結果とお薬。
発達障害に対するお薬を服用するのは初めてです。
薬への不安。効果。


1号の記録として残す意味も含めて書いて行きます。
去年の夏以来、本当に少し落ち着きました。


私との約束も守ってくれているようです。

お金の問題や友達との問題での呼び出しはほとんどなくなりました。

1号なりに頑張ってくれていた矢先。

ケガの連続です。
入院もしました。


大人しくしなくてはいけない状況であったとも言えますが・・・( ̄Д ̄;;


そして去年の夏以降、行政が行っている子育て相談を利用し始めました。
私担当のケースワーカーさん。
子供担当の心理士さん。

月に1度、1時間程1号と2号それぞれと遊戯療法で様子を見てもらっていました。
そこで、やはり父親との闇をどうにかした方が良いという事になり心理相談を行っている病院へ通う事となりました。


残りの5年生の間は大きな問題もなく過ごすことが出来ました。



そして現在6年生。

先日、修学旅行へ行きましたが自ら率先して班長や室長を勤めて来ました。
以前、遠足で班長を勤めた時に融通の利かない1号とお友達の間で揉め事になっていたので
『みんなの意見が沢山出て、どうしていいか分からなくなったら、みんなに助けを求めるんだよ。
 あなたが分からないからどうすればいい?と聞けばお友達はちゃんと助けてくれるよ。
 一人で抱え込んではダメだよ!恥ずかしい事じゃないからね!』と伝えておきました。

結果、ちゃんと出来たそうです。(1号談)


しかし、5月の中旬頃から少し様子が変化。

何かに付けて手を出すようになって来ました。
口の悪さも増しています。


ちょっとした事ですぐにつって掛かって来ます。

弟2人には特に酷い。
それを止めに入ると私に攻撃してきます。

また叩く、蹴る…最近は髪の毛を引っ張ります。
もうどれだけの髪の毛が抜かれたか・・・

以前と違うのは、落ち着くまでに暴れながらも話をしてくれること。
何故、腹が立つのか。
どうしたいのか。

話をして行くうちに落ち着き出します。
その間の20~30分は私は必死に押さえ込んでいますけど…

もう少しで力も負けそうです。
なんとか体重を掛けて押さえ込むだけで精一杯です。
私からは絶対に手を出さないように、平常心を出来るだけ保てるように自分に言い聞かせながら抑えます。
落ち着き始めると抑えから抱きしめに変えます。

『気持ち悪いわ。』と言いながらも抵抗は差ほどしてきません。
甘えたいのです。

彼の行動には私に対する甘えたい気持ちがいっぱい現れています。

子供達を大きくさせる事で精一杯でちゃんと向き合ってあげられていなかった事にも原因はあると思います。


先週辺りからジャックナイフのような攻めを見せることが少し減って来ていますが、
弟達に手が出ない日はありません。


今は彼の闇に光を当ててあげること。
人を信用しても大丈夫だということ。
あなたには出来る事が沢山あること。

を知って欲しい。


その為に奮闘中です。



先日、行政の子育て支援から紹介して頂いた病院で3度目のWISKを行いました。
(2度目のWISKを5年になる直前にしました。結果はADHD。書き忘れました!)

今回は約2時間掛けて検査ややり取り。
私からの状況説明。
その結果が明日出ます。

しかし、担当した心理士さんには『多分、ADHDだと思うよ。』と言われました。
そしてコンサータを飲んでみよう!とも・・・。

コンサータ服用で彼の苦手な部分が出来るようになり、成功例を沢山経験して褒められ自己肯定力をまずは上げて欲しいと願っています。

コンサータについてはみなさんの意見が沢山ありますが、それらも参考とさせていただいた上で1号にとってどう出るかを見て行きたいと思っています。
1号が小学生になる少し前に離婚しました。


離婚する時に『会いたい時会えばいい。制限とかそういうのを設けるつもりはない。』と伝えていたので、離れて暮らすようになってからは毎週末のように父親の元へ1号と2号は行ってました。

いつも土曜から行き、お泊りして日曜日に帰って来ていました。


1号の話しによると離婚問題で揉めている頃から起きたようです。

揉めている頃、週末になると一緒にいるのが嫌で私は実家へ帰っていました。
その時、子供達には毎回お留守番するのか一緒に行くのか聞いていました。

1号はほとんどお留守番。
2号は半々だったと思います。


子供達が言うことを聞かなかったり、悪さをして父親を怒らせると外に放り出されていたそうです。

着の身着のまま。
時には裸足だった時もあったそうです。

外へ出された子は家へ全く入れてもらえず、父親が買い物等に出かける時はそのまま外へ放り出されたまま残されていたそうです。


酷くなって来たのは完全に離れて暮らすようになってから。
例えば1号がお茶をテープルにこぼしてしまったら…

『おいっ!何やってんねん!!これナンボしたと思ってんねん!』等と言われすぐに外へ放り出されていたようです。


“お仕置き”で数分外へ出されるのではないですよ!

一晩中、小さい子供を外へ出したままなのです!

放り出されたらどうしていたのか聞いてみると…
『ドアの前で待ってた。』
『近くのコンビニの駐車場で寝てた。』
『ウロウロしてた。』というのです。

この頃、1号は1年生。
2号はまだ3歳か4歳です。

誰かに連れ去られたり、事故に合ったりしてもおかしくない状況です。

『お腹も空くし、寒い時もあった。』

『放り出した後、パパは何してたの?
(私も時々外へ放り出している事があったので)
私のようにドアの小さな穴から覗いて様子見てたりしてなかったの?』

『そんなんないよ。ビール飲んでテレビ見たり携帯触ってたりしてただけ。』


ありえない!!


私に言わなかった理由を聞くと…
『パパは男でママは女だからケンカしても負ける。いつもケンカしてる時ママは泣いてた。』
というのです。

『一緒に暮らしてるわけではないから、嫌なら行かなくても良かったんだよ。
 パパがあなた達にしてきた事はどれだけ悪い事か!そんな事をしているのを分かってたら、
 あなた達をパパの所へ行かせていません。
 ケンカもね暴力を振るい合う事だけではないのよ。違う方法なら私はパパに勝てるのよ。』
と言いました。

そして…
『知らなくてごめんね。辛かったね。』と二人に謝り号泣してしまいました。


また、1号が包丁を持ち出すのも父親の真似だという事も分かりました。
怒る時、何度か脅すように包丁を持っていたそうです。


ずっとパパが好きだった1号。
だからこそ、父親の裏切りと行為が大きなトラウマとなって今現在も心の奥底に闇を作っています。





今、その闇を少しでも光がさすように奮闘している最中です。
色々あった中でも少し落ち着いて来たように思い始めた頃…

1号は5年生になっていました。

友達との小さなイザコザはありましたが、大きな問題にまで発展することはなくなって来ていました。

しかし、水面下では悪化していたのです。


お金の問題。


夏休みに入る頃から少しずつ浮き上がって来ました。

色々な子からお金を巻き上げていました。

それもほとんど下級生からです。

1号は怖い存在だと認識されている学校内で、彼に『渡さなかったら怖い思いをする。』と思うのは当然だったと思います。


本当に次から次へと出てきました。

家庭内でも全く約束を守らず、友達を家に入れてはグチャグチャにしてました。
夕方、私が仕事から帰ると窓は開けっ放し、扇風機とテレビは点けっぱなし、食べ物が飛び散っている。
そんな状況が当たり前のように起こっていました。
夏休みの間は2号もほとんど学童へは行かず、1号について遊んでいました。
自分から付いて行く時と無理やり連れて行かれる時と半々ぐらいだったと思います。

一緒に遊ぶ事になると“悪さ”も一緒にし始めます。

この年の一番の出来事は1号2号共に警察の方に指導されたことです。


夏休みの終わる頃には、私は仕事にも行けない状況になりました。
仕事へ向かうのですが、途中一向に涙が止まりません。
『また何かするのではないか?次は何をしてしまうのだろうか?』
自分のデスクに座っていても頭の中は全く違うところへ行ってました。

もう、苦しくて辛くて社長にそのまま全てを話し学校が始まるまでお休みをさせてもらいました。


この夏休みの間に私は4キロ体重が減りました。


1号2号には
自分達がした事がどれだけ悪い事なのか。
どれだけの人を傷付けたのか。
これからどうすればいいのか。

私が仕事にすら行けなくなったらどうなるのかを話し合いました。




私が仕事に行けなくなってしまった事がどうやら一番堪えたようです。

1号は『もう絶対にしない!』と約束してくれました。


そして、この時に初めて父親からネグレクトされていた事を私に告白してくれました。
4年生にもなると回りの子供達が1号の性格や個性を理解出来始め、ブツかる事も減って来ていました。

しかし、下の学年の子は違います。

もうこの頃には学校内の認識では【1号=怖い】となっていたでしょう。
しかも、2号が入学して来たことにより余計に“年上風”吹かすようになっていました。


軽い反抗期的な物もあったように感じますが、この頃はこれまでの中で一番の暴れっぷりでした。


すぐに私に反抗。
叩く、蹴るは当たり前。
玄関から靴を思いっきり投げ込んでから学校へ行ったりもしていました。
力で私に対抗するとまだ勝てないので、物を投げつけて来る事がほとんどでした。

靴・筆箱・リモコン・習字道具・傘・扇風機…
なんでも飛んで来ます。

私の体は青アザだらけ、壁は穴だらけ。


彼の裏にネグレクトや父親から私への攻撃命令を受けていたとは知らなかった私は彼に対して怒りがフツフツと上がってきていました。


いくらなんでもやり過ぎだ!


気が付いたら手が出ている事も多くなっていきました。

私の中で何かが壊れてしまい、1号を叩きまくっていた事もありました。

気付いた頃には泣き崩れている1号。

ハッと我に返る私。

そのまま二人で泣き崩れてしまう事もありました。



私まで少しずつ崩れて行きました。




そんな事が何度かあった頃、1号は包丁を持ち振り回すようになりました。

最初は“自分が居なくなればいい”という理由。
段々“私(母親)がいなくなればいい”に変わって行きました。


私はここまで来て、どうしたらいいのか全く分からなくなり休日でも出来るだけ外へ出かけ1号から離れるようになりました。
父親から『私を叩いて来い!』と言われていた1号。

その事はずっと私に隠していました。


3年生ですが元々力が強い1号。
この頃には叩かれると私も痛く、ケガをするようになりました。

学校が終わってからの学童へも行くことを拒み始めました。

学童へ行っても誰かとケンカしたり、逃げ出したりで私の携帯電話は鳴りっぱなしでした。
学童が不自由に思うのなら、一人で自由にさせた方が良いのも?と思い、学校が無く私が仕事の日は鍵を持たせ携帯を持たせて留守番をさせるようにしました。

外へ遊びに行くのはOK。
ただ、出て行く前に私に連絡をさせ鍵をきちんと閉められているか確認してから遊びに行くようにさせていました。

しばらく彼はとても嬉しそうにノビノビと遊んでいましたが、段々ヒマになって来たのでしょう。

年下の子にちょっかいを出すようになり、お菓子を巻き上げたり、買わしたりするようになりました。


今の子供達はカードゲーム等お金がないと遊べない物で遊ぶことが多く、みんないくらかお小遣いを持たせてもらっているようでした。

この頃、1号にはお金を持たしていなかったので羨ましかったりしたのでしょう。


手を出す事意外にお金の事についての問題が増えて来ました。


何か問題を起こすたびに、私や先生に注意されることに怒り出すと暴れるようになりました。


物を壊す。
ひたすら何かに当り散らしていました。
小学2年生の時に初めて心理内科へ行き、WISKを受けました。

行った病院はネットで調べたのですが、実際行ってみると患者さんは大人ばかり。
子供は1号だけでした。

1号だけ別室へと案内され、私は終わるまで1時間ほど時間潰し。

結果は後日ということで、その日は一旦帰りました。

数日後、結果を聞きに病院へ。
この時、私は始めて担当医に会いました。
診察室へ入り、これまでの1号の状態を聞かれるのかと思いきや【ほぼ正常に近い広汎性発達障害】ですね。とだけ言われました。

WISKの検査のみで彼の障害名を付けられてしまった事に少し戸惑っていると『他に何か?』とでも言いたげな先生。

こんなものなのか?と思いながら、全く初めての経験だったのでよく分からないまま帰ってしまいました。


学校へ診断結果を報告。
だからと言って何も変わらない。
何かしてあげる事もない。
何もしてもらえない。

そんなものなのです。


療育を受けさせたいと思いましたが、母子家庭の我が家にはそんな余裕は全くありませんでした。

学校へ通いだして1年以上が経ち、支援学級に入っている事がお友達から不思議に思われている事が不快に感じだした1号。

先生との毎日のノートのやり取り(私が)を嫌がり、元々嫌だった支援の先生とぶつかり合う毎日。

少しずつ学校が嫌になっていました。
1号は自分が嫌になって来ていました。

パニックを起こすと『俺なんか居なくていい!なんで産んだんだ!!』と言い出していました。
『俺が死ねばいいんだ!』と・・・。

悲しくて、腹立たしくてたまりませんでした。


この頃から物を投げたり壊したりする事が少しずつ増えて行きました。
小学校へ通い始めた最初の数ヶ月。

やはりじっとしていられなかったようです。

ただ、暴れ出したりはしていませんでした。
急にトイレへ勝手に行ったり、お友達の邪魔をしだしたり。。。

1学期の終わる前にはちゃんと座って授業を受ける事が出来ていました。
支援学級に所属していますが、支援の教室に行く事無く普通級での授業に支援の先生が入ってくれていました。

しかし、この先生とは仲良くする事が出来ず最終的には担当を代えてもらうことになります。


勉強面では私がビックリするぐらい、ちゃんとみんなについて行けていました。
正直、全然ダメなんじゃないかと思うぐらいでしたから・・・。

しかし、生活面ではちょっかいを出す事を止められなかったり、言葉で言わずすぐに手が出てしまったりで学校からの呼び出しはしょっちゅうでした。

この時もまだまだ、私の頭は下げっぱなしです。


父親と離れましたが、週末は父親の所へ行くような感じで過ごしていました。
1号2号二人ともです。
私はニコニコで出掛けて行く二人を見送っていました。
でも、実際はそうじゃなかった・・・

私が居ない所で、父親は彼らに【ネグレクト】をしていた。
この事を知ったのは、去年です。(2013年夏)
ビックリしました。
何故、私に言わなかったのか・・・言えなかったんだ。。。言えないようにしていたのは私だと思いました。
凹みました。
彼らがそんな状態にされていたとは・・・
子供に対しては絶対にそういう事はしない人だと思っていた。
でも、していた・・・。

彼らの心の傷は今現在も大きく残っています。
1年生だった1号は認識する力も持っていた為にこのことが大きく引っ掛かっています。
発達障害だけでも大変な彼の頭の中。。。
ネグレクトを受けていた事でもっと大変なことになっています。


幸いにも2号は1号程、大きな傷になっていないようです。
まだ小さかった4歳だった2号。
されている事は分かっていても、それがどれほどの事なのか理解出来ていなかった事が幸いしているのだと最近知りました。


そして、父親は私の悪口をいつも二人に言っていたそうです。
『帰ったら叩け!』などと私に攻撃するように言っていたそうです。
発達障害である1号にとって、冗談なんて通用しません。


私は1号の攻撃の的になって行きました。