蓼食う虫も好き好き -8ページ目

蓼食う虫も好き好き

自分が何科のなんという虫かはわかりませんが、時々見つけた蓼を齧ってみたいと思います



   例のタイ人の友人は、自らの経験を踏まえ、商売のことも考えながら、

 
   自ずから住居を確保することが難しい外国人のために、


   それなりに手はずを整えた上で、


   彼等に住処を提供している



   自ら住処を確保できない身分にある彼等であるからして、


   当然、その前提となる稼ぎも不安定である


   ということは、提供している住処の出入りも激しいものとなる



   ある住処が空いたとき、そこの清掃を担当するのが、わたしなのだが、


   そういうときに感じるのが、そこに住んでいた連中の、


   それまで培って来たであろう教育環境なのである



   台所の流しもそうだし、


   風呂場なんぞ特に目立つことなのであるが、


   後のことを全然考えていないのである



   流しに油を直接流せば、流し自体も気持ちいい状態ではなくなることは勿論、


   中長期的には、排水のパイプが詰るという弊害も生ずる


   連中のほぼ99パーセントがお風呂をシャワーで済ますので、


   風呂桶に座った目線での状態をほとんどが把握していない


   使用後に、しっかり周りを洗い流さないと、


   黒いポツポツが発生するということを認識していない



   それらの不都合を未然に防ぐのは、


   その場その場におけるちょっとした気遣いだけなのだが、


   そんな簡単なことも、解らない連中がほとんどなのである



   公共的とか、合理的とかいう観点は、


   やはり適切な教育あってこそもたらされるものであろう


   徒に知識ばかり与えるのは弊害有りだが、


   おのれで判断できる最低限の教育はやはり必要だろうと思う



   もっと簡単に言うと、


   おのれの判断は、すべておのれに帰って来るのだぞ、ということなのだ


   
   それは、突き詰めると、『猿の惑星』にならない様にするということなのだが、


   そこまで普遍化すると、また足元が見えなくなる


   
   まあ、とにかく今日は後始末で疲れたということで、


   そんなことを考えたりした



  


   わたしの田舎では、『ごめんなさい』という意味で『かんな』という



  



   これを見る限り、橋本環奈って、



  



   ここ出身?



   ということは、まず無いだろうから、『かんな!』



  


    もう一回、『かんな!』


  もうい~くつ寝~ると~お~正月~


  と、その恐ろしさも知らずに年が明けるのを楽しみにしていたのは、


  遥か昔の御幼少の頃だ



  翻ると、


  もう、一年と二十七日寝ると、赤いおべべをお召しになる年まで来てしまっている



   「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、

    四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、
 
    七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず


   (私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、

    四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、
 
    六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、

    七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」

                                    『論語・為政』



   わたしは、いまだに惑い、天命って何?で、人のことばに抗いっぱなしだ


   そのかわり、七十にはまだ間があるけれど、思うままに生きているかもしれない


   ただ、人の道には若干はずれっぱなしだ



   今日、それにふと思い至り、


   『恥の多い生涯を送ってきました』とか、


   『生まれてきてすみません』とかいう、


   太宰治のことばを想い出した次第だった



   実際は、相も変わらず雰囲気でのみで生きているのだが…