蓼食う虫も好き好き -37ページ目

蓼食う虫も好き好き

自分が何科のなんという虫かはわかりませんが、時々見つけた蓼を齧ってみたいと思います


   例のタイ人の友人が、

   「ありす、ねこ、たべる」とのたまった


   

   だったのだが、思い当った


   詳しく述べると、


   しばらく前に買った『りす』が、

   檻のなかで可哀そうなので、

   しばらく放してあげたのだという

   そうしたら、『りす』の後に飼うことになった『ねこ』に喰われてしまった

   ということなのだ



   以前触れたことがあるが、

   例のタイ人の友人は、『まくら』が覚えにくく、『かまくら』と覚えていた


   その伝で、『りす』が覚えにくかったので、『ありす』と言っていたのである


   ちなみに例のタイ人の友人は、子と共に『Alice In Wonderland』を

   何回か観ている


     なぜか知らねど、ゆーつべの貼り付けが出来ん


  


   わたしの夢は、どちらかというと実際に存在する人間との絡みが多い

   これは実体験に根差した深層?意識の表れだ



   ところがだ

   先日見た夢で、わたしは戦時下とも思える体験をした



   うろ覚えではあるが、一番は見渡す限りの爆弾落下の状況だ

   これは夢の中では、『遂に核戦争が始まった』という感覚だったのをうっすらと記憶している

   しかし、わたしは爆撃直後に居合わせたことなど無いし、

   ましてや、核攻撃に曝されたことなどあるわけ無いので、

   何らかの映像を夢の中で実際に体験し、

   何らかの情報が、核戦争を想起させたのだと思われる



   二番目には廻りが水に覆われていたということだ

   そして、ひとびとは仮の施設に滞在し、

   緊急時に食べるような食事をしていた

   これは、東日本大震災の情報の記憶が見させた光景か?



   夢について研究したことが無いので、

   その関連性とかを述べるには力不足だ



   だが、危機意識の表れなのだろうことは推測できる

   何に対する?

   

   そんなこたあわからん


  
 


   例のタイ人の友人の店の店先で一服やっていると、


   カエルの合唱が聞こえてきた


   が、


   肌寒さのためなのか、若干の違和感を感じる



   今読んでいる保坂和志『小説の誕生』の影響もあって、


   世界は、むしろ理路整然としてはいないのだ、とは想う



   線路の様な人生は無い


   線路の様な世界も無い


   そもそもハチャメチャなのだ



   一寸の心地よい瞬間と、


   邪魔されることのない睡眠を得られることの幸せをありがたく思う