蓼食う虫も好き好き -29ページ目

蓼食う虫も好き好き

自分が何科のなんという虫かはわかりませんが、時々見つけた蓼を齧ってみたいと思います



   別荘といったて、軽井沢に別荘を持っているお金持ちの連中の別荘が、

   いくつも入ってしまうような大建築らしい


   これ



   完成が今年の12月ということなので、取りあえずそれまでは大それたことは

   起こらないということなのだろう



   それにしても、 ビル・ゲイツの というところが、如何にもせこい

   日本人も舐められたもんだ



  

   玉置浩二と、清原和博がダブってしまうのはわたしだけ?

   昨日、運転しながらFMを聴いていたら、


   ピンキーとキラーズの『恋の季節』が流れていた



   これが流行っていた頃わたしは小学校6年生であった


   
   ボーカルはピンキーこと今陽子であった


   テレビで観る今陽子に、要するにその頃のわたしは欲情していたのだと思われる


   彼女の、陰毛が欲しいと願っていた記憶がある




   そして、それを遡ること3,4年、


   小学校3年生か4年生の頃、バスに乗った時のことだ


   座っている幼いわたしの目の前に、処理しきれていないわき毛を曝す女性がいた


   夏だったんだろうと思うが、兎に角そのわきの下の光景があった


   そして、それを見たわたしの、おちんちんが硬くなってしまったという記憶がある


   無論、おちんちんが硬くなるということがどういうことなのか、


   なぞ、その時のわたしには判るはずもない


   だが、そういう現象があったことは鮮明に覚えている



   性欲というものが本能だということだ



   中学生の頃、近所の市営住宅の傍を通った時、


   その部屋の、当時二十代位だったんだろう女性が、

  
   ホットパンツで四つんばいになって掃除をしているのが見えた


   その、おしりにおちんちんを当てたいと思ったのも記憶上にある



   以上の経験のすべては、人間の男女の営みを知る以前の出来事である



   本能なのだ



   そして、この厄介なものが、世の中の(人間様の)ほとんどのことへの動機となっている


   ということは、どうしようもない事実なのだ ドクロ


   ったりするかな ?



   
 


   2月21日に亡くなった親父の遺品の整理をしたら、


   般若心経を認めたノートが何冊も出てきた


   
   写経をしていることは、わたしも御袋も妹も知っては居たのだが、


   あれだけの量を熟していたのは知らなかった



   写経をした日時まで克明に記されていたが、


   草木も眠る丑三つ時にもしばしばやっていたようだ


   そして、入院する数日前までそれは続いていた


   しっかりとした、几帳面な字を書く親父であったが、


   最後の方は流石に乱れがあった



   まだ整理しきれていないので、その全貌が明らかではないのだが、


   28年間に及ぶ癌との戦いの軌跡の一部であることは確かだ



   末期に近い頃のある日のそれの末尾に


   いずれ、われわれが観ることを見越してのことなのだろうが、


   『〇〇、〇〇、〇〇、有難う』とさり気なく記されてあった



   遺書らしきものは残さなかった親父の、われわれへの気持ちの


   それが、全てであったのだろうと思う




   

    わたしは、昨日これに2時間16分20秒付き合った