欽ちゃんファミリーの見栄晴
わたしは、稀に彼に似ていると言われた
差しあたって、


今の自分に似ているかなと、思わぬでもない
ごついところなどは、≒ である
さて、佐伯泰英の『居眠り磐音江戸双紙 無月ノ橋』(双葉文庫)を読んでいて、
こんな記述に巡り合った(抜粋させてもらう)
日光社参は八代将軍吉宗が参拝した享保十三年(一七二八)以来、四十八年
ぶりのことだ。
その折り、吉宗の従者は十万人に及び、行列の先頭が深夜の九つ(午前十
二時)に江戸城を出立、後尾が動き出したのは四つ(午前十時)であったとい
う。
中略
ちなみに安永五年(一七七六)の日光社参に動員される人数は、助郷まで含め
ると四百万人、馬は三十万五千頭、かかる費用は二十二万両といわれた。
日本という国は昔からこんな不合理な無駄遣いをしていた
それも、体面、見栄のためだ
もうちと、自然体で生きられる風通しのよい国にはならないのだろうか
ちなみに、居眠り磐音こと坂崎磐音の生き様がそのよいお手本ではないか
と、わたしは思いながら楽しみつつ頁を捲っている