よくちゃんというひとの、「小心者」というブログを読んでいたら、
ラオスに行った際にイミグレーションで会ったラオス人の青年の話があった
青年は日本語で、『鹿島の近くで2年間農業研修していました。・・・』
と話しかけてきたらしい
なんでも、ラオスに戻っても仕事が無いので、ビエンチャンでイミグレカードの書き方etc
教えたりして、1,000キープ(約10円)貰う仕事をしているとのこと
わたしもラオス出身の農業研修生とはそこそこの付き合いがあった
例のタイ人の友人の店に集まってくるのだ
ラオスに限らず、ベトナム、中国、スリランカ等、様々な研修生と知り合ったが、
中でもラオス人との付き合いがわりかし多かった
店と彼らの派遣先のアパート間の送り迎えをよく頼まれた
そんな折にたびたび交わされた会話が帰国後の仕事の話だった
ほとんどは、帰っても仕事が無いと言っていた
中には、お国で銀行マンをやっていた様なエリートも混ざっていた
銀行の仕事を辞めても、日本へきて研修生をしている方が金にはなるのだ
限られた期間の中で、我慢に我慢を重ねてお国へ送金した者はいいだろう
あるいは、ちゃんとスキルを習得し、それを生かせる環境がある者もまだいい
実際のところは、日本で贅沢を覚えてしまい散財してしまうとか、
ちょっとしたことで捕まって帰国させられたり、
あるいは研修先の要求に答えきれずに放免されてしまったりが結構あるのだ
そういう結果をもたらすのは、本人たち研修生の責任だけでは無い
研修生を受け入れる方にも多くの責がある
研修生受け入れ元の人間とかから直接話を聞いたこともあるし、
研修生たちが手にしているお金も大概は見当が付く
研修生受け入れという美名のもとに様々な思惑が絡んでいる
けれども、綻びは矢張り弱い立場の者の元に帰結してしまうのだ
わたしがラオスへ行ったら案内してくれるとか、
もう一回日本へ来たいので、その折は手を貸してくれとかの話はあった
どれだけ実現できるかははなはだ覚束無い
ラオ語はほとんどタイ語に近いので、かれらとの会話は
日本語、タイ語、英語のチャンポンだった