桃李ものいはざれども、下おのづから蹊を成す | 蓼食う虫も好き好き

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自分が何科のなんという虫かはわかりませんが、時々見つけた蓼を齧ってみたいと思います



   わたしの出身校の名は、本日のタイトルから採られています。 「史記」の中の一節です。



  きのう、出身校のHPを眺めていたときに、どっかで目にした名前だな~と思って確認してみると、



  やはりそうでした。



  3月21日の記事で紹介した 上のほうのひとびと のなかに出てくる名前でした。



  なんと現在 下のほうのひとびと であるわたしの古~い先輩だったのです。



  ひょんなところで、ひょんな繋がりがあったもんです。





   ちなみに、S・A現内閣総理大臣も卒業生のひとりです。



  わたしは一浪して入学したのですが、どうも入れ違いくらいだった様です。




   

   在学中にすれ違った可能性があるのは、



  俳優の中井貴一氏、ビジュアリストの手塚眞氏(手塚治虫氏の子息)、かれらは共に1961年生まれです。



  あと、作家の石田衣良氏、かれは1960年生まれです。



  ちょっとマイナーにはなりますが、ジャズプレーヤーの本多俊之氏、かれはわたしと同年の1957年です。



  本多氏とは、むこうは700%覚えていませんが、少なからずの接触がありました。



  なんで1957年のわたしが1961年組とすれ違った可能性があるかって?



  それはわたしが、一浪の上に、さらに二留をコイタからです しょぼん 





   もう、付き合いは間遠くなってしまいましたが、アイドル評論家の北川昌弘氏とは、



  サークル活動を共にしていました。




          北川昌弘氏の仕事




  北川氏はわたしのことを覚えてくれていると思います。





   いずれにせよ 縁というものは本当に異なもの ではあります。