米アメリカンフットボールの元スーパースターで、前妻と友人の男性を殺害した疑いで逮捕され、無罪評決を受けたO・J・シンプソンが10日、がんのため逝去しました。享年76。

 

RBとして活躍したシンプソンは、南カリフォルニア大時代に全米大学最優秀選手に与えられるハイズマン賞(『ジョーイ』のお兄さんが受賞した賞)を受賞。69年のドラフトでビルズから全体1位で指名され、73年にはNFL史上初めて2000ヤードを越える2003ヤードを獲得しました。プロ11年間の通算では1万1236ヤードを記録。オールスター戦のプロボウルには6度選出され、85年にはNFLの殿堂入りも果たしました。

 

シンプソンはプロ選手を引退後も、俳優やコメンテーターとしてテレビなどに出演して人気を博しました。

 

1994年に前妻と友人の男性を殺害した疑いで逮捕され、翌95年に無罪の評決を受けた裁判は、人種問題も絡み「世紀の裁判」とも呼ばれました。逮捕時のフリーウェイでのカーチェイスの生中継は、忘れられません。映画じゃなくて、本物でしたからね。無罪の判決を受けた刑事裁判では、金にものを言わせ、辣腕弁護士を複数雇い、チームを結成。亡くなったのが白人男女であり、殺したのが黒人男性とされたことから、いつのまにか、殺人事件ではなく、人種問題が主軸に代わってしまいました。

 

 

『アメリカン・クライム・ミステリー』というドラマシリーズで、O.J.シンプソンのこの殺人事件裁判の一部始終を見ましたが、限りなくクロに近いグレーでした。実際、遺族に訴えられた民事裁判では有罪とされています。このドラマでは、『フレンズ』のロス・ゲラー役(モニカの兄)のデヴィッド・シュワイマーが、O.J.の昔からの友人で弁護師団の一員として出演していました。彼は、O.J.の無実を心から信じていたのですが、亡くなったO.J.の妻と親しかった妻からは、弁護団を辞めてくれ、と言われてしまいます。そして、最後、無罪を勝ち取った後に、屋敷で開かれたパーティで、本当は有罪だったということを知り、ショックのあまり、戻していた姿は非常に印象的でした。

 

俳優としては、『ルーツ』のクンタ・キンテの父親役で、生まれたばかりのクンタを、天の神様に見せるように捧げ持つ姿が印象的でした。『タワーリング・インフェルノ』では、消防士役。『カプリコン1』では、逃げ回る3人の宇宙飛行士のひとりでした。映画もドラマも名作に出ており、そちらのほうの活躍は、目覚ましいものがありました。

 

私は、彼は限りなくクロに近いグレーだと思っているので、いつものように安らかにお休みください、とは言えません。神の審判を受けてください。