山本陽子さんが、心不全で逝去されました。享年81。

 

家に帰られて、ほぼすぐに亡くなられたそうで、せめてもの幸いは、苦しみがなかったことでしょうか。

 

山本さんは高校卒業後に、証券会社に就職。当時は女優への憧れは全くなかったが、1963年に知人が「日活」に山本さんの応募書類を送ったところ、合格の通知が来たそうです。当時の規定は19歳でしたが、山本さんは21歳で第7期ニューフェイスとして入社し、同年「光る海」の女子学生役でデビューしました。同期に西尾三枝子、谷隼人らがいました。

 

訃報を受け、日活は「山本陽子さまのご冥福を心よりお祈りいたします」とコメントを発表。「1963年に第7期日活ニューフェイスとして芸能界入りし、翌64年高橋英樹さんの相手役として『抜き射ちの竜 拳銃の歌』で本格デビュー。その後『青春の裁き』『青春の風』等、数多くの日活作品に出演されました」とこれまでの歩みを振り返り、故人を偲びました。

 

山本陽子さんといえば、着物が似合う清楚な美人でした。『となりの芝生』や、最近見た『不毛地帯』での仲代達矢の良妻賢母で清楚な妻役が深く印象に残っています。

 

『オレゴンから愛』でも、特別ゲストとして登場しました。

 

長きに渡り女優として活躍した山本さん。65年から66年にかけて放送されたTBS「ナショナル劇場 七人の孫」では和服姿の楚々とした女性を演じ、これを見そめた山本海苔店の社長が同社CMへの出演をオファー。67年から22年まで実に55年にわたって続き、42年を過ぎた2010年に「専属タレント契約の世界最長記録」としてギネスに認定され、以降も更新を続けていました。

 

71年には森光子さん主演「放浪記」の「悠起」役で初舞台を踏み、80年の「花埋み」で初主演。94年の「おはん」の演技で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。06年には「いろどり橋」で名古屋演劇ペンクラブ賞を贈られました。08年、09年には「放浪記」の舞台で「日夏京子」役で上演回数2000回の記念舞台に出演し、花を添えました。今年2月2日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」が生前最後の出演番組となりました。

 

そういえば、田宮二郎と共演した『白い滑走路』もありましたね。

 

小さい頃からずっと見てきた女優さんが、ある日突然亡くなられる……。ショックです。最近、特にそういうニュースが多いです。私も年をとったということでしょうか。

 

安らかにお休みください。