楢崎正剛選手の引退 | 銀幕と緑のピッチとインクの匂い

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映画は洋画、それも古い映画が大好き。本は外国文学。ドラマは洋物。サッカーは海外チームと代表の応援、という思いっきり偏った嗜好で、天の邪鬼に感想を語ります。但し、脱線話題多し。

グランパスのGK、そして元日本代表としてW杯に4大会連続出場した楢崎正剛選手が1月8日に、現役引退を発表しました。



ニヒルな外見に、ストイックな姿勢。大好きな選手でした。



彼も42歳になりました。ここまでには、晴れがましい歩みがあります。Jリーグでは、歴代最多となる631試合のピッチに立ってきました。リーグ制覇を果たした2010年には、GKとして初の年間MVPにも輝きました。優勝カップを掲げる姿は、はっきり目に焼き付いています。グランパスで20年、選手として活躍。最後の一年だけは、ピッチに立てず、悔しい思いも残しての引退だったと思います。



日本代表でも、様々な姿が思い浮かびます。まずは、シドニーオリンピック。オーバーエイジで出場しました。何戦だったでしょうか。脳震盪を起こして、朦朧としながらプレーを続けた姿を、冷や冷やした思いで見守りました。



トルシエ監督は、楢崎選手を正キーパーとして重用しました。当時世界一だったフランスとのアウェイ戦。トルシエのツテで、クレルモンフェランも使わせて貰え、世界一のチームと試合出来たなんて、何と光栄なことだったでしょう。でも、結果は5-0の惨敗。キーパーとしてのその悔しさは、言葉では語れないものだったでしょう。仕方ありません。相手は、ジダンやアンリやトレゼゲ。誰だって、太刀打ちできませんって。でも、この負けを糧に楢崎選手は成長していきました。



2002年の日韓ワールドカップ。ピッチに立ったのは楢崎選手。引退会見で、最も記憶に残ったというロシア戦。ワールドカップでの、初勝利でした。4年前に初めてワールドカップに出場したチームが、いくら地元開催とはいえ、勝ち点3をもぎ取った。日本のサッカー史上、最大と言っても良い出来事だったでしょう。



後輩からは、楢さんと言って慕われました。本田圭佑選手も、吉田麻也選手も、元グランパス。楢さんから、サッカーの色々なことを学んで育っていきました。吉田選手は、楢さんから、「喧嘩はくだらないからやるな」と言われたそうです。



同じ日に、現役引退を発表したボンバーこと中澤選手は、楢さんと、仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしているそうです。その彼も、楢さんの背中を見て育ったと言っていました。



日本代表からの引退を発表。まだまだ出来るのに、後進に道を譲るためでした。川島選手も、楢さんの背中を見て、育ったと言っています。



本人自身が偉大なキーパーであっただけではなく、後輩たちに多大な影響を及ぼした方でした。願わくば、グランパスに残って、コーチをしてサッカーに関わっていって欲しいです。



WOWOWのリーガエスパニョーラの放映では、以前から時々ゲスト解説として、出演していました。これから、もっと登場してくれるといいな。



長い選手生活、お疲れさまでした。そして、ありがとう。