ゲーリー・サトウ氏全日本監督へ | 銀幕と緑のピッチとインクの匂い

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映画は洋画、それも古い映画が大好き。本は外国文学。ドラマは洋物。サッカーは海外チームと代表の応援、という思いっきり偏った嗜好で、天の邪鬼に感想を語ります。但し、脱線話題多し。

 カーチ・キライ に代表されるアメリカ男子バレーボール黄金期にコーチを務めた日系アメリカ人のゲーリー・サトウさんが、全日本男子バレーチームの監督に就任することが決まりました。


 84年のロス五輪金メダルから始まるアメリカ男子バレーの黄金期は、85年ワールドカップ、86年世界選手権、そして88年のソウル五輪制覇と、4連覇という輝かしい成績を収めた時代です。サトウ氏は、85年にマーヴィン・ダンフィー監督のもと、コーチに就任し、長くその職を務めました。85年のワールドカップ時には、家庭の事情で来日できなかったダンフィー氏に代わって、実質的監督を務めました。


 88年のソウル五輪でもコーチで、妹はアメリカバレー女子チームメンバー、弟はバレーの男子チームメンバーと、サトウファミリーは、日本でも注目を浴びたものです。


 アメリカバレーは、データバレーの先駆者で、当時にして既にパソコンをベンチに持ち込み、様々なデータを駆使して作戦を練っていました。2人制のレシーブや、セッター体格にパワーヒッターを置くスーパーエース制、リードブロックなども皆当時のアメリカが考えたもの。まさしく、現代のバレーの礎を築いた存在でした。


 キャプテンのカーチ・キライをはじめ、セッターのドボラック、センターのティモンズとバック、エーススパイカーのパワーズ、キライの対角を務めたバージンズやストブルトリックなど、メンバーにも恵まれました。ついでに、皆そろいもそろって格好良かったです(笑)。


 アメリカ男子バレーの熱烈ファンだった私は、彼らが来日すると日本中を駆けずり回って試合を見に行き、果てはとうとうアメリカにまで訪ねていってしまいました。


 ゲーリー・サトウ氏とも、実はお話したことがあります。大阪で行われた日米対抗バレーの時、試合が終わってから残っておられたサトー氏に図々しくも話しかけ、さらには一緒に写真も撮って頂きました。小娘だった私のお願いに嫌な顔もせず、温厚に接して下さったサトー氏には今も感謝しています。


 

 そんなサトーさんが、全日本監督に。今、58歳だそうです。温厚だけれど、鋭い頭脳を持つ彼のことですから、きっと良いチームを作り上げてくれると思います。サトーさん、ようこそ日本へ!応援します。