女子バレーの吉原知子が引退しました。スポーツ面をワールドカップニュースが席巻する中、ひっそりと報道された引退でした。 アテネ五輪で、若い選手を鼓舞し引っ張るキャプテンとしての彼女の姿をご覧になった方もいるでしょう。確か今36歳。バレーの選手寿命も随分延びて来ましたが、それでも女性でここまで頑張る姿は今まであまり見られなかったものでしょう。いつの頃からかすっかり低迷してしまったバレー界ですが、人気だけは時々盛り返し、今も女子バレーはメグカナを筆頭に人気だけは随分あります。ワールドカップなどもテレビのゴールデンタイムで放映され、アイドル並の人気が出る中、常に厳しい表情で吉原は試合だけを見つめてきました。そこに、酸いも甘いも噛みしめたベテランの姿を見たものでした。あまりに若いチーム故に、まとめる人、世界を知った人が必要だということで、全日本に呼び戻された彼女ですが、一回り以上も年齢の違う選手たちを相手にするのは並大抵の苦労ではなかったと思います。ご苦労様という思いでいっぱいです。
確か、彼女がデビューしたのは、88年のソウル五輪の年ではなかったかと思います。その年(正確には89年になっていましたが)の日本リーグ(Vリーグじゃないんですよ)では、日立とユニチカの優勝争いが繰り広げられ、直接対決か何か、とにかく手に汗握る形で日立に軍配が挙がったと記憶しています。日立は、ベテラン杉山、セッター中田、エース大林など黄金時代の顔ぶれ。そんな中で新人として入ったのが吉原でした。この時、同じセンターポジションには新人がもう一人いて、それが廣。若い時から全日本の絶対的なレギュラーとして活躍してきた彼女ですが、大学を卒業して大学院に進み、それと同時に突如日本リーグ入りするにあたって日立に入ったというかなり変則的な新人さんでした。新人とはいっても、名前も力も超一流。そもそも日立に入ったのも、長く全日本で組んできた仲良しの中田がセッターであり、他のメンバーも全日本でずっと一緒にやっているから、ほとんど当然のようにそこにいたという感じでした。新人でありながら新人でない廣と組んだ、文字通り新人の吉原はやりにくかっただろうな、と当時でも思いましたっけ。あの年の新人賞は結局どっちだったのかな?
178cm、あるいは179cmとされる身長は、センタープレーヤーとしては当時としても決して恵まれたものではありませんでした。ただ、若いけれど不思議なくらいポーカーフェイスで精神的強さを感じさせるプレーヤーでした。90年代に入って女子バレー受難の時代が訪れ、日立を解雇、セリエA挑戦など、バレー界に於いて常に草分け的存在を演じ続けることになったのは、運命の皮肉だったのでしょうか。 私が見ていた当時も、バレー界はほとんどアイドルスター扱いされる世界ではありましたが、今のそれはやはりもっと過激に映ります。女子バレーの選手が週刊誌の見出しになることなんて、まずありませんでした。そんな変化をさぞかし彼女は苦い思いで受け止めてきたのでしょうね。精神的な強さや頭脳を活かして、自ら味わった勝利の喜びも辛い経験も活かして、いつか指導者の道に立ってくれると良いと思います。彼女のような指導者がそろそろ出てきても良い頃でしょう。