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世界エイズデー

12月1日は世界エイズデーだ。


世界的レベルでのエイズまん延防止と患者・感染者に対する差別・偏見の解消を図ることを目的として、1988年に世界的に定められたのだが、いまひとつ浸透していないように思う。


この時期に合わせて各地でライブ活動などが行われているが、ライブそのものを目的に来場する人が多く、「エイズについて考える」ということはほとんど達成されていないのではないか。


今年も行われたap bank fesは主目的として地球環境について考えよう、そしてできることから始めよう、というコンセプトがあった。会場で出るゴミを分別させたり、会場で使用されるゴミをリサイクルして作られたゴミ袋を配布したりして、そのコンセプトはライブを通して来場者には少なからず伝わっていたように思う。


エイズについては、そのテーマがエコとは異質だから、単純に比較はできないとはいえ、ライブの節々にエイズについて考えようとか、会場でエイズに関するパンフレットを配布する程度では、その目的の浸透度という点で言うとイマイチだと思う。


ライブでの収益をエイズ基金に寄付しているとすればそれ自体非常に意義があるし、ライブへの来場者もチケットの購入を通してエイズ撲滅、あるいはエイズに苦しむ人たちを助けているという意識を持てる。だがせっかくのエイズデー、ましてや先進国で唯一感染者が増えているという日本でのイベントなのだから、エイズに対する意識を高めてもらうことを目指すべきだ。


しかし、ライブでそれを実現するのは非常に難しいのも事実で、来場者に血液検査を義務付けるとか、検査受験を条件にチケットを配布するとか、強硬手段も考えられるが現実的でない。


だから、結局はエイズに対しての意識付けは生活者が日常触れるメディアなり街中で行われることになるが、現在のキャンペーンではその実現は無理だと思う。


電車内でよく目にするポスターに「エイズのことを真剣に考えよう」という趣旨のコピーが合ったように思うがそれはいままでもずっと発信されていたメッセージであり、それでも日本の感染者は年々増えているのだから、そろそろそのスタイルを見直す必要がある。


少し前の「彼の元カノの元彼を知っていますか」というコピーでエイズ意識を高めようというキャンペーンがあったが、あれは現在のものに比べればずっと強いメッセージだったと思う。自分の知らないところでエイズは確実に広まっているという意識を多少なりともつけられたのではないか。


もっと広く世間にエイズについて考えさせるには、もっとエイズの実態を伝える必要があると思う。


一年に何年感染者が増えているとか、性的接触が最大の感染経路であるとか伝えるのも一つの方法であると思うが、もっと生々しく伝えなければ世間の意識は変わらない。


例えばエイズに感染するとどうなるか、エイズ感染者の生活の実態はどうなのか、感染した人はなぜ感染してしまったのか、など、もちろんプライバシーの問題に配慮しながら、できる限りの生の情報、よりエイズ/HIVの現場に近い情報を発信すべきだと思う。


エイズは日常生活ではうつらない病気であり、エイズを差別要因としないための対策も必要だが、性的な接触をすれば感染しうる病気であることもしっかり伝えなければならない。


その上で検査の受検を進めるべきだろうが、検査の義務化はできないのだろうか。


情報化社会の中でこれだけエイズの危険性を発信しているにも関わらず感染者が増える唯一の先進国日本の生活者の意識を変えるのは並大抵のことではない。であれば感染を食い止める手段は強制的に検査させることだ。


検査はプライバシーを徹底して守るから、一般的に会社や学校などで行われる健康診断で行うことは無理だ。とすればそれとは別に検査させ、検査受験者のみに与えられる番号(エイズ検査時のものとはべつのもの)を発行するなどの方法で対処できないか。


主体性がないというわれる日本の国民だから、エイズに対する意識も右へならえだ。検査受験者がマジョリティにならなければ検査を受けようとは思わないだろう。


いじめ問題同様、何年も同じ取り組みで変化を確認できないのに何の変化もないキャンペーンを続けるのはもうやめなければならない。



デジタルテレビが始まるけれど

現在テレビの購入を考えている人の多くは地デジ対応か否かを気にするのではないだろうか。


2011年には現在の規格である地上アナログ放送は完全に終了し、地上デジタル放送対応テレビ、もしくは地デジチューナーを使用しないとテレビが見られなくなる。


地上デジタル放送の魅力は画像のきれいさ、情報の豊富さ(番組を視聴しながら例えばスポーツ選手の情報が同時に確認できたりする)など、アナログでは味わえなかったおもしろさ、便利さがある。


だから、一視聴者としてはデジタル放送への移行は大いに歓迎するのだが、テレビ局関係者は素直にデジタル放送への移行を喜んで待っているのだろうか。


ご存知のようにテレビ局の収益は、基本的には番組の合間に流す広告料に頼っている。デジタル放送が始まることで若干の変化はあるかもしれないが、収益の柱は変わらないだろう。


その広告料を払うのがスポンサーであるが、昨今のテレビ番組全体の視聴率低下、ネット広告への評価の高まりから、テレビCM離れが顕著だ。


ドラマに限って言えば、一部高視聴率番組があるものの、当初の予定より少ない放送で終了せざるを得ないほどの低視聴率にあえぐ番組もあり、結果テレビ局の収益に大きなダメージを与えている。


そもそも、番組が高視聴率であってもそれは番組の視聴率であってCMのそれではないし、録画した番組ならボタンひとつでCMが飛ばされてしまうから、広告主としては、広告の効果が図りやすいネット広告を重視するのは当然だ。


だから、テレビCMで商品の認知を図ろうとすると人気番組を中心により多くCMを放送するか、あるいは有名タレント、人気タレントを起用したCMを制作・放送することになる。


最近特に目にするソフトバンクモバイルやauは半端ではない金額をテレビCMに投資していると思われる。テレビCMを無駄にしないためにはかなりの体力(資金力)を必要とするから、テレビCMを活用する企業は減っていくだろう。


先に述べたような視聴率低迷のせいで、CM放送料金は下がるだろうがそれ以上に効果が期待できにくいため、安い枠を安易に購入することはスポンサーとしては非常に危険だ。綿密なメディアプランと豊富な資金力がないとテレビCMは活かせない。


テレビCMは一部の企業にとってはまだまだ有効なメディアであるのだが、やはり多くの企業にとってはウェブ広告のほうがずっと有効に使えるし、コスト的にも魅力的だ。


となると必然的に企業の広告費はウェブに流れることになり、結果としてウェブ(ウェブTV、情報サイトなど)のコンテンツの質は向上し、ますます企業はネットに資金を投下するという流れになる。


一方で資金を失うテレビ局側はコンテンツの質の低下は避けられないだろう。番組制作費用となる広告からの収益が下がるし、社員への給与減による社員の質も下がるからだ。


デジタルテレビが始まってハードとしてのテレビのはほんとうにすばらしいものになると思う。だが肝心のソフトがそれに追いつかないのではないか。


デジタルテレビがこれからますますクローズアップされていく(テレビ局側はそうせざるを得ない)のを横目にネットはそのインフラを着実に整備し、どの家庭でも、あるいは個人でも大容量のコンテンツを楽しめるようになっていく。


映画、音楽、バラエティ、スポーツといったコンテンツが、オンデマンドで、しかも双方向で楽しめるネットが放送の主役になることは間違いないだろう。


放送と通信の融合とは合体によってもたらされるのではなく、通信の進化として実現されるのではないか。


デジタルテレビ放送のための新東京タワーも完成するが、それが放送という機能よりも、一建築物としての観光名所として存在していくような気がしてならない。



ネットに負けない雑誌

ネットの普及で打撃を受けるテレビ、新聞に比べ、雑誌が元気だ。


発行部数は10年前の3/4に落ち込んでいるというが、続々と新しい雑誌が創刊されている。


提供する情報はともに写真、文章であり、がっぷりよっつに組み合うように思われる雑誌媒体がまだまだ勢いがある理由はなぜか。


ネットの打撃を受けているといわれるテレビ、新聞について考えてみる。


テレビについて言えば、その視聴スタイルはながら視聴(とりあえずつけておく)、あるいは特定の番組を視聴(ピンポイント視聴)の2タイプに分けられる。


ながら視聴についてはともかく、ピンポイント視聴についてはメディア主導のスタイルであり、視聴者の都合は(録画しない限り)考慮されない。つまり、好きな時間に見れない。そこをついてきたのがネットだ。


ウェブTVはオンデマンド放送(好きな時間に視聴可能)が当たり前だし、かつてTVで放送された人気番組に加えオリジナル番組も質の高いものが増えてきた。まだまだ未知数の部分もあるとはいえ、広告媒体としての評価も上がってきており、投資先をテレビからネットに移行する企業も少なくない。


また、YouTubeに代表される動画ファイル共有サイトも一般的になり、テレビをつけなくとも面白い番組を観られる環境が整ってきた。


新聞を見れば、収益の柱である配達購読をしない世帯、あるいは個人が年々減っており、購読しない人たちはネットで各新聞社のサイトを確認したり、あるいはグーグルを使って必要なニュースだけを確認している人もいる。しかもそれは無料だから、今後そういったスタイルをとる人は増えていくだろう。


テレビ、新聞とも、同様の情報を得る媒体としてネットの方に分があると判断された結果、苦戦しているのだ。


対して雑誌はどうか。


どの雑誌もテレビや新聞と同様、ウェブサイトを持っており、情報更新の便利さを考えるとむしろネットの方が便利なように思われる。実際、例えばクーポンマガジンやアルバイト情報誌などのウェブサイトは非常に充実していて、冊子は要らないのではないかとも思う。しかし冊子を利用する人も一定数存在し、冊子がなくなる様子はない。


消費者はその内容だけでなく、携帯性を評価して雑誌を購入している。どこでも手軽に見られることが冊子がなくならない理由だ。目の前にパソコンがあろうとも、ペンや折り目をつけることで簡単に情報のチェックが可能であり、またネットのつながらない地下鉄内でも読める点もネットにはない特徴だ。


また、雑誌は広告を大きな収益源としているが、ネットでは雑誌に展開されるような広告展開(特にファッション雑誌に見られるような、記事の合間に鮮やかな写真で消費者の目をひくもの)が難しいため、広告主の理解を得づらい。スポンサーを無視できない雑誌社はネットでの情報提供はそこそこに、雑誌の質の向上に全力をつくすことになる。


スポンサーと消費者に顔を背けられつつあるテレビ、新聞に比べ、雑誌社はその双方に支持されている。


これが雑誌が元気な理由だ。


そして媒体の特徴だけでなく、よりターゲットを絞って内容を構成している雑誌はよりその力を強めているように思う。





セブンイレブン超いいキブン

セブンイレブンが独走態勢を固めつつある。


普段からよく利用するからデザートや弁当、パンなどのオリジナル商品の充実ぶりは知っていたのだが、先日オリジナルのペットボトル入り緑茶を目にして、冒頭のように思った。


もはや飽和状態とも言われるコンビニ業界で、生き残りのために差別化を図りプライベートブランドを作ることはセブンイレブン以外にもやっているし驚くことではない。小売店に商品を卸すメーカーにとって最も稼げると考えられるカテゴリーへの参入だから驚きなのだ。


稼げるということはメーカーにとって最もうまみのあるということであり、流通に製造からやられては裏切られた気もするだろう。ましてや流通で最も市場への影響があると思われるコンビニ、そしてそのトップであるセブンイレブンがそれをやるのだから気が気ではないはずだ。


緑茶市場はコーヒーと並んでどの飲料メーカーも力を入れていて、伊藤園やサントリー、キリンなど群雄割拠の様相だが、そこに一流通であるセブンイレブンが割って入った。


流通がプライベートブランドとして緑茶を販売する例は別に珍しくないのだが、セブンイレブンが行ったことが、注目に値する。茶以外にもオリジナルブランドで飲料を販売してはいるが、共同開発でありl、単独でのオリジナル商品の販売は珍しい。


一般に流通がプライベートブランドを開発・販売する場合、他のメーカーの商品を販売するのに比べて利益率を上げることが狙いだ。消費者もより安い商品を求めそういった商品を買っていく。


セブンイレブンの場合ももちろんその意味を含んでこれまでアイスや菓子、ドリンクなどを展開してきたと思うが、今回の茶にはこれまで以上の意気込みを感じる。


なにより価格が安い。一般に150円ほどのペット飲料だが、セブンイレブンオリジナル「緑茶」は100円ほど。他の流通なら安かろう~のイメージがつきかねないが、セブンイレブンという強力なブランド力が乗ったこの「緑茶」は強い。ちょうどアウトレットモールのブランド品のように、安くても商品のイメージをまったく下げない。


実際の売り上げはわからないが、早かれ遅かれ茶飲料売り上げの上位に食い込んでくることは間違いない(セブンイレブン内で)。そうなれば伊藤園やサントリーは強力な流通経路をひとつ失うことになり、業績にも少なからず影響を与えるだろう。


全国で1万点を超える店舗を持つセブンイレブンは、自社だけで販売しても十分に利益になるだけの体力を持ち合わせているから、極端に言えばメーカーを置いてきぼりに、どんどん大きくなっていける。


お茶を皮切りにセブンイレブンは自社オリジナル商品をどんどん開発していくだろう。そしてそれらは間違いなく他社製品より安く、消費者はセブンイレブン店内での選択はもちろん、どのコンビニに行くかという選択においてもセブンイレブンの存在感は増していく。


人のいるところに店を構えるスタイルから消費者のほうから寄ってくるシステムへ。


料理の宅配なども行う、もはや一小売と言いづらくなった感のあるセブンイレブンだが、まだまだその成長は止まらない。



小笠原、お前もか。

日本ハムからFA宣言していた小笠原選手の巨人への入団が決まった。


当初から巨人への入団が予想されていたとはいえ、やはり「また巨人か」と思ってしまう。


若手2選手とのトレードでオリックスから谷選手を獲得し、さらに小笠原選手も入団となったが、渡辺会長は「まだ足りない」らしい。相変わらず若手選手のモチベーションを上げる気はないようだ。


果たして巨人にスカウトなど必要なのだろうか。


ドラフト会議にしてもその年の有名選手を即戦力として指名、FA権を取得した選手には片っ端から獲得に動き、また年俸などで他球団ともめたある程度成績を残した外国人選手も同じく総取り。まるで中学生でもできるような補強だ。


しかもそれがほとんどうまく機能しておらず、特にFA選手の場合はひどい。


昨年は西武から豊田選手、中日から野口選手を獲得したがいまひとつぱっとしない。そもそも近年の両投手の成績を考えれば今期どれだけの成績を残せるかある程度は予測ができたはずだ。


原監督はどちらかといえば生え抜きの若手を中心に起用し、それでも戦力的に足りないところを外国人やFA選手で補強するイメージがあった。少なくとも第一次政権の頃はそうだったと思う。


しかし現在は他の監督同様に、テレビゲーム実写版状態だ。


日本のプロ野球がいまいちつまらない現在、他球団ならポスティングやFAでメジャーに挑戦する選手を追いかけることもできたろうが、巨人ではそれもできない。


全盛期を過ぎた選手を毎試合中継されてもつまらないのは当然だ。


小笠原選手は4年契約に惹かれて巨人入団を決めたというが、契約終了前に巨人戦の中継はなくなっているのではないだろうか。


巨人入団に際して小笠原選手のヒゲが話題になっている。茶髪・ヒゲは巨人では禁止されているからだ。かつての常勝軍団時代はそれはそれでありだったかもしれない。大リーグのヤンキースも同様の規則があるらしいが、実力が伴っているとむしろその規則はチームの格式をあげる。今の巨人でのそれは「身の程知らず」の規則である。


あまり話題にはならないがかつて同じくヒゲを生やしていた屋敷要選手は巨人入団後もヒゲをそらなかった。条件は「活躍すること」だったらしい。


スポーツ紙にあまりこのことが書かれていないのはスポーツ記者の怠慢か。



プロダクト・オン・デマンド

テレビCMでもポスターでも、あるいは電車内広告でも「○○で検索」というフレーズを見かけることが多くなった。


広告で伝えきれない情報をウェブサイトで見て欲しいという意図からこのフレーズを広告に入れているのだが、そもそも広告が気になれば言われなくともインターネットで検索するのはもはや当たり前。むしろ検索ワードを指定されることでストレスがかかる。


それでも検索して欲しいワードを指定するのは、ワードを絞り込むことで競合他社のサイトを見せないようにするためだ。


例えばパソコンを売りたい企業がパソコンの広告をしてそれを見た視聴者が「パソコン」で検索すると、パソコンに関連するあらゆるサイトが表示される。


また、検索結果連動型広告(検索結果画面にスポンサー広告と表示されているもの)はYahoo!などの場合入札制だからパソコンなど一般的なワードの場合それなりにコストがかかる。


ユーザーからの注目を自社のみに集中させ、かつ低コストで検索結果上位に表示させるには「○○で検索」と検索ワードを指定するのが最も得策だ。


また、伝えたい情報のページにダイレクトに視聴者を誘導するにもワードを指定したほうがよい。メーカー名で検索しても、ホームページから商品のページまでたどり着く前にサイトを出てしまう場合も少なくないからだ。


昨今の検索誘導広告の増加は、もはやテレビなどのマス広告がネットへの誘導の手段に過ぎないことを示している。テレビCMを見ただけで商品を買うことは、特に商品が高額であればあるほど、ない。


今はまだいいが近い将来必ずテレビCMはどんどんスキップされる。


そうなると、現在のようにCMからウェブサイトを検索させる手法が変わってくるだろう。


プッシュ型の広告手法から、完全なプル型への変換が行われる。


つまり、例えば洗濯機が欲しい人は、「洗濯機」と検索する。


結果、YouTubeのような動画共有サイトに複数の洗濯機のCMが表示され、そしてより詳しい情報を得るために商品のサイトを訪れる、という流れだ。


なぜ検索と商品サイトをダイレクトに結ばないか、と思うかもしれない。


それは、特に洗濯機のような、商品の使い勝手が動画で見たい場合が少なくないからだ。しかもそれはメーカーのHPで見せるより動画共有サイトで見せたほうがユーザーが商品の比較に便利だから、市場の原理として必ずそうなる。


広告→検索→ウェブサイトから検索→広告→ウェブサイトへ。


時代はすべてオン・デマンドに向かっている。









罪の重さの相対性

先日の新聞にこんな記事があった。


ある教諭が飲酒運転をおかして懲戒免職になったのだが、常習性のなさ、代行業者に断られたこと、普段の勤務態度・実績がトップクラスということを理由に処分の取り下げを裁判所が認めたというもの。


これは罪の重さは絶対的なものではなく相対的なものであることを裁判所が認めたのだ。

処分が取り下げられた理由は勤務実績のみではないが、理由のひとつに含まれていることに意義がある。


飲酒運転に対する問題意識の高まりはかつてないものであり、いかなる理由があろうとも飲酒運転は厳しく処分されるべきだ。言い訳の入る余地はない。


飲酒運転に限らず、例えば麻薬や覚せい剤を使用して、あるいはわいせつ事件や暴行事件を起こして起訴されたアーティストや芸能人も、人気や実力があれば何事もなかったかのように復帰し、事件以前と同様に作品を発表したりテレビ番組に登場したりしている。


人気・実力がない場合はそのまま表舞台から消えていく。


経済的格差ばかりにスポットが当てられる昨今であるが、罪に対しての処分の格差も開いている現代である。

言葉の進化と乱れ

先日の新聞記事に日本語の乱れについて書かれていた。


最近よく「よろしかったでしょうか」だとか「~円からお預かりします」のような使い方が間違っていると聞くが、誰が間違いだと判断するのか。


言葉は実際に使われているものが正しいのであり、これまでと異なる使い方をしたら間違いになるというものではないはずだ。実際時代が変われば言葉も変化するわけで、たとえば古典文学の時代と現代とで言葉が異なるのはむしろ自然だ。


「こだわる」という言葉をとっても、ある年代以上の人にとっては「固執する」意味となり、あまりいい意味では使わないようだ。しかし、一般には「極める」といったニュアンスをもつ好意的な言葉として使われている。


しかし、明らかに間違った言葉についてはもちろん注意すべきだ。たとえば「的を得る」といった間違いをする人が多いが、実際は「的を射る」のであって、これは言葉の意味をよく考えれば訂正できる。


一方で、上述の「よろしかったでしょうか」については、一般に間違った使い方とされるが、わたしはそう思わない。仮に何かを確認する際に「これでよろしかったですか?」と聞くことは全く間違っていないと思う。確認するのは過去についてだからだ。また、「全然大丈夫です」とか「食べれる」といった使い方ももはや一般化しており、これを間違った言葉とすること自体間違いだ。


かつては一部の人たちで使われていた「ウザい」という言葉を使う人も増えている。というよりもかつて使っていた人が歳をとっても使い続けているといったほうが正しいか。


いずれにしても言葉は生き物であり、度が過ぎた規制をすべきではない。


美しい日本語が乱れるという心配は要らない。そういった言葉は放っておいても残っていくものだから。

ポスティングを放置する球界の不思議

今年は西武の松坂選手や阪神の井川選手、ヤクルトの岩村選手など、ポスティングシステムを使って米球界へ移籍しようとする大物選手が多く、新聞によく取り上げられている。


ポスティングシステムとはその名の通り入札によって選手との交渉権を得るもので、もともと当時ロッテに在籍していた伊良部選手の米球界移籍に関して特定球団に交渉権を与えられたことに対して他の米球団が反発して誕生したものとされている。


日本球界にとっても日本球界の選手がFAで海外に移籍されると一銭も入らないため、ポスティングシステムはおいしいシステムだといえる。特に今年の松坂選手など大物選手が所属する球団は何十億円もの金額を得る可能性が高く、FAで移籍した場合の保証金より何倍も儲かる。


ポスティングシステムは一般にFA資格を得る前の選手がある種わがままで米球界に移籍する場合に使用されるが、日本球界がこれを放置するのはそんな事情があるせいだと考えられる。米球界にとっても資金さえあれば欲しい選手との交渉権が得られるため、日米間でFA協約を作るより得だという判断なのだろう。


FAを取得するより早い時期に移籍が可能になるとはいえ、選手には球団の選択権はなく、やはり球団に有利なシステムといえる。移籍を許すも許さないも球団の一存だからだ。


だから巨人のような金満球団はポスティングを決して認めない。逆指名や自由枠で巨人を選んだら、豊富な資金を受け取る見返りにメジャーへの早期挑戦をあきらめなければならない格好だ。


巨人への入団が夢だった時代はそれもよかったかもしれないが、夢がいまやメジャーとなった現在、かつて自分の意思で巨人を選んだ選手たちは歯がゆい思いをしているに違いない。


人気凋落に苦しむ巨人だが、早晩ポスティングを認めざるを得ない時期がくるだろう。そうしないと選手が巨人を選ばないからだ。その結果巨人、ひいては日本球界のメジャー2軍化が加速し、ますます球界の人気凋落に拍車がかかる。


ただ、ヤクルトや日本ハムなど、地域密着、ファンサービスに注力する球団もあるので、球界全体の人気凋落とはならないかもしれない。巨人が今のままでは一番の不人気球団になりそうなのは確かだが。

ファンを忘れたプロ野球

日米野球を辞退する選手が相次いでいる。全日本の監督を務める野村監督によると、非公式な打診の辞退者を含め25人もの選手が辞退したという。


日米野球は日本球界の選抜と米大リーグ選抜とで行われるからいわば世界的なオールスターといえる。米選抜には今年、去年の二冠王、城島選手や、井口選手など一線で活躍する選手も多く来日し、春に行われたWBSの雪辱を晴らそうと直前まで合宿を行うほどの気合のいれようだ。


大して日本側は、日本ハムのアジアチャンピオンリーグへの出場という事情もあるものの、一線で活躍する選手が少なく、野村監督がいうように、米国に失礼ともいえる状況だ。


かつての日米野球は日本選手が大リーグに自らをアピールする絶好の機会だった。しかし大リーグで日本人選手が活躍することが珍しくなくなり、大リーグ関係者が日本のペナンとレースにスカウトを派遣するのも当たり前になった。つまり日本の選手にとって、大リーグへのアピールはシーズン中に行えるもので、特に大リーグを目指すような(もしくはポスティングを予定している)選手にとって、日米野球は怪我のリスクこそあれ、アピールの場としての魅力は極めて弱い。だから、日本側からは必然的に若手が多くなる。


もちろん選手にとって怪我は選手生命に関わることだから、体調を理由とした出場辞退は仕方がないかもしれない。しかし、ファンのことを考えれば(ファン投票も行われている)、出場を喜ぶ、もしくは多少の無理をしても出場するのが筋ではないか。


年々日本野球と大リーグへの距離が近くなり、毎年のように大リーグへの移籍の話題が出る。数年前2リーグ制維持のためあれほどファンに訴えたのもいまや昔。日本野球はますます大リーグのマイナー化していく。


数年来に再びリーグ再編の動きが出るかもしれない。しかしそのとき、現状のリーグを維持しようとする選手は多くないはずだ。少なくとも大物選手はそこにはいない。彼らは無事に海を渡ること第一に考えているから日本リーグがどうなろうとどうでもいいのだ。


代わって日本野球を守ろうとするのはこれからの日本野球で活躍するであろう若手選手。そんな状況でプロ野球を応援するファンはいるだろうか。


日本シリーズの北海道地区の瞬間視聴率は70%を超えた。まだまだ熱い日本プロ野球の火は選手自身の手によって消されようとしている。