私には、結婚して10年の夫がいます。

 

 

出会ってからは14年、かな?

 

 

ケンカもするし、ふざけあったりもするし、お互い見えない世界のことを考えるのが好きなので、よく話す方なのかなと思います。

 

 

そんな夫に対して、ずっと、どこか、甘えているというか、依存しているというか、

「この人がいないと、私、生きていけないよぉ!」

と思っていた節があって。

 

 

地震が来たときに私一人だったらどうしよう、とか

 

まじで子育てわたし一人だったらできてない!とか、

 

他にも、大家さんとのやりとりだったり、役所での手続き、車とかいろんな契約関係、仕事上の事務管理、お金の管理など…

 

 

本当に、私はできないことだらけで、ぜ〜んぶ夫にお任せしている。

 

 

こんなとき、

ぽっくり、いなくなってしまったらどうしよう…!!

とか、

 

 

いらぬ考えをめぐらせているだけかもしれない、、、と思っていたが、

 

 

先日、「この世界はリアルゲームプレイだった」って気付きを話しているときに、とっさに私の口から出てきたんです。



このとき↓


 

 

「たとえばーーー、“夫はライフライン”とか!」

 

 

 

そのとき、はっ!!!!!として!!!

 

 

 

わ〜〜〜〜〜〜〜!それだ!😂

 

この不安めいた感情は、私が夫のことをライフラインだと思ってるから手放せない感じがするんだ。

 

あーあーあーあー、なるほどね。と。

 


その場でさっさと、「夫はライフライン」はやめました。

 


「夫とは、配偶者」それだけ。

そしたら、とってもフラット♡



ぎゅうっと握りしめたり、私のところに居ろ!としたり、少々監視めいた感じの「いないと不安」という感じが発動することがなくなりました。

 

 

私も好きなことをするから、あなたも好きなことをして楽しんでね♪

と、ふつうに思えるようになりました。

 

 

そして、日常は変わらず一緒に楽しんでいるという。




 

 

私が勝手に不安がって、干渉する気持ちがなくなったので、私自身がすっごい楽になったというか✨

 

 

 


ライフラインて、電気や水や食べ物、住むところや着るものなど、生きていく上でなくてはならない必要なものですよね。

 

 

上記のこれらは、空気レベルの、ないと死んでしまう!ほどの絶対必要ではないかもですが(水は絶対必要か)、

 

私にとっては、ないと死んでしまう!レベル感で、夫にしがみついてたところがあったんですね。

 

 

それは、夫がしっかりしてて、社会生活を送る上で身につけていると強いスキルや知識、思考力を備えているからなのかな?って。

 


夫は人間的に強くて、私は弱いからすがってるだけなのかな?って思ってたんです。

 

 

でも、違った(笑)

 

 

「夫はライフライン」だとしていたせいだった。笑

 

 

そしたら、私の苦手なことを全部フラットにできる夫はすごいな✨と純粋な尊敬に変わりました。

 

 

と同時に、

私は私で、一人でちゃんと幸せになれる

と思った。

 

※一人で生きていくって意味じゃないですよ!

 精神的に寄りかからずに、

 幸せを自分一人で完結できるって意味です。

 

 

 

夫、配偶者、パートナー。

 

私の夫はぶっちゃけめっちゃおもしろいです🤭

 

今気づいてよかった!

私ががんじがらめにしたままにならないでよかった!

おもしろい夫よ、あなたらしく楽しんでいてほしい✨

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
私の母方のばあちゃんが、小さい頃からずっと、会うたびに別れ際に「頑張れよ〜〜〜!」って泣きながら言うんですよ。
 
 
電話口でも、
「頑張れよ〜、頑張れよ〜(泣)」
 

私に子どもが生まれてからも
「ちゃんと育ててやれよ〜(泣)」
「しっかりしてやれよ、お前も頑張れがんばれ〜〜(泣)」
って、いっつも泣いてて😂
 
 
ばあちゃんって、いっつも泣いてるな〜
 
涙脆い人なんだな〜

私もそれを受け継いだんだな〜
 

でも、大人になるにつれてだんだん、泣きながら頑張れ頑張れ言われるのがちょっとだけ鬱陶しくなってきて。
 
 
そんなに心配されてんのか。
 
心配じゃなくて、もっと頑張ってるところを見て、エールを送ってくれた方が嬉しいんだけど。
 
心配ばっかり感じてたら、病気しやすくなるよ。
 
 
とかって思ってたえー
 
 
 
 
 
でもね、自分も最近、子どもに対してのイライラの気持ちをちゃんと聞いてあげたら、
本当には怒っていなくて、
その奥には、「大切にしたい」って気持ちがあった。
 

こんなにイライラしちゃう私は、子どもを大切にできてないんじゃないかって自分を責めてばかりいたけど、心の底ではちゃんと「大切にしたい」って思っていたんだ。
 
 
じゃあ、大切にするってどういうことか?と問うと、
 
尊重する
 
壊れないように大事にする
 
丁寧に扱う
 
 
とかって出てきて、、、
 

そこには、「恐る恐る触る」みたいな空気感が漂ってたの。
 
 
私、子どもを大切にするときに、何かに怯えるかのように、薄い薄いガラス玉に触るかのように、慎重に慎重に、、、ってなってた。
 
 
でも、そういうのが本当に私のしたい「大切にする」なのか?って思って。
 
 
そうじゃないなって。
 

こんな態度、全然幸せじゃないし、神経すり減らして疲れるよねって。
 
 
 



 
 
子育てってさ、
子よ 育て だと思ったんだよね。
 
 
ちゃんと育てるもの とか
いい教育をさせなきゃ とか
すっごい重たいものを私は乗せていたなって思って。
 
 
子よ育てっていう願いなんだろうなって思ったの。
 
 
大きくなぁれ♡
おっきくおっきくなって、いろんな経験しておいで
どんどん、この世界を羽ばたいておいで♡
っていう。
 
 
 

そしたらさ、
ばあちゃんから電話がかかってきた。
 
 
お盆に会いに行ったときに、私の子どもの写真が小さいときのしかないから、それ見ていつも大きくなったかなって思ってるって聞いて、最新の孫たちの写真を送ったんだよね。
そのお礼の電話だったんだけどさ。
 
 
やっぱりばあちゃん、電話先で泣いてて🤣🤣🤣!笑
 
 
ありがとね〜〜〜ありがとね〜〜〜
毎日、写真、楽しみに見よるよ
って。
 
 
それを聞いて、私もすごく嬉しくなって☺️


たった8枚の写真。
印刷して、110円で郵送して、こんなに喜んでくれる。
 

いつもいつも子や孫たちのことを思ってくれている。
 

ばあちゃんが泣いて言うそれも、大きくなーれという願いだなって。
 
 
ただ表現が違うだけで。


ばあちゃんの願いの表出が、「泣いて頑張れって言う」だっただけで。
 
 
私のこともずっとエールを送ってくれていたんだなって心底思ったんだ。
 
 
ばあちゃん、ほんとにありがとね✨
 
 
 
 
それで、私はどんなのが好みかな?って思ったときに、「子育ては興味と観察」というフラットな感じが気持ちがいいなと思ったし、
私にとっては、そんなふうに関心を注ぐことは「大切にすること」と言えるなって思った♡


 
 
子よ育て♡
大きくなーれ♡
そして私も、もっともっと成長しようっと♡
 
 
 
 
 


私は8歳と1歳の男の子のお母さんをしているのですが、ほんとにまぁ、自分でも自分に辟易(へきえき)するほど、このイライラ、なんとかならんもんかなぁ…と思ってきました。


何かに怯えているのか、
はたまたただの完璧主義なのか、
産婦人科で看護師をしていたからか、
子育てに関してもどことなくこだわりが。


ちゃんとしたい。
子どもをしっかり育てないと。
特に心や精神面で。


という思いがめちゃくちゃ強くありました。


もうね、とにかく自分のことが嫌いになるんですよ!!!😂


子どもに対してイライラ憤慨する自分が。


そこでようやく、自分の感情を見つめてみると、

悲しかった
つらかった
もっとできてるところもほめてほしかった

って出てきたんです。


私、ほんとうに自分にも人にも
「できない」が許せなくて。
子どもには「やらない」も特にイラッとしちゃう。


これがもう、なんでだろう?なんでだろう???ってずっとわからなかったんです。


そしたらね、

だって許されてこなかった
だって、そう育てられてきた。
できないと怒られた、悲しかった。

って出てきて。


あぁ、この気持ちに気づいてあげてこれなかったんだ
って思いました。


目の前のわが子がどうこうというよりも、この気持ちが疼(うず)いて苦しかったんだなぁと思いました。


メソメソ、メソメソしていたら、
メソメソするな!!!って怒られてたもんね😅


できることは良し!
できないことは悪!


できないと怒られるから、
できるように、
できないことを探して先回りして対処する。
怒られないようにね。


そうやって先回りする思考の癖がついてきたんだな〜と思った。


なんて健気だったんだ。
それは頑張ってたね、と自分に思った。
あんなに神経張り巡らして暮らしてたことが納得です。


そこで私はやっと、許された気がしました。


許せない、許せないの奥には、
ずっと、許されない「悲しい」気持ちがあった。


私が私に「悲しい気持ち」を許してもらえてなかったんだな〜って。


傷ついていたのは私。


私に怒りを湧かさせる目の前の息子に悪いところがあるんじゃなくて、
“傷ついた私”がふつふつと蠢(うごめ)いているだけでした。


そこでやっと、
「子どもを大切にするとは?」
「子育てとは?」
と自分に問えました。






私は、子どもを大切にすることや、子育てとは、
興味と観察だと思いました。


これまで、

・子ども自身にも思いや感じ方、考えがあるのだから尊重しないと。

・人として対等に接しないと

・伸び伸びと育つように

・傷つかないように

と、重い重いものを背中いっぱいに乗せて、やってきました。


傷つかせたくないのは、私が傷ついていたからで。
私のような生きづらさを抱えた大人にさせたくなかったからで。


でもね、きっとそれもコントロールになる。


子どもにもよく伝えるのだけど、人は変えられない。変えられるのは自分だけ。


子どもにも、私の気持ちや考えを伝えたとしても、それを選択するのは相手次第なんだよね。
わが子であっても。


子育てとは、押し付け じゃない。


子どもたちといると、「不意に!」とか「突然!」みたいなことがたくさんあってびっくりするんだけど、それにいちいち足を取られがちなんだけど…!、


そういう、何が起こるかわからないものを育てるようなことだと思ったら、


「子育てとは、興味と観察」
だなって思った☺️


いろんな子育て論があるし、これがいい、あれは良くないっていろいろ言われるし、聞くよね。


だけど、何が正解かなんてわかんないんだよ♪


子育てに「正解」はないって最近すっごく感じてた🤭


あるとすれば、「その子にあった育て方」なんだろうけど、それすらも現在進行形ではわからないじゃないですか。


大きくなって、振り返ってみたときに、
「こうだったんだな〜」って
答え合わせができるようなものなのかなって。


そのために、今できることは、
興味をもって関わること。
じっくりと観察することだな、と♪


これは、自分自身にも言えることですね✨


きっと、自分の声をちゃーんと聞いている人は、子どもや周りの人たちのこともちゃんと興味と観察でもって接することができる♡


そう思ってからは、子どもたちに不思議とイライラしなくなった。


イライラすることがダメなことじゃないんだけどね。笑
きっとこれからもイライラするけども!笑


そのたびに、私は私の声をちゃーんと聞くって決めてるからさ♡


めちゃくちゃ心にゆとりができたし、思っていたよりも子育てって難しくないのかもしれないと思ってます✨