前に、こんなふうに思ったことがあったんですけどね、👇




私、やっぱり人とも交流したいな。
気分がブレるのを恐れて会わないんじゃなくて、
気分のコントロールが上手になる努力をして、いろんな人と出会う楽しさがある、豊かな人生にしたいなって思う😊




(この記事で書いたことです)





きのう、たまたま子どもたちと家の隣の空き地で遊ぼうと思って、外に出たんです。



そしたら、子育て広場で知り合いになってたお母さんが、その空き地にいて。




「えーーーー!」


「あーーー!😆」


って、ふたりできゃっきゃ言い合って。




そのお母さん、子どもを連れて、新築中の自宅を見にきてたところだったんですよ。



なんと、ご近所さんになることが判明!




実は、棟上げのときに、その空き地にややしばらく末っ子ちゃんと座っていたのを、私は自宅から見えていて、

もしかしたらあの人かな〜?と思ってはいたのですが、当たりでした😆




そのお母さん、とてもナチュラルないい方で、気楽におしゃべりできる、素敵な方なんです。




お互いに、移住してきた組なので、いろいろと話もしやすいところがあって。




なんか、嬉しいな〜、って思ったんですよね✨






その数日前には、別のお隣さん(外国の方)が、国のお祭りがあったとかで、そのときのお土産を私たち家族に持ってきてくれたんです。




そういう、ご近所づきあいみたいなものが、起こってきて、

ふと、

最初に書いたような願いを、少し前に思ったことを思い出したんです。




私、やっぱり人とも交流したいな。
気分がブレるのを恐れて会わないんじゃなくて、
気分のコントロールが上手になる努力をして、いろんな人と出会う楽しさがある、豊かな人生にしたいなって思う😊





これ☝️を思ったのは、つい2,3ヶ月前だったと思うけど、本当に、人と楽しく交流する機会や、間柄が巡ってきているなぁ、と思う。



たしかに、“気分のコントロールが上手になる努力”、してるしてる♪😆



それもこれも、私が日頃リラックスして、ラクな気持ちで過ごす時間が多くなってきた賜物なんだろうな、って思ったのでした。


















久しぶりに気になって、引き寄せの本を取り出して、読んで、
なにかにすごく納得して、意識して実践し始めて、3ヶ月くらい経ったころ。





ああ、臨界点を超えたんだな、って感じるような出来事がありました。











仕事で、その日、嫌いな人が突如シフトに入ってて(お店が忙しい日だったから)、
前触れもなく、一緒に仕事することになったんですよ。





気分、すっごい下がって、

下がって、、、

勤務しながら、気分を回復するの、すごい苦労したんですけど、

どうにか、


「ここにいる人たちは、私の人生に何の影響も与えることはできない。

私には価値がある。」


って思えるところまで、思考をズラせたら、





「そうだ!価値がある!私、堂々と存在してていい!」
って、

うりゃ!、ってかんじで、顔を上げれて、



「かっちがあるっ口笛」て、オリジナルメロディを心の中で口ずさみながら、
なんとか、ニュートラルな気持ちまで回復したんですね。





ちなみに、気分が悪かった理由は、
嫌いなパートさんがいたから、だけじゃなくて、

その日より前の勤務のときに、奥さんとのやりとりでちょっと解せないことがあって、それも少しだけ引きずったりしてたんですよ。


(でも、本当〜のところの気分が悪い理由は、
ソースの考えと、私の考えてることがズレてるから。
それを教えるためのアラートとして、気分の悪さが生じてます😊)








そしたらね、

もう一人のパートさんが帰って、私と奥さんだけになったときに、


「ゆたにさんは、笑顔じゃないとおかしい」

って、突然言われたんです。キョロキョロハッ






そのあと、
前回のやりとりで誤解があったことを説明されて。






帰り際、お店で一番人気のお饅頭を10個、ほかほかで、のし付きで包んで、持たせてくれたんです。







それが、もう、申し訳なくて。申し訳なくて……





なぜかというと、


「いつも、残りもののお饅頭ばっかり待たせちゃってるから。ごめんね。
これ、ご主人と子どもたちに持って帰って、食べて?

いろいろと溜めちゃうとよくないから、ね。」


って、奥さんに言われて。





私が不貞腐れたような態度取っちゃったりしたから、気使わせちゃったなと思って、
受け取るのに申し訳なくて、

でも、一応その場では「ありがとうございます」って言って、もらってきたんですけど…。








帰り道、まっすぐ家に帰れなくて、
途中にある、椅子の休憩所に座って、わんわん泣きました。
(人目ははばかって😅)






もう、気持ちが、ぐちゃぐちゃで。





いっそのこと、嫌ってくれたほうが楽だったのにな、って。






勤務中に、気分を回復させようとしてたときに、
(これ👇、気分がラクになる思考にズラしていくスキルなんですけど)


「いつだってやめてもいい」

「いつでも、やめることはできるよ」

「やめても、大丈夫だよ」

ってことを、自分に言ってあげたりもしてたんです。




やめてもいいって思うことが、そのときの私にとって、少しマシな気分になることだったからね。





だから、いっそのこと、「もう来ないでください」って言われるほうが、
こーんなあったかい、ピンピンのお饅頭10個もらうよりも、ラクだったのになぁ泣………って。





う〜ん、つまりね、







私、こんなふうに大切にされることに、慣れてないんですよ。


だから、このお饅頭を、どんな意味があるのかな、って、
どんな気持ちで受け取ればいいのか、戸惑っちゃったんです。






私の勤務中の態度、絶対、悪かったし、
「あーあ、やっちまったな」って思ってたし、

なのに、

はなから私に持たせようと思って、私の帰る時間に合わせて蒸(ふか)してくれてたんです。


そのお饅頭、みんなが贈答用に買って行くお饅頭なんです。


これを、どんな気持ちで受け取ればいいのか、わからなくてね〜💦



わからない、は、嘘。



大事にされてる、って意味以外、あり得ないのにね。



頭では、わかってた。



でも、
大事にされてる、とか、
愛されてる、ってことを、
真っ向から受け取るのが苦しかったんですよ。






私、理不尽に当たられたり、嫌われたりすることの方が多くて、
それは、もちろん嫌な経験だけど、そういうことの方が多かったから慣れちゃって、

自然と、防衛本能で、「自分は大事にされないんだー」とか、「私は愛されない」って思うようになっちゃったんだよね。



そう思ってれば、もうそれ以上傷つかないでしょ?

だから。

ガッチガチの鎧を着てた感じです。



それで、生身の人間から愛されることを、いつかのどこかで諦めたんだと思うんですよね。




で、社会人になってから、スピリチュアルに出会って、
『宇宙(ソース、源など)からは、いつでも愛されている』って概念を知って、

実感は湧かないけど、そういうことらしいから、そういうことにしておこう、って感じで、事あるごとに繰り返し考えてたんです。
「この人は私のことを嫌いでも、ソースは私のことを好きでいてくれている」、って。








でもね、今回、嫌われたかなって思った奥さんから、あったかいお饅頭10個ももらって、

生身の人間から愛されてるってことを、まざまざと見せつけられたなぁ、って思ったんです。


真っ向からね、宇宙が、ここ最近のわたしの受け取りモード具合が加速してるので、
『これでもどうだッ❣️』、みたいなかんじで、
“愛の爆弾”、送り込んできたな〜って。





ちょっともう、降参でした。



私、愛されてたんだなー、って、
涙と一緒に受け入れることができました。



この涙は、悲しい涙じゃなくて、
これまでの私を守るためにガチガチに着ていた鎧が、溶けていく涙でした。







それからというもの、

【愛されている】という感覚が、私の中で、じんわりと広がるようになったんです。



安心しているような、リラックスしているような、とっても無防備な、
すべてを全信頼しているような、
満たされた、安らかな、やさしい感覚なんです。



あぁ、私もう、がんばらなくていいんだ、って
わかっちゃったんです。



すべて宇宙がやってくれている、って思える。



あたたかいお風呂にぷかぷか浮かんでいるような。

(きっとこのことを、“お母さんの子宮の中にいた時のような”、とかって表現する人がいるってことなんでしょうね〜)





この脱力した感じを、度々、自分の中によみがえらせることができるようにもなって。

忘れなくなったんです。

定着してきた。その脱力感が。


全能感?全信頼、無敵感?みたいな、、、




そしたらね、これまで、両親に無条件に愛された経験ないかもな〜、って思ってたのが、
微妙に、ちょっとずつ、水が隙間から滴(したた)り落ちるかのようなかんじで、

どんな私も受け入れてもらっていたような記憶や、
やさしく読み聞かせをしてくれていたような記憶、
そういう、やさしい記憶が、すこしずつ浮かんだりするようになったんですよね。







これも、すべて、私の波動が抵抗が全体的に和らいで、受け取りモードな時間が長くなってきた反応なんだな〜、と思った。


臨界点、超えたなー、って。



これから、もっともっと、ドバドバ豊かさが流れ込んでくるなー、ってことが肌感でわかるかんじでした☺️




これは残しとかなきゃな、っていう、象徴的な出来事でした✨























本当に生産的なことは、


ぼーっとすることだなぁ、って、最近本当によくわかってきた。



ひょこっとできた、家での一人時間、
長男も家にいて、トイレついてきて〜だの、勉強わからない〜だのって、呼ばれて、


なんか、だんだんイライラしてきて、


「あー、イライラしてるなぁ」

「ホッとしたいなぁ」

「ホッとするだけでいいのは、わかってるのになぁ」

「なんか、イライラする」

「え、雨のせい?なんか、生理前みたいに、理由のわからないイライラ感だなぁ」

・
・
・





「私、なに考えてた?」





「あぁ、やりたいことあるのに、できない!って、思ってたなぁ……。有意義に過ごしたい!って。それだ。」





そんなふうに、自分と会話してたら、
しゅううううぅぅん。と、イライラが萎んでった。

不思議なくらいにね。







わたしたちってさ、
ほーんと、【何をするか】ってことを常に考えてる生き物だよね。大人は特に。


それを、生産的だと思ってるし、有意義なことだと思ってる。






でも、本当の生産性って、リラックスして、ぼーっとしてる、抵抗のない、無防備な、ゆらゆらしてる【状態】のことなんだよね。





その状態こそが、豊かさと引き合う波動の状態だから、

たとえ、目に見えてなくても、私の目で確認できないところで、私に向かってありとあらゆる豊かさが到着する準備が進んでるんだなぁ、って、思えるんだよね。




だから、ストレッチポールとかに乗って、ゆらゆらしてる時とか、

「あー、今、豊かさが流れてきてるなぁ🫧🥱」

って、思うんだよねぇ〜ハート






何をするか、っていう【行動】は、
そんなぽわぽわ状態になったら、勝手に思いつくんだよね〜。



だからこうして、今、わたしはブログを書いているニヤリ
ゆらゆらしてたら、書きたくなったからね♪