最近つくづく思うのですが、私の思考は「ない」ものを知覚するように癖づけされている。

そして、良いことよりも嫌なことも知覚するように癖づけされています。


今、普通に当たり前にあることが突然なくなってしまったら、きっとその大きさに、ありがたさに、失ってからきづくのでしょう。

そして、失くしたものを懐かしんで愛おしんで、今度はそのなくなったものを追い求めるという苦しみを創り出すのでしょう。


知覚できることだけじゃなく、今知覚できないことなんかにも、ほんとにたっくさん感謝や愛を感じることがあるのかもしれない。

そして、嫌だ嫌だと思ってることもきっと素晴らしかったんだと思える時がくるのでしょう。


私の肉体がいつか朽ちて意識だけになったとき、嫌なことも良いこともありとあらゆることすべてが愛しくて懐かしく思うのだろうな。

そして、またそれを味わいたくて肉体に宿るのでしょう。


だったら今、せっかくだからすべてを味わい、感謝と畏敬の念をもちたい。

ありとしあらゆるものに。


これからの人生、「ない」ことよりも「ある」ことにたくさんの時間を使っていきたい。

私たちの人生は、素晴らしい❤︎


ありがとうございました。



Mariam
気が向かないと絶対に行けない義両親のとこへ、今日は気が向いたので子どもたちを連れて行ってきた。

かなり遅い母の日のプレゼントを携えて。


なんでなかなか会いに行けないかって、義母は批判のプロ。

誰に対しても何をしてもすべてが気に食わないよう、どういうわけかそういうシステムになっている風に感じる。

なので、私の精神状態がなんでも味わい愛でれるときじゃないとダメージを受けやすいのでね。


前だったら、批判されないようにとか好かれるようにとか頑張ろうとしていたけれど、批判的な人はこっちがどうであれ批判してくるものだと気づいたからもう間違った努力はやめました。笑

今日も私も子どもたちもたくさんの攻撃を受けて、さらっと笑い流して帰ってきましたよ。


攻撃する側って、気持ちいいのかな。自分にパワーがあるって感じるのかな。



あ、でも、義母にはほんとにお世話になってます。すごく責任感も強くて!

尊敬してるとこもいっぱいありますよ。(フォロー)

なので、いつもほんとにありがとうございます*\(^o^)/*



本日もありがとうございました。







Mariam