最近つくづく思うのですが、私の思考は「ない」ものを知覚するように癖づけされている。

そして、良いことよりも嫌なことも知覚するように癖づけされています。


今、普通に当たり前にあることが突然なくなってしまったら、きっとその大きさに、ありがたさに、失ってからきづくのでしょう。

そして、失くしたものを懐かしんで愛おしんで、今度はそのなくなったものを追い求めるという苦しみを創り出すのでしょう。


知覚できることだけじゃなく、今知覚できないことなんかにも、ほんとにたっくさん感謝や愛を感じることがあるのかもしれない。

そして、嫌だ嫌だと思ってることもきっと素晴らしかったんだと思える時がくるのでしょう。


私の肉体がいつか朽ちて意識だけになったとき、嫌なことも良いこともありとあらゆることすべてが愛しくて懐かしく思うのだろうな。

そして、またそれを味わいたくて肉体に宿るのでしょう。


だったら今、せっかくだからすべてを味わい、感謝と畏敬の念をもちたい。

ありとしあらゆるものに。


これからの人生、「ない」ことよりも「ある」ことにたくさんの時間を使っていきたい。

私たちの人生は、素晴らしい❤︎


ありがとうございました。



Mariam