真珠湾攻撃前夜 | サマンサの萌える毎日の記録

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たまに書きたくなる歴史トーク。興味のない方はスルーで。


昭和16年12月8日。日本が戦争に駆り立てられた運命の日。ちょうど「そのとき歴史が動いた」で特集されていて思い当たったわけですが、なぜ日本が勝てるはずもない戦争を始めてしまったのか・・・みなさんはご存知ですか?この辺りの歴史は学校の授業でじっくりやらないところが多いんですよね。この国に生を受けた以上、この国の歴史や地理、文化は知っていて当たり前のことだと思うんですが、残念ながら現代史になるほど知られていないことが多くてなんだか寂しくなります。

真珠湾攻撃とは、日本が宣戦布告よりも先にハワイ・オアフ島のパールハーバーに停泊していたアメリカ海軍の戦艦を奇襲攻撃によって撃沈したというものです。総合司令官は山本五十六。当時、国際法で戦争を始める場合は相手に通達してからという決まりごとがあったわけですが、日本はもろもろの理由で宣戦布告よりも先に攻撃を加えてしまったというものです。ではなぜ攻撃するに至ったのか。
おりしも帝国主義の時代。欧米列強がアジアやアフリカ諸国を次々と植民地としてそれを支配し、そこから利益を得ていたところに新興の日本も目をつけました。やがて中国を支配下に満州国を建設するに至ります。勢いに乗ってフランス領インドシナ(現在のベトナム)までもを占領下に置き、そして日本は孤立します。すでにフランス領となっていたところを「アジアの独立」などという理由をつけて攻め込んだわけですから。しかし資源を持たざる国である日本がそれをえるためには、当時はこの方法でしかなかったのです。・・・欧米列強だって同じ事をしてきたのだから。ただ日本が活発に動き始めたときにはすでにそれはスタンダードではなく、ほぼどこかの国の支配下に置かれていたというだけのこと。やがて日本を取り巻く経済封鎖が敷かれ、石油をはじめとする資源の輸入をストップされてしまい、日本に残された道はますます南方への帝国主義政策でしかなくなってしまったのです。
日本だってアメリカと戦争がしたかったけではありません。失うものはあっても得られるものは何もないのだから。当然親米政策を図りましたが、アメリカから提示されたもの―日本を真珠湾攻撃に駆り立てたもの―それが「ハル・ノート」だったのです。当時のアメリカ国務長官ハルが日本政府に対して通告してきた文書で、これを読んだ日本はこれをアメリカからの最後通告と解釈したとされています。それは「中国・ベトナムからの撤退」「満州国放棄」「日独伊三国同盟の破棄」これらを無条件に求める内容でした。日本にすべてを捨てろとせまったアメリカ。それを受けた日本が果たしてすべてを捨てられるでしょうか。明治維新以降、圧倒的な軍事力の前に不平等な条約を結ばせられた日本がやっとの思いで欧米列強と肩を並べられるほどになったというのに、いままたそれらを捨てろとせまられたのです。たとえ勝ち目がなくとも立ち向かおうとする心情は理解し得ないものではないと思うのですよ・・・。

そしてご存知の通り日本は負けました。敗戦国は戦争責任を取らねばなりません。そう例え責任がなかったとしてもです。戦後行われた東京裁判においてただひとり、日本を無罪だと主張したパール判事(インドの国際法学者)という人物がいます。彼は言いました。「ハルノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルグでも矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」と。彼によって戦勝国によるリンチだと評された東京裁判で、日本の指導者達はA級戦犯としてすべての責任を負い裁かれました。日本の侵略を受けた国の人々がA級戦犯を憎む気持ちは理解できるけれども、同じ日本人ならば彼らが靖国神社に英霊として奉られることに異を唱えることなどあってほしいないと思います。
彼らに戦争責任なんてないのだから。あるとすれば、それは軍人ではない未来ある若い命や国の根幹を支える一般国民たちの命を無駄に散らせてしまったことだけです・・・。