あの地震の日から一週間が過ぎました。
当日のことを思い返すと本当にもうずいぶん前の出来事のように思えるのですが、
まだ一週間しかたっていないのですよね・・・。
あの日、通常通り仕事をしていたときに地震が起こりました。
それは今までに体験したことのない激しい揺れでした。
ビルの大きな揺れ、ガラスがビリビリと揺れる音、足元はぐらぐらして、
初めて地震で「このままビルが崩れたら死んでしまう」と感じました。
本当に恐ろしくなって、一度は着のみ着のままで避難したのですが、
しばらくして揺れがおさまったのでビル内に戻るとまた大きな揺れが起こり、
今度は会社としての避難の指示が出たため、荷物を持って、全員で近くの公園へ。
その公園は近くから避難してきた人たちでいっぱいになりました。
空はマスコミのヘリが飛び交い、道路混雑の中消防車や救急車のサイレン・・・。
みんな、自分の携帯のワンセグでテレビを見たり、何度もメールを送ったりしてましたね。
私はぼんやりと「東京マグニチュード8.0」を思い出してしまいました。
すぐ近くに東京タワーが見えていたのでね。
公園に避難してしばらく後、会社に戻ると退社するようにとの指示が出ましたが、
交通機関全面ストップのため、結局夜22時くらいまで買ってきてもらったカップヌードル食べて、
ビールも飲んで、わいわいと会社で待機をしていました。
外の通りは歩いて移動している人でいっぱい。暗い中それは異様な光景でした。
携帯はメールも電話も使えず、ほとんど連絡が取れない状態。
そんな中、ツイッターだけがつながっていました。
本当にツイッター(と携帯のweb)がつながっていてくれたおかげで、
いろんな人と連絡を取り合うことができて本当に有難かったです。
結局、その後移動してきた友人と合流して、二駅分歩いて、
会社から近い友人宅に止めていただきました。
暗い夜でしたが、やはり都内は道が明るく、歩いている人もたくさんいて、
警察官も出ていたし、帰宅難民の受け入れをしている施設も多かったです。
会社も泊まれるようになっていましたしね。
その後も何度も余震が起こり、ほとんど眠れないまま、朝を迎えました。
しかし、だんだんと明らかになる東北地方の現状に、
ただただ暖かいところで睡眠が取れ、温かいご飯をいただけることに感謝。
朝になって電車が動き出してからしばらくして、
友人宅から近くの駅に移動をして、いつもとは違うルートで何度か乗り換えて、
何とか午後には帰宅することができました。
大変な一日でしたが、まだまだマシなほうですよね。
今なおまだ、大変なご苦労をして生活されている人たちが大勢いいるのだから、
日常生活を送れるだけでも有難いし、贅沢はいえないなと思っています。
我慢できるところははしないとね。
心配してくれた家族、手を差し伸べてくれた友人たち、
私の周りにいてくれる皆さんの存在すべてに感謝します。
ありがとうございました。