懐かしい人たち | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

今回の旅では

懐かしい人たちの再会があった。


横浜の友人は神戸出身、

その昔、私たち家族が神戸の

公団に当選したことで

彼女たちご家族と出会い、

当時は家族ぐるみのお付き合い


たったの7ヶ月しかいなくって

その内半分は震災で行き来も困難に


それでもとうとう今年で30年!

の友情を育んできた。


愛を求めて路頭に迷う人生を

滑稽に送って来た私などと

なんの偏見もなく、変わらず

お付き合いしてくれる、

本当に大切な、大切な友人


その友人が、私たち家族が

かつて所属していた教会の近くに

今住んでいて、共通のお知り合いが

できた、というわけだ。


日曜日に、それこそ20年ぶりで

教会に行ってみた。

そして、当時20代半ばで

子育てに翻弄されていた私に

とても、とても親切に、

しかもカジュアルに親切にしてくれた

懐かしい人に再会した


「ああ!」と一目見ただけで

何にも変わらない彼女!

懐かしかったぁ


そして、他のお友達にも連絡し、

会いはしなかったけれど

電話で話したり、

「もうおばあさんなのよ」と言う声は

当時となんにも変わらなかった。


私とて60歳だもーん

みんなおばあさんだよーん

いいじゃーん


「ええ!マナちゃん、幾つになったの?」

「来年40だよ」

「ええーーーーーーー!」

「三児の母になってるよ」

「ええーーーーーーー!」


30年来の友人は、

「すごい絆ー、たった2年半しか

いなかったんでしょ?」と言ってくれた。


本当だなぁ、と思った。


若い、若い時に

先輩だった彼女たちに

私は様々なことを教わった。

ねじれた心根を少しずつ、

少しずつほぐすことを

その時に習ったかもしれない。


思えば、後にも先にも

ここまで私という人間を

受け入れてくれた媒体は

他になかったように思う。

私を私のままに受け入れて

愛してくれていた日々を

改めてありがたく思った。


信仰生活は、ユタに移った時点で

理想と現実の開きで

私の「こうあるべき」という精神を

苛むこととなり

不信感のみを募らせ、

その道を離れる決心をした。


ですが、久しぶりに行って

日本の信徒の皆さんのあり方、

そしてお話を聞いていると

人間の粛々とした生き方に触れて

「こういう時間があったなぁ」と

心が穏やかになった。

そして、生きている限り続く友情に

教会へ行っていた時間もまた

無駄ではなかったなぁと思うのだ。


一人で知らない街を旅するのもいい。

ホテルの一室で非日常を味わう、

私はそういうのも大好きだ。

今回は、でも、家族やお友達の

お宅に泊めていただくことで

大変に得るものがあったな、と

心が暖かくなった。


遠く離れて暮らすその人たちの愛情や

共に囲む食卓や、その時々の会話、

ご迷惑をかけるなぁ、と思うのだけど

そこから得られたものは

そこはかとなく貴重で

私は人との関わりを再度

大切なものとして心に刻むのだ。


その泊めて頂いた友人は

昨日から神戸入りしている!

なので、明日、また会う約束をしている!


この歳になっても

そうやって語らう同胞的親友がいることは

何にも変えがたい宝だな、と思う。


やっぱり私は運がいいんだなぁ。


神戸空港から見た夜明け。

太陽はいつでも希望の形、明るさ、だな!と思う。