不安定。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

ちょっと色々なことがあって

不安定な心持ちになっている。


スピリチュアルなことって信じます?


私は霊とかそういうのは

一度も見たことがないけれど

いたたまれない気持ちになる場所から

何度か逃げたことがある。

何かいたってわけではないけど、

人間の力及ばない何かを感じたり

人間の合理性では説明できない事柄に

遭遇して後ろを振り返らずに

逃げたこともある。


ユタに住んでいる時

その頃教会に通っていたので

女性の会の集まりのため

準備に出かけたことがあった。

真昼間のことである。

教会堂のキッチンで準備をしていると

講堂の方からピアノの音がする。

「あら、誰か来たかしら」と思って

講堂を見に行っても、誰もいない。

講堂から聞こえたと思ったのは

勘違いだったかしら、と

ピアノのある部屋を全部見たが

誰もいなかった。

そして、ピアノの音はぱたりと止まった。


なので、なんだ、勘違いだったか、と

思ってまたキッチンに戻り

準備の続きをしていると

……あれれ?聞こえるじゃないか。

しっかりピアノの音がする。


自分のバッグだけつかむと

後はほっぽり出して

一番近いドアから外へ逃げた。


あんなに気持ち悪かったことは

それほど多くない。


今住んでいる家でも

時々不思議なことが起こる。


うちのアパートはシャーメゾンといって

積水ハウスが監修している

賃貸住宅と分譲の間を取ったような

かなりしっかりした作りのアパートだ。

窓を閉めると、窓ガラスも二重なので

ほとんど外の音は聞こえなくなる。

もちろん、隙間風なんぞ入る隙もない。


それが、時々なのだが、

カーテンの裾がゆらゆら、ゆらゆらと

揺れたりするのだ。

真ん中の一部だけ、ゆらゆらと。


つい先だっては、

ゴミ箱にかけたプラスティックバッグの

チラリと外側に出ていた両側部分の

片側だけ上がったり下がったりしていた。

不思議に思ってじっと見ていると

スッと収まった。


ずーっと以前には、

高い本棚の上に置いていた観葉植物が

長く茎を垂れていたのが

やっぱり風もないのにゆらゆら揺れた。

大学の友達が来ていたので

「なんだろうね」としばらく見ていた。

風もないのに。

そもそも窓も開いてないのに。


そんな不思議なことがたまにある。


土曜日と日曜日はかなり外をうろついた。

土曜日にはお孫3号と

遊園地に行ったのだが

その時、水路をゆっくり進む

ゴンドラに乗ったら

この頃の陽気に狂ったように咲く

花々に蝶々がたくさん飛んでいた。


次の日は次男坊と散歩に出かけた。

くたくたになるまで歩いたが

その間中、蝶々がひらひら飛んでいた。

思わず、

「今年は蝶々が多いわ」と言った。


蝶々には亡くなった人の魂が宿って

会いたい人に会いに来る、と

何かで読んだか聞いたかしたことがある。

でも、「そんな人いないなぁ」と

思っていたら


翌朝、ユタにいた時

とても親切にしてくれた長男の親友の

お母さんの訃報が入った。


頭が良くて

つねに落ち着いていて

大変に美しくて

あの保守的で

宗教色の強いアメリカの田舎街で

一切偏見を持たない人だった。

金髪に青い目は慈愛に満ちて

うちの息子たちを本当に

可愛がってくれた。


バタバタと落ち着かない気持ちで

彼ら一族のインスタを見ていると

彼女の義理の娘のリールに出会った。

涙ながらに見ていると、

「お義母さんは蝶々に宿っているから」と。


土曜日曜に見た蝶々は彼女だったのかな?

土曜日は彼女が次の世に

旅立った日だった。

思わず、大きく泣いた。


最後まで美しい人だった。

ホスピスケアに入っても

柔らかな微笑みを浮かべていた。


若い頃、自分がいつか死ぬだなんて

信じられなくて

心を病むほど怖かった。

あれから40年以上経ってみると

沢山の人を見送って

そういう人間の行く末は

案外普通に受け止められるように

ゆっくり、ゆっくりなってきた。


そして、有限だからこそ

私は何がしたいのだろうか?

と、考える。


恐れながらも、

「まだまだ時間はあるさ」と

甘えて生きてきたように思える。

かと言って、何事かするに

私の心は疲弊に立ち上がれない。

日々、翻訳をして、ご飯を作って

狭いアパートの中で探すのが

精一杯に思える。


蝶々になって神様の元は帰った彼女は

もしこの世でもう少し時間があったら

何をしたかったのだろう。


そんな、詮無いことを考える。


そして、涙が出る。


不安定の極みなのだ。


だが、私はきっとまた立ち上がる。

きっとそうだと信じている。


彼女に出会ったあの頃、

それは私たちの人生の「夏」だったかも。

子供達はまだ10歳にもならなくて、

毎日の晩御飯の算段に忙しかった。

いい時代だった。

そして、斜陽してゆく。


何も悲しいことではない。

生物として当たり前のこと。

と、割り切れていたならば

不安定になることもなかろうて。


きっと私は悲しいのだ。

寂しくて、もう一度会って

「ありがとう」と言いたいのだ。

そして、30代だった私たちの

彼女の溌剌とした美しさが

ただただ懐かしい。


いい時代だった。

いい時間だった。

と、懐かしいのだ。


本当に心に残る人。

安らかに。

今度会えたら、友達になってね。

近くにいる時は無愛想でごめんね。

英語ができなくて

本当に恥ずかしかったの、

ごめんね。

でも親切にしてくれてありがとう。

憧れの人。

会えて良かった。

本当に、ありがとう。