そこに居続ける理由。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

昨日、長男から電話があり

色んなことを話した。


中間管理職の端っこに

足をかけた長男は、

アメリカ特有の大レイオフ後、

アホみたいに忙しくなって

大学卒業後、単純にコーダーとして

働いていた頃が懐かしいわ。

と、言った。


誰に似たのか(それは私か)

イライラが顔に出るので

直属の上司から

「喧嘩しないでよ」と言われるが

経営層からは可愛がられるらしい。


なんと彼の父親に似ていることか!


元夫は、そもそもはエリートだったと思う。

仕事もできたし

上からも可愛がられたし、

自分の部下からもそれなりに慕われたかな。

だが、同じ中間管理職の先輩からは

悉く悪く言われた。

公然と「この青二歳が!」と

罵られたこともあるらしい。


当時も、今も

ジジィの嫉妬やな、と思う。

今なら即刻アウトなジジィだ。

が、当時はまだまだ昭和が悪い意味で

色濃く残る時代だった。


家に帰ってきては

上と下に挟まれて辛い…とこぼしていた。

私は元夫のことをよく知っているようで

今となっては全く知らなかったわけで、

サラリーマンたるもの

その可愛がってくれる上司のために

心血を注ぐべきではないのか、

そうすべきだ、と

お気楽に言ったのも覚えている。


そこは間違いのないことだったが、

当時の彼の上司は本当に良い人だった。

何万人を敵に回しても

彼の為に働くに足る人物だったと思う。

現に、勝手にアメリカ帰国を決めた、

言わば裏切り者の元夫に対して

本社の上部に無理を言って

既になかったポジションを作ってくれたり、

本当によくしてくれた。


とはいえ、何が問題なん?と

意味不明な元夫のエリート街道からの

ステップダウン、その後の結婚生活から

その理由は明らかになった。


彼は万人から愛されたい人だったのだ。

公然と言われるのは勿論のこと、

陰で言われることも

悪く言われるのが嫌だったのだ。

その為に精神的に参ってしまうくらい、

ご飯も喉を通らなくなるくらい、

寝ることも難しくなるくらい、

嫌だったのだ。


そして、

「元がいい」と言って

私の目から見ると、

非常にシビアな言い方だが、

「逃げた」訳だ。


だが、

残念ながら

逃亡は元のところに帰ることではない。

逃亡、つまり、いる場所からの

ステップダウンは

全てのことからのステップダウンなのだ。


生き生きと仕事をしていた元の場所、

同じポジションと本人は言っていたが

そこにあった場所から

作ってもらった場所は

もちろん同じではない。

素晴らしい上司だったが、

下船した男に同じことは頼まない。

日本が嫌なんです、と言った男に

日本に出張して自分の右腕の仕事を

させると思いますか、って話だ。


本当のエリートって

孤独に強く立ち向かう精神力が

必要なんだな、と思う。

難しいけどなぁ。


元夫は、しかし、

自己肯定感はあったので、

私は「逃げたわコイツ」と

無意識に、だが、確実に蔑んだが

本人は

「自分はよくやったな」と

大変に満足していた。

それを離婚する時に知って

「ああ、そういうことだったのか!」と

心から驚いた。

これは、余談だな。


どこにいても

とっても辛い瞬間てあるな、と思う。

私にそんな所属先で辛い思いって

ほとんど無いし、

例えば、元夫と同じ目に遭ったら

後先考えずに言い返したな、と思う。

だが、大学生活は集団に混じると

本当に辛い時もあった。


カレッジの時は大人の学生も多くて

それほどでもなかったけれど、

バークレーでは子供しかいない。

多くが親切だったが、

時には中年学生を汚いもののように

見る男子や、中国人の意地悪な女とか

たまぁにいたりして、

それがプロジェクトチームにいたりしたら

もう本当に涙が出そうだった。


オックスフォードでは

「怨み」が研究対象で

それに似たmonstrous motherを

研究していた教授だったので

来てみたら、大震災に心打たれて

震災後文学に鞍替えしていて

「えええっ!?」となったり、

本当にアカデミックな部分では

帰りたいこと沢山あった。

思い悩むあまり、「明日帰ろう」と

唐突に思うこともあった。


だが、やめたらそこで終わりなんだ。


今の仕事も自分の能力は

スッカスカだな、と思う。

辞めたい。

逃げたい。

が、先立つものがいるし、

何より、辞めたらここで終わり。

スッカスカさえままならん。

スカンピーに成り下がるのだ。


長男に

「辛かろう。

でも、本当にやりたいこと、

次に行きたい場所がないんだったら、

何があろうとそこから

ステップダウンしないで」

と、大きなお世話だが言った。

すると、長男は

「元の場所はないからね」

とあっさり言った。

「元の場所以下しかないから。

それは絶対にしないよ」


さすが、バークレー。

We are Bears!

頭の出来が違うねん、

と、元夫をディスるわけでは無いが

マジでそう思った。


何故ここにいるのか?

何でもかんでも我慢ではないけれど、

居続けたら得たものもある。

50代からの就職は、私みたいに

キャリアがなければ本当に大変、

若い子でも大変なのに

掃除婦しかないよ、と言われたりした。

だが、学位のおかげで今の仕事がある。

今の仕事も諦めずに努力して

スカンピーからスッカスカ程度になったら、

派遣社員だけど派遣先としては

異例の「異動」があった。


今、私、疲弊してる時なのね。

やりたいことがあっても、

精神を壊した後遺症なのか

それとも、その症状なのか

元気が昔のように湧かないの。

でも、目標をじっと見つめて

ここに居続けてみよう、

そんな風に思ってます。


色んな人と出会って、

切磋琢磨し、

誰かのために働きたい。

それが自分のためになるんだ。

その日を目標に、

今は心のお手当を頑張ります。