逆評価。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

社内で技術翻訳の講師としても

働いてる私。

怒涛の12週間が終わると、

いよいよ私への評価が始まる。


2度目の経験だが、

2度目もまた、自分が大学生の時、

あるクラスを

こき下ろしたことを思い出して

身震いする。

あの頃の私は、何も知らなかった。

それこそ「無教養」の「無知」ですからね、

そんなアホを許してちょーだい🥺


と、何度も思っているが、

自分がレクチャラーとして

生徒たちから「断罪」されるかも!

と、思うと、そのアホな時のことを

思い出して、頭の中がクラクラする。


しかも、今期の私は校閲途中で

なん度同じことを指導しても

飲み込まない子達に

一人でキレたりしていた。


「なんで同じことさらすねーん!」

「こないだも言うた、言うた、言うたっ!」

「は?は?はぁ?…何回目やねん?

え?何回同じことしたら気が済むねん?」

もう、頭が痛かった。


しかし、子供たちは……あ、いや、

皆さん成人されてるので

そろそろ30歳な方々ばかりなんすけどね、

でも、うちの子たちと同年代なので、

「子供たち」と思うと、

そんな私の短気もシュラシュルシュル〜…


と、引いていくのでね、

で、

「子供達」。


閑話休題。

自分だって、未だ何一つできてないのに。

アホやな、自分。

相変わらず高慢チキ野郎やねん。

などと、心が少し弛緩する。


そんな経緯を一番知ってる私。

よもやそんなアホな自分を晒してはいまい。

と、思うけれど、どうなんだろう?


そんな結果が先日送信されてきた。


恐る恐る開けるとー……


おめでとうございます、チエコよ!


涙出るほど優しい言葉のオンパレード、

ありがたすぎて拝むほどだった。


果たして、人は自分を他人の評価で

決めんとするところがある。

自己肯定感の土台は、

幼少期の育って来た環境で、

周囲の人がどういう風に接したか、

言葉がけをしたかで全てが決まる。


私は精神科医にも言われたが、

とにかく自己肯定感が、実は、低い。

あれできます!

これできます!

私、すごいです!みたいに、

よく言ってきたな、と恨めしい気持ちで

過去を振り返るのだが、

その全てが

「全部できていないから

私はダメな人なんだ」という、

半ば誤った信念に基づくものだった。


「全部できてない」のは本当でも、

「だからダメな人」などと

思うことが間違っているのだと。


なので、失敗しても、

自分の嫌な人間性が露呈しても、

なるべく刺激的に自分に対して

当たらないよう注意深く生きるように

しているが、それにしても、

この場違いな感じに温かな言葉で

包まれると、


ああ、

なんて自分を信じるのが楽なんだろう。


自分を肯定するのが楽なんだろう。


「よく頑張ったな!」と簡単に言ってやれる。


そして、子供たちの当たりが良い分、

「早く会社辞めたいなぁ」と

自分の指揮命令者の慇懃無礼に思うのだ。


もう一年ほど頑張ろうかな。


とは言え、派遣元には

「別の会社を紹介して」とこの度言った。

「神戸にはほとんどないけど、

大阪ならある」と言ってたわ。


が、本当のことを言うと、

関西から出たいなぁー。


そんな、逆に評価されて、

思いの外の温かな言葉に

うるっと来た…と言うお話でした。


子供達よ、ありがとう。

もっと良い先生になるね。。。