私たちは若かった。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

冬の帰省で帰ってきた時、

長男が私に「僕は愛されてないから」と

言った。

「ママは、ケイばかり可愛がってたから」

そんなことない、愛してたよ。

でも、ケイは可愛かったからなぁ。

でも、「愛してない」なんて

思ったこともない。


真面目で努力家。

まっすぐで好奇心旺盛。

だけど、子供のうち誰よりも正直者。

それがトモだ。


小さな頃は人と目が合うと笑っちゃう。

元夫のホストファミリーの家に

帰省するたび、アメリカの家族からは

“Happy little kiddo”と呼ばれた。

大きな身体に栗色の髪、

綺麗な頭の形をしていて、

後ろから見ると「ハーフ?」と

言われるのに、元夫と瓜二つと言われた。


「でも、この頃はママに似てるって言われる」

んだって。

長女はそれを聞いて、

「うっそぉー」と言うが、

私もそう思ってる。


だけど、その「愛されてなかった」は

私の心をえぐるけど、

真摯にそれを受け止めようと思うのだ。


私こそ、愛されずに育った。

なので、愛の定義が曖昧だ。

それに、私の人間的未成熟度は、

たとえ私がその定義を余すことなく

理解していても、実践てきたかは懐疑的だ。


時々、共に子育てをした友人と

我らが若い頃、

子育てに邁進していたことを話す。

今ほど情報なかったよね。

周囲に迷惑かけない、とか、

周囲と馴染むように、とか、

それが子供が楽に暮らせると信じて、

矯正したり、制限したりすることに

躍起だったかもしれない。

もっと、今の時代のように色々なことを

知れていたら、私たちも楽だったかも。

こんな風にはしなかったよね、と話し合う。


私たちも若かった。

親になるのに免許証はいらないし、

張り切って色んな育児書に学ぶけど、

何せ人間として未熟よね、

たったの二十数年しか生きてない。


その上、虐待環境がデフォルトで

育ってしまって、それも踏まえるのに数年、

本当に頑張ったけど、

結局、私が母に思ってることを、

長男は私に思ってるんだな。


思い返せば、全ては大切な時間だったし、

なるべく楽しい思い出を子供達に、と

思って頑張ったつもりだけど、

今の子育て論から考えると

間違ったことばかりしていたな。

その上、虐待環境で常にインセキュアな

神経がオン状態。自分を知らな過ぎた。


ごめんね。そんなつもりはないのよ。

すごく偉大だとおもっていたし、

素晴らしいと思っていたけれどね。

でも、不必要なことも沢山言ったよね。


若気の至りとはこのことなのか。

今、子育てするなら、まだ少しマシかも。

きっとそんなに変わりはないかもだけど。 


でも、真剣に頑張ったことだけは本当よ。

体当たりで頑張ったよ。

そして、まぁ、気色悪いやろけど、

4人とも愛してる。


トモはすごいな、と思う。

愛されてなかったと思う親を

どこまでも助けようとしてくれる。

そこの葛藤はどんなだろう。

ごめんね、とありがとうが共存する。


愛してたし、愛してるよ。

ただ、若い、アホが親やったという

運の悪さなのかなぁ。

色々、ごめんね。