2021年10月16日(土)「今」生きる方法。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

人の頭は、実は無意識の間に

自動的に無数のことを一度に考える。

マルチタスクもいい所で、

その時の状況に合わせた優先事項が

意識上に浮かび上がるが、

そうでもない時には無意識下にあった

とんでも思考が、そーっと前面に出る。

前面に出ていることさえ、

無意識なんだが。


「そんなことないわよ」と思いがちだが、

皿を洗いながらふと昔の失敗や、

昔の恥ずかしいや、

最近の失敗や、最近の恥ずかしい、

はたまた、なんとなく憎たらしい

人のことなんかを思い出しては、

窮屈な苦痛を無意識に感じたりする。


ある時は、誰が読むとも知れない

本を書いている時に、

「こんなことして、何になるのかしら」と

老後の蓄えもない自分を思って

ものすごく不安になったりする。

とにかく、健康に。

ずーっと主婦で、その上途中で離婚した

私みたいなのは、社会保障の枠に

大きく寄りかかれない。

だから、手っ取り早く、

今から死ぬまでずーっと働く。

だから、健康第一。

あー、不安。


そんな風に、

まぁ、少なくとも私はそう。

一人で生活してると、

特にそういうことが多い。


そんな時は意識が「過去」やら「未来」を

浮遊しているってことだ。

それは「今」を生きていないということ。

だから、「今」に戻って来ないと。


その方法は意外と簡単だ。


「あ、またしょうもないことを考えてる」

「あ、また今考えてもしゃーないことを」

そしたら、文字通り、思考回路を切る。

そして、外を眺めて、窓を開けて、

静かに入ってくる風に揺れるカーテンを

眺めて、「揺れてるわ」と声に出す。

「空が青いわね」

「電車の音が今日は聞こえてきよるわ」

「おー、どっかでサイレンが鳴ってる」

「車のエンジンの音がする」

「秋の匂いがする」

色々、色々。

自分が今、五感を通して感じられる、

そんなものに意識を向けるのだ。


当然、脳は嫌がりますわ。

「いやいや、もっとその恥ずかしいを

考えたい」とか、

「そんなこと言ったって、

それはもうミゼラブルなんだから、

そこをもっと」とか

「未来のことは考えないと

ダメでしょう」とか、

信じられないけれど、脳みそは

そういう反応をチラリと見せる。


そのチラリズムったら、

チラリのくせしてもの誘惑的。

つまり、それが長年積み重ねてきた

私の行動や思考のパターンだもん。

習慣やね。


そこを「しらん、しらーん」と無視して、

「空をご覧なさい、青いわ」とか

やるんである。

それだけで、鬱や不安的な症状に

悩まされる機会がグッと減る。

そして、脳は中々、

正常に機能し始める。


そして、とうとう今日は驚くことに、

「私は私の良いところを知っている。

あんなこと、こんなこと、あんな風に

なったのは本当の私のせいではなかった。

私が育ってきた環境が反映されていた。

本当の私はまた、少し違う」と

楽しい気持ちで思えたことだ。


思わず、その考えに

「あれ?私、精神安定剤、今飲んでる?

いやぁ、飲んでないよな!

すごいな!今、そう思ったよね!」

と、自分が自分で驚いたわ。


こんなに早く好転が始まっているのは、

それでも、アメリカでのカウンセリングや

それに伴って試行錯誤したことが

無駄ではなかったのだと思う。

その素地が、なんとなく

出来上がっていた。


そこにドンピシャな方法が当てはまった。


まぁ、壊れていたのも私だから、

治るというのは違う。

トレーニングしていく、というのが

正しいのだと思う。


無意識を表沙汰にせず、

意識を表面化させる。


まずはこれから。


お料理される瞬間まで生きていた鮎。

子持ちです、と言われ、

泳ぐ姿になんとも言えない気持ちに。

「頭から美味しく召し上がったら、

鮎も気持ちよく成仏されます」という

料理人殿のお言葉に、美味しく頂いた。

そういうお気遣いも尊いお料理屋さん。

祇園なん波さん。

見目も鮮やかな鮎の塩焼き。

本当に美味でしたわ。

この歳になって、鮎が大好きになった。