2021年8月19日(木)母への手紙。 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

不思議なことに気づくと、

つまりの原因が

取り除かれたように、

勝手に周囲が流れ出すことがある。


私の人生に母との類似性があると

気づき、自分の嫌悪感と闘いながら

手紙を書いていると、

一番母の近くに住んでいる妹から

電話があった。


母と私の関係を今後

どうすればいいのか、

私がどうしたいのかなど

相談の電話だった。


ちょっとびっくりした。


そこで、その前の晩に急に

気づいたことを話して聞かせ、

「今、その手紙を書いてたとこ」と

教えると、妹も

「ええー!?」と驚いていた。


いやいや、

驚いたのは私の方だ。


シンクロニシティ。


その時にも思ったわー。


そして、手紙はしたためられ、

なんなら私のバークレー卒業写真も

一枚同封され、

そして、妹と電話を切った

丁度24時間後には

郵便局員の

「ではお預かりします」という一言を

聞いていた。


それまでそんなこと考えたことも

なかったのに、

一つ大きな仕事を無事に

やり終えたーーー。

そんな気持ちになっていた。


そして、忘れたよ、

許したよ、と思っていた自分自身だが

それはそう思いたかっただけで、

実はちっとも

許していなかったこともわかった。


でも、紙面に直接の書くというのは、

こうやってタイプしたりするのと

違って、時間もかかるし、

いささか肉体労働的な疲れも

感じたりするのだが、

タイプでは得られなかった

強烈な認識、認知感をもたらした。


母のしてくれたこと、

その中で、50年以上もの間

私の記憶に残った母との幸福の

時間は、圧倒的負の記憶を

懐柔させて、

むしろその良かった時間に

私をフォーカスさせてしまった。


でも、この喜びやら安堵感やら、

人を憎んでいない穏やかさは、

母と話した途端に崩れ去ることも

私は知っている。

だからこそ、直接的な会話は

今後も避けておくのだ。


母への信頼が

回復したわけではないから。

慎重に。

慎重に。


残念ながら、

いつだって子供のマウントを

取りたがる母ですからね、

感謝な言葉はスルーして、

私が心療内科に通ってることや

心を壊してそこから本当の自分を

構築している部分で激怒するだろう。

「あなたが原因よ」と言わせたくて、

その言葉に憤懣やる方なく暴れたくて、

大いに荒れるだろう。


ま、そんなことはどうでもいい。


とりあえず、

霧が晴れた様に

爽快な気分だ。

…書き始めた時には

「あれ、妊娠したんかな?」くらいに

気分重く、そして悪くなったけどさ。


小倉山荘のおかきでも

送ってやるかな。

と、妹に言ったら、

「噛めないくらい

かたい、かたい、かたいせんべい🍘

送ってやればいいじゃない、

ほら、あの人、歯が悪いからさ」と

意地悪を言ったので、

2人でゲラゲラ笑ったわ。


「どこの意地悪やねん!

…でも、おもろいな」というと、

妹は小さなため息をついて、

「そういうのを笑える人だったら

いいんだけどね」とつぶやく様に言った。

「電話で話してもさ、

『ああ、お姉ちゃんと話させてやりたい』

とか思ってても、

ものの10分もしないうちに、

『絶対に話させてなんかやるもんか!

てか、こんなだから話したく

なくなったんだよ!』

ってくらい憎たらしくなる」らしい。


相変わらずさねー。

やれやれ。


そんな訳で、

私自身個人は

たった3日で鬱々とした気持ちは

晴れた。

晴れたどころか、

人間関係で悩んでいたのも、

友人だと思っていた人を失うのも、

なんだか意味がわかった。

そして、誰が悪いとか、

私が悪いではなく、

「あー、必然だったんだなぁ」と思った。


そう思う理由も、

それはもう現代社会に於いては

奇異に感じられることなんだが。

しかし、はまったパズルピースの如く

私には正当なことと感じられる。


詰まりが取れたんだわ。


流れてますわ。


この流れを大切にしたい。

はい。


大切な家族!

ありがとう😊