うつ病?それとも…? | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

今日、新しい心療内科に行ってきた。

それで分かったことは、

「薬で治る問題ではない」ってことだった。

大学病院など、もっと施設やスタッフが充実した場所で治療を受けるのが1番良いと思う、
町のクリニックでなんとかなる問題ではない、つまり、薬では良くならない、

その上、治すのはものすごく難しい、
色んな精神的疾患があるけれど、その中でも最も難しいことだ、と言われた。

ショックだったけれど、そこを受け止めないと先には進めないんだな、と思ったわ。
薬で晴れない気持ちや落ち着かない気持ちを上向きにする事はできる。
でも、それは表面を整えてるだけで、過去のなんたるかを受け止めて、消化することにはならない。

なので、今日は薬も出なかった。

まぁ、そうと分かれば「そうなのか」と思うしかない。
自分で薬を摂取するのか、それとも大学病院へ行って色んなことをやってみるのか決めないとダメみたい。

日本はまだまだそこらへんが曖昧だ。

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私のこのうつ的症状は、つまりトラウマが引き起こしているとのこと。

何十年も、一緒に暮らさなくなっても電話や手紙で執拗に刷り込まれた虐待の記憶はちょっとやそっとでは無くならない。
そこへもってきて、更に酷いことをされてトラウマはより鮮明に蘇ったようだ。
「私の責任よ」と言っても、一体誰がそんなことされると思うだろうか?
そして、考えるでもなく、ぼんやりとした瞬間、そこへ知らない間に戻ってゆく記憶の厄介さ。

怒りと恨みなんだなぁ、と今日認めてみた。

きれいごとは、無しだ。

怒りと恨みなんだ。
大切な私にこんな酷い仕打ちをしたあいつとあいつ。この2人は生涯をもってして恨んでやる…。
絶対に赦さない!

…そんな感情が蓋をしたどこかから、ニョッキリと顔を出して私を怖がらせた。
全く処し方がわからん醜い感情だ。
恐ろしい感情だ。
こんな思いを抱いてるなんて、良い人になれない。
そう思ってしまう。
だから、そんなの自分じゃない、と嘯いて息も絶え絶えに生きてきたんだな。

そんな自分に向き合うことから始めないといけないんだって。
そして、自分で決めるんだって。
一生薬を飲んで生きていくのか。
それとも、長い時間をかけてそれを少しずつ精算して行くのか。

+++

お母さんをしているあなたへ。

子供はあなたの写身ではない。
あなたの身体から出たけれど、
あなたとは全く別の人生を歩む一個の個人だ。

産んだからには大切に、大切にお育てになって。
決して恩着せがましいことを言ってはいけない。
「親に対して」なんて言葉は口が裂けても言ってはいけない。
あなたが産んだのだから、あなたが育てる、それは偉いことでもなんでもない、人間として当たり前のことだ。

叱るときは厳しく叱ればいい。
でも、愛を伝えることを忘れないで。
抱きしめて、「ただそこにいてくれるだけで良いんだよ」と言ってあげて。
時にそれは難しいこともある。
でも、結局、そこへ戻る、愚弄なほど実直にそこへ戻る母親でいること、それしか親が本当にしてやれることはないのだ。

さもなければ、子供は私のように苦しむことになる。
愛しても愛されなかった子供の苦しみは鬼のような呪詛になりかねない。

まちがえてもいい、正解なんてないのかもしれない、でも、実直にただただ「愛してる」に戻る、そんな母親は必ず子供に赦され、愛されるから。

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女を自分の都合の良いように扱う男にかける言葉はない。
その時々の性のはけ口や、都合の良いおもちゃやアクセサリーのように扱う男には、一言。

「滅びてしまえ」

それしかないな。

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ずーーーっとなんだかんだ言ってても、
私の中にはこういう感情が渦巻いていたんだ。
しこりになっていたんだ。

赦さなくていいんじゃない?
認めて、まずはそんな自分をじっと見つめてみよう。

泣きに泣いたら、ちょっと落ち着く。

長男に
「ママが死んだら恋しくなると思う?」と聞いたら、「もちろんだよ、愛してるんだよ」と返ってきた。

泣いたわぁ、またまた。

誰か、私を真剣に想ってくれる人がいると知ることは今の私の救いになる。

心は大切だよ、本当に大切。
バンドエイドをはってあげよう。
随分とズタズタなのに、バンドエイドが小さすぎたようだ。

適格な大きさのバンドエイドが、今の私には必要です。