バークレーへの道・7 | あお色のたね、きん色のみ

あお色のたね、きん色のみ

A Blue Seed and a Golden Fruit
Subtle, Slight, Trivial Happiness of My Sweet Days
自分を受け入れる。自分を楽しむ。自分をゆるす。自分を愛するの日々。

おはようございます!

 
46歳からの5年間で、
コミカレ→UC Berkeley→Oxfordのフローを
経験したチエコです。
 
なんとか連日の投稿に成功。
まだ本調子ではないのですが、良くなってきてるような気がします!
 
昨日は間違ったタイトル、『バークレーへの道・5』で上げておりました。が、『6』が正解。
やっぱりボケボケどすなぁ。
 
今日は私の人生を変えることになったバークレーで出会った概念について語りたいと思います。
 
その概念とは、松尾芭蕉の「寂」の概念と、度々あらゆる日本古典文学の中で表現される「恨み」の概念です。
本当は2点一緒にお届けしたいと思っていましたが、長くなるので本日は松尾芭蕉の「寂」について書いてみようと思います。
 
それでは、バークレーへの道、第7話のお届けでーす!
 
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松尾芭蕉の『おくの細道』。
言わずと知れた日本古典文学の一角を成す有名な紀行文です。
 
芭蕉の生涯をまとめようかと思いましたが、そうなるととても長くなるのでやめておきます。
 
連歌の達人、俳諧人の達人、その後現れる数々の俳人を悩ませしめる蕉風を確立した松尾芭蕉。
その蕉風の中でも、「寂(さび))」の概念を確立したことは特筆に値します。
 
ちょっと話題は逸れますが、日本人でさえ「ワビサビがある」などと一緒にしていますが、侘と寂にはそれぞれにちゃんとした定義があり、その概念は似て非なるものの典型です。
侘の確立を成し遂げたのは茶道の極意とも言われる千利久です。
 
侘と寂の概念の違いを端的に言うと、侘は「生活に則したもの」であり寂は「自然界に則したもの」となります。その根底には仏法の概念である「必衰」というものが隠れており、非常に哲学的で奥の深さが窺い知れます。
完成された美よりもどこか拙い、どこか激しい、どこか厳しい、どこか儚い、そういった物を指すという意味では似ていますが、でも、決して同じ概念には至らず、侘と寂は並べて使用するような言葉ではありません。
 
芭蕉は数々の紀行文を残していますが、中でも傑作と言われているのが「おくの細道」です。
そのクラスで生徒たちはマックス4名までのグループに分けられて、発句を一つ選び、それについて徹底的に分析、解説することが望まれました。
発句の文法的解釈からその句の意味ももちろんですが、その背景には何があるのか、歌枕はあるのかなど、大学院並みに高度なクラスとなりました。
 
私たちのグループが選んだ発句は「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」。
これは西行の「道の辺に 清水流るる柳蔭 しばしとてこそ 立ちとまりつれ」へのオマージュです。
 
我々が分析したのはどうして芭蕉の句が、西行のそれとリンクしていると言えるのかという事柄でした。蕉風というのがどういうものかを理解していれば、自ずとそれがわかります。
田一枚と道の辺、および清水長るるの関連性、立ち去ると立ちとまりの違いの同意性、時間軸の定義など、たった17文字の中に込められた深さは圧倒的だと思われました。
 
これは、今になって思うのですが、この一見明るい双方夏の句の行間からは無視できない儚さが
溢れます。
この芭蕉の句は寂の句でありません。寂と認定するに、その色は鮮やかすぎると言えます。
でも、私にはそれでもこの句の根底にあるものは、一定量の寂を寝床にしていると思えるのです。
 
その説明は省きますが、こういった未だかつて遭遇したこともない深淵性がこの世の中に存在していたと知った時、クラスルームから出た私の目の前に広がる景色はいつもながらのNor Calの空とキャンんパスの美しく目の揃った芝生の青であり、何ら違いがあるはずもないのに、もう決して同じには見えないのです。
 
同じに見えないということは、クラスルームに入った時の自分の世界から、出た時の私はもう違う世界に移動していたことを意味します。
それまで楽しいと思ったことが下らなく思えたり、それとは反対のことが意識の内外で起こり始めます。
英語の不出来なんぞ一足飛びに跳超える、そんなことは取るに足らないと思える精神世界での大きな変動だったのです。
 
バークレーの最初の1年の終わりの出来事でした。
 
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このクラスが終わった頃から大学を卒業したあとの進路を考えるようになりました。
 
英語が今ひとつでアメリカで働くにはもうちょっと努力がいると思われ、積極的に就活をするような気分にはなれませんでした。
今ならすぐに日本に帰って就活したかもしれません。まだなんとか49歳で、40代に足を引っ掛けていましたから、仕事を見つけるのは今ほど難しくはなかったかもしれません。
でも、どうしてもそうする気にはなれなかった。
その当時の自分には、それをしてしまうと自分に負けたことになる、というそういう思いがあったのです。実力も、現代の即戦力のみを請う資本主義という流れを読む社会的読解力もないのに、変な意地だけはあったのですねぇ。
 
ですが、それで良かったのかもしれません。
 
オックスフォードへ行ったことは「失敗だった」とアメリカで出会った私の心療セラピストは言いました。
その当時の自分を省みると、「まぁ、そう言われても仕方がないな」と思いますし、今の頭だったら、私はオックスフォードには行っていないな、と断言もできます。
 
でも、行って良かったのです。
 
そんな、30年も遅れて進路に悩む女子大生に ニヤニヤ 、大学院に行ってこれを研究してみたい、と大それた夢を語らせる概念との出会いがやって来ます。
 
それが「恨み」の概念。芭蕉の「寂」と出会った1年後のことになります。
明日に続きまーす。
 
 
どんどん行こう、そこには曲がり角があって、その先には見たことのない世界が広がってるんだから。