ずっと知りたかったこと


先日、本家主宰の寺子屋「ジラールのミメーシス」を受講させていただき、ずっと知りたかった学びを得ることができました⭐︎

人間には、自分自身の欲望というものは存在せず、他者が欲しがっているものを欲するようにできていて、それを発見したのがジラールでした。

ずっと知りたかったことのひとつに、「ミメーシスと真似の違い」ということがあります。

ジャズを学ぶ方法のひとつに、多くの場合は耳コピをします。そうして即興演奏の引き出しを増やすと言うことをやっていました。

一方で、模倣をすることで「真似」になってしまうパターンとは、何故なのか長年の疑問でした。

ミメーシスを積極的に利用することで、偉大になった人物として、ピカソ、モーツァルト、イエス、シェイクスピアの例が紹介されました。

単なる模倣ではなく、他者の欲望を模倣するのです。真似るのは物理的現実世界ではなく、情報空間です。(現状ではなく)移動先を模倣するのです。どう移動先を模倣するかと言えば、欲望を模倣することによって行います。

誰かの欲望を見つけたら、それが欲望する対象を素早く捕まえて提示するのが、モーツァルトであり、ピカソでした。とすると、それは模倣ではありません。異なるものを提示しているのですから、模倣ではないのです。模倣ではなく、欲望の模倣である所以です。
まといのばブログより引用

ジラールが議論しているのが、模倣ではなく欲望の模倣であることに我々は注意を払うべきです。

モーツァルトは見事にサリエリの欲望を模倣したのです。そしてその欲望が指し示すものを情報空間から引っ張ってきて取り出して見せたのです(もちろんこれは映画ですが、でもおそらくは高い確率で現実もそうでした。近年のモーツァルト研究、シェイクスピア研究、そしてピカソ自身の絵画の取り組み方からすると、この逸話のように剽窃の天才であり、ミメーシスによって不完全なものを完全にすることの天才であったことが分かってきています



まといのばブログより引用


モーツァルトやピカソは、まだ相手が手にしていない欲望、つまり相手がやりたかったことを、作品に落とし込んでいたのです。

欲望は情報空間にあるもので、模倣することで、偉大なミュージシャンや作曲者の欲望にアクセスできるという側面があるのです⭐︎



絶賛ハマっていて毎週ジャンプ+で読んでる「チェーンソーマン」の作者、藤本タツキさんが、「血や内臓を描きたい」と仰ってました。

藤本さんが影響を受けた作品の一つに「クレヨンしんちゃん」があって、これは想像ですが、バイオレンスや血と内臓なんて子供向けの漫画で描けないはずなので、十分にあり得るミメーシスだな〜と、個人的な分析ですがそんなことを思いました。

この世の地獄「支配、戦争、飢餓、死」を描きたい欲望があって、その先の「ハッピーで埋め尽くしたい」という切実な欲望をミメーシスしたのが米津玄師だとしたらとてもエモい。(KICK BACKのおはなし) 


ピカソの言葉「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」というのは、ミメーシスによって不完全なものを完全にするということなんだと、腑に落ちました。

本日のタイトルは、三島由紀夫の行動学入門より引用しています📚

個性と劣等感が結びついているものなら、その両方を忘れてしまえば、どんなに楽だろう。おかしなことに、人間の心には、「みんなとちがっていたい」という気持と、「みんなと同じになりたい」という気持がいつも争っているのです。

三島由紀夫『行動学入門』より引用


欲望は模倣されるもの、

模倣は競争を生み、

競争は生贄に至る。


だからこそ、考えることが大事だと学びました。

何故なら、欲望はミメーシスされるから。


考えることで世界は変わるからです。


「考え方の考え方」を実践として続けていきたいですおねがい


Happy Holidays🎅🏻🎅🏻🎅🏻
素敵なクリスマスを💗