忌中であっても、ばたばたしてます。


こんなに色々あるのか、大変やなぁ、です。

やっとやっと99歳で、悲しくない、めでたい白寿やし、やっとこの世の鎧を脱ぎ捨てて、シンプルな中身一つで、良い所からのお迎えが来てくれはった。
世間では、悪い事をする人がいるので。
申請の許可のハードルが高くなっていて、そこにお役所仕事の複雑さも加味されて。
ムカつく。

世間イコールお金かぁ。



セレマも市役所も銀行も、一度では済まない。
こんなに、何べんも。

急遽、お世話になった施設に、提出書類の相談に行く事になった。
施設には、京都でめっちゃ道混む三大か所のうちの一つのエリアを通って行かねばならない。

空いてりゃ、30分、混む時は1時間半。

 
施設には、午前中に着けて良かった。




ついでと言っては何だが、お礼のご挨拶も兼ねて、ケアマネさんに再会もできた。
ありがとう。




施設の近くに、何べんも何べんも、前を通過するだけだった所に!
なーんか良さげなカフェあるやん。
桜の木が何本も植え込まれていて、元学校?

「ここは、何だろうね」
と、言うてた場所がある。

これまでは通過していた。

昨日始めてわかった、元学校の敷地だった。

そんなカフェに初入店。





緑に囲まれて、 とても気持ちの良い場所でした。

ランチも、パンも美味しい。
何より、ピクルス最高!!でした。


今度私も、ピクルス作ろう。



外のお庭でお茶してずーーっと粘ってるママ友もいました😄

近所のお兄さんが、ソフトクリームを2つ注文、両手にコーンを持って、買って帰って行かはった😂😂😂😂
みんな、この気持ちの良い場所に、小鳥のように、羽を休めに来ているんだな☺




昨日は、出かけるのがわかっていたから。
早起きして、焼き焼売を作っておいた✌

頑張ってミンチ練る、エビも一緒に。
せいぜい10分。
20分は無理。

が、しかし、チーン‥‥‥

焦げてしまいました😅





いちごジャムも、作ったよ。
甘味は、はちみつだけです。



最近は、なるべく外食したくなくなりました。
まぁ、所用が多く、飲食店に入ったら、粛々と食べるんですけど。
落ち着かない、味気ない、ワンパターン、マンネリですね。


家の食事でも、スーパーで買って来た揚げ物やカップ麺は、手軽で助かるけれど。
出来合いのもんは、油が心配やし。
自分で作るささみフライ、自分で作るポテサラ、きゅうりもみ、スープ、鮭フレーク、豆ごはん、季節野菜の胡麻和えなど。
それらが、落ち着くんです。
自己満です。



もちろん、ハッピーターンや無印良品の色々味バームとか、醤油せんべいや、ピーナツチョコも大好きなんですけど。
ハッピーターンは、おそらく永遠に、私の中の、瞬殺な食べ物ランキングトップオブトップ!
それからねーー😂😂😂
ユーハイムのクランツ。
丸ーいリングのバターケーキです。常温保存可なやつです。
しかし、残った事は、ない😤(ふんぞりできるような自慢じゃない😅)

ハッピーターンのあの魔法の粉だけ売ってくれ、と、サンタクロースに頼みたい。


‥‥‥何を言うてんにゃ、私は😅





お葬式は、色々な事を思い起こさせてくれる。
良い事ばかりじゃないけれど。
大概こんなもんなんや、と思てれば通り過ぎる事ができて、生きて日常に戻って来れた。
禍福は糾える縄の如し。
大きなことから小さなことまで、人生は、それの繰り返し。



式中、お坊さんのあげてくれはるお経のせいなのか?!🙄
気づかなかった事に気づいたりする。
やなことも、ありがたいことも。


胸中、取り乱すようなものがこみ上げて来て、それをセルフコントロールできなくて泣きそうになる、なんて事には、ならないで済んだのが、何よりありがたかった。
それを姑に、感謝した。



不思議な事もいっぱいあった。
彼女の想いは、ありがとう❤伝わってる。
背中ぽんぽん。
私の勘違いかも?
それでも、いいじゃないか!!
ソフトランディングできたんやから。




全て、誰かのおかげがあって、今の自分のここがある、って、もんのすごく感じた。
それは、絶対、そう思ってるんやけど。




こんなに良い風にまとめると、私が良い人みたいになるじゃないか。
それは‥‥
ちょっと違うかも知れない。
うん、私やないね、と、自分にツッコむ。私なんか、修行が全然。
足りてないぜ。



私なんかじゃなく。
親の介護しながらお仕事している、優秀で若い人達が、もっと楽に働ける、生きてゆける介護負担、それが眼鏡をかけてる、ぐらいの負担の軽さに、なればいいのに。
その為の、法治国家やろーが!
と国の舵取りぃーーー!




共産主義下の国民、民主主義下の国民、法制度上の、生き方の対応は違うだろうが、人間みんな、関係なく同じに老いて、亡くなる。
親子、って感情は、同じ、なんちゃうやろか、な、気がする。


私に限るかも知れんが。
娘に対しての自分の中の(この胸の、この心臓の)、なんかわからん所からこみ上げてこみ上げて、どうしようもなく、どうしたら良いのかわからなくなる。

私の身体は「葛藤する無知な犬のような生き物」に、原始化して、固まるん。


それを世間じゃ、親子の血脈と言うのかなぁ。
こんな子育てしっかりしてない私でも。




みんな看る側看られる側の意識は、違っていて、まちまちで。
特に看られる側は、感情感覚が、過去に固執する。
どんどん、きつくなる。
辟易するほど。


人間、生きとし、生けるもの全ては、そのような淵から、何かを覗き見て、怖ろしくなって、元の景色の中にいる事にハッと気づいて。

それで。

(あ、あったかいおうどんのおつゆでも味わって、ほっこりしよ)って。
ほっこりに戻れて、安心できて、また時の経過に身を任せて、老化の道を進む。
のかも知れない。




生きるとか、死ぬとか。
看る側が、介護という予習の学びをしていたとしても、はたと認知症になると、全部崩壊するんだ。
桐島洋子さん。
オノ・ヨーコ。
大山のぶ代さん。
ましてや、アホな自分だって。

それは、我が身にだって襲ってくるかも知れん、まわりの不幸なのだ。