マイブームで、ものすごくハマっているジャンルのYouTubeがあります。
それは、主に離婚への話し合いの仲裁動画です。
「ジャックポット」「リセットボタン」「ボイコット」「アンマスク」
スマホに、どんどん出て来ます。
それぞれのYouTubeに、それぞれ仲裁人達の個性が、花咲き揃います。

そのようなジャンルのYouTubeを何故見つけた?
最初、スマホが提供してくれたのが「ジャックポット」から。
AIが、私の好みに沿ったものだと判断してのこと。
なのかしら?
離婚に至る話し合いの仲裁動画、というジャンルは。
それらの1話毎の殆どが、離婚してバイバイの結果で終わっている。
話し合いの結果、夫婦関係が再構築されるなんて事は、皆無に等しいほど、奇跡ぐらい。
に、ない。
それでも、結果が再構築の回の動画だったりすると、こっちの勝手な気持ちで、ほっこり涙する。
実際の当事者同士のこれからの日常は、本当にこれまで以上に、平坦ではないだろう、というのも、後からわかる。
そんなん、簡単に想像できるんだけれど。
見物側のこっちとしては、ひとときの清涼飲料水やなぁと捉えてて、夫婦関係の再構築やねっ、て。
無責任に、ほっこり涙したり、する。
時には。
中には立派な態度と言葉と決断、を表明する、高潔な人もいる。
男女に関わらず、です。
たまに、そんな事言う、尊敬するような事を言う人も、いる。
っていうのは、どれだけ平凡な市井にも、日常生活の達人、逸物がいてはる。
という事が、また、私のような小者を、無言で叱る。
逸物は大概、される側の人。
そして、私もこの人のように、高潔に生きられる人間になろう、と、尊敬して寄り添う。
そして、反対に。
する側の人は。
とてつもなくだらしなくて(だから不倫するし)危険だったり(だからDVするし)嘘ばっかりついて言い訳して、自分のせいではなく、人のせいにして、あくまでも自分だけを守ろう(他責と保身)と。
終始、そんな発言しかしない。
こいつ終わってるな、腹立つわぁと、勝手に思いながら、観る感じ。
ものの見事に、一切合切、ワンパターンです。
人間関係て、人間て、こうやって、人間社会が作られてるんやな、とも思う。
つくづく勉強になる、とも思う。
悪魔側と天使側が、複雑に絡み合う玉石混交の現実世界で。
表現力がないので、どう言えば良いのかわからないのだけど。
気づいた人間から、良くなって生きて行こうと。
精一杯、精査判断して、高潔に生きて行くために頑張ろう、と。
今ある自分は、反省もしなきゃいけないし。
それでも、健康でご飯が美味しいと感じられてるし。
それは、何よりも感謝で。
自分の咄嗟の時に出てくる反応が、あぁ、人として間違いじゃない答えになれてるな、っていう事に、安堵する。
(自分よ、ここまで来れたから、良かったね)
って、思うのと同時に。
(こうやって、自分をいい子いい子して自惚れるんじゃない。
そもそも幸福の基盤があってこその現在なんやから。
やっぱり、日々感謝して生きて行く姿勢は、持たんとあかんし。
だから、何に対してか、わからんけど、先ず、先ず、ありがとう、なんや)
⋯⋯⋯って⋯⋯⋯
若い人達の、呆れるほど享楽的で、はしたなくも活き活きとした、下半身の不倫仲裁動画を。
マイブームで。
おびただしい数のんを観てて、そんな感想が芽生えるんです。
そして。
気づいたの。
例えば何故、愛染明王のお顔が、あんなに怖い顔なのか、って。
普通、仏顔とは。
半眼で瞑想チックで、見た目優雅で、極楽チックなイメージなはずなんや。
ところが、仏像は、それだけではないのは、何故なのか?
何故、憤怒の形相の、しかも、めっちゃ怒ってるし。
光背の代わりに、怒りでメラメラと背に火炎が燃え盛っている、怒りの仏顔が生まれたのか?
今まで、なんにも全然気づかんかった!
今、気づいた!!
ほんわか優しく、許して感謝ばかりでは終わらないのや、人の世は。
時には、鬼の形相で叱りつけ、反省させ、
謝罪させ、状況を律する方向へ導かねば、人間社会は、むちゃくちゃになるやん?
それが、憤怒の形相の仏像の信仰、として、伝えられて来たのだ、と。
個人的に合点がいった。
怒り、恨み、妬み、嫉み、などの、低い人間同士の汚い感情を、諌める存在は、きっとこの世にいるよ、って。
だから、悲観せんときなさい、って。
困ってる人、悲しんでる人に、信仰という人工的な世界からの声かけがあり。
その表情が、結果となって見る者に訴えかけている。
憤怒の表情、ってそれなんかなぁ、って。
思っただけ。
知らんけど、なんですけど⋯⋯
される側は、必死に訴える。
そして、その怒りの尊顔の中に、おのれの心中の怒りと同じだ、と、鏡をのぞき込むように感じて、はっとする。
仏さまは、私の怒りをわかってくれてはるのかも知れん、って。
(昔、そんな事を経験した。
でもその時は、大きな大きな大きな観音さまだったけど)
する側だって、逃げ切れずに、人生が上手く行かなくなった時、自業自得と気がついて、たまには。
いよいよ反省する時があるかも知れん。
憤怒の像の見た目に気づく時。
叱られてる、って感じる。
そんな事も、たまには、あるかも知れん⋯⋯⋯
そこにも、私は、それです。
なんか知らんけど。
何か、知らんけど、続きで。
今日は、お墓参りでした。
三十三回忌は、世間では、ほぼほぼ最後の供養の回だと言われているそうです。
そりゃ、そうよね、って感じです。
お寺さんよ、いつまでもしつこく金むしり取ろうとするんじゃねーよ!です。
来年、夫の父親のんが、それです。
今年の姑の三回忌に続き、来年もまた法事です。
墓参の直後。
よそのお墓の汚れ具合から、よそのお墓参りの様子に目が行って、よそ様は、いつ墓参に来られたのかしら?
なんて、夫と少し会話をした際。
何か、ふと、水を差し向けられた気がして。
不意に、私の口から出た言葉。
狙ってた訳じゃない。
「(長女の名前)が、私を悪者にしていいから、墓じまいして、って言うてた」
「そんな事言うたら、じいじが烈火の如く怒るよ、って(長女の名前)に言うたよ、私は」
この内容証明郵便的内容を、瞬間湯沸かし器の夫が、無言対応ではあったが、返事無し、ではあったけれど。
without癇癪で、静かに受けとめてくれた状況が。
私は、ほんまにほんまに、ありがたい。
稀有な出来事。
舅の命日の、墓参効果だぁー!
お墓参り行って良かったな。
\(^o^)/わぁい、今日の成果や、と思いました。
鬼ほど長〜い、鬼のようだった姑。
その生が終わり、亡くなってからパカっと、抑えつけられていた暗雲が去った直後。
どんだけ、こっちが呆けダメージ食らってしまったか。
サッと、蘇れんぐらいに、生き返れんぐらいに、長生きしやがって。
こっちが瀕死状態だった。
そして、抜け出せんかったさ。
我々は、婚後50年やから、夫に言いたい事は、まだまださまざまある。
しかし。
「ありがとう、ごめんね」は、お互いさまやと思えばそれで済む、というころまで、自分が、今至れてるし。
後は、自分の自立への、努力を(悲観する事なく)せねば。
どうしたって相手は、おそらく先に逝く。
たぶんね。
その時。
あいつの下の世話をせんで済むような状況に、もって行ければ⋯⋯
どんだけ、ありがたいか。
最近、ギュンギュン、こんな事考えるようになって来た私。
何かの覚悟を、せんとあかん時なのかなぁ。
って、わけわからん不安が過ぎります。
私って、本来、甘ったれで、いつまでもキャピキャピちゃわちゃわした幼稚なアホで、無責任におもしろおかしく過ごせたら、それこそラッキーやん。
ていう、ええ歳こいた、つまらない軽い浅い奴、なのにね。
帰宅して、夫が言う。
今日は満月なんだそうです。
戦いは、続くのかも知れない。
乞うご期待!!
