車で移動する時、自転車で出かける時、忙しいと時短ばかりを目標にして一日最後に見返す歩数計は少しも捗らなくて 数百歩しかカウントされてない時があります。実際にはベランダとリビングルームを行き来したり掃除機をかけたり雑巾がけをするからちゃんと足🐾だけでなく体使っているのに。
出かける時しか歩数計を
身につけないから主婦仕事はカウントされないと気付くと 女性の地位や担っている仕事が社会だけでなく家庭でも過小評価されている?ことを物語っているようで悲しいのか悔しいのか複雑な気持ちになります。、、ただ歩数計にカウントされないだけで飛躍し過ぎているのは分かっているけれどこんな考えが湧いてくるのはストレスが溜まっている証拠
かも知れないから近所の公園まで散歩に行きました。
しばらく振りの晴れで
緑がいつもよりキレイに見えるのは薄桃色の桜が終わり新緑になったからでしょうか 久しぶりの青空も加勢して見慣れた景色も5割増しな感じです。どこを歩いてもいつもよりキレイだからお昼を挟んで午前も午後もウォーキングして自由な時間を楽しみました
自由!
には責任が伴う、とかつて勝手気ままに暮らしていた若い頃に親に叱られた?記憶がありますが社会人になり大人になってアラ還に到達するとあの言葉は何かに従属させたり社会の仕組みに組み込まれる方が安全と考えていた世代からのメッセージだったことに気付きます。きちんとした型に倣って人生が上手く行くと考えていた親の世代から何でも自分でやってみる自由が与えられた世代は違った価値観をもっていたみたい。
仕事を持ったり結婚したり
何でも自分で答えを出すようになった時が初「自由を感じた瞬間」でした。その後何度か同じような快感を繰り返して「自由はいつでも手を伸ばせばすぐ近くにある」と思っていたらコロナ禍になり💧今までの常識がひっくり返ってしまいました。不自由な暮らしが4.5年も続いて コロナ明けで周りを気にしないで活動できる様になった今やっと手足が伸ばせる感じになり再た々々
自由を感じられる様になった
かも。
こんな自由を感じる瞬間??
マスクをしたりワクチン接種を続けている人が未だいることを考えると何だかイライラしちゃうけれどあの人達を説得できる人はいないのかも知れません。最近は窮屈を楽しんでいる人々と考える事にして対立を避ける努力をするばかりです。日々のストレスをなるべくスピーディーに解決してヘンテコな考えが脳の中で生まれないよう気をつけなくちゃ。日本は不自由な国です。 short-short 58 覚書 438
![](https://ssl-stat.amebame.com/pub/content/9477400408/amebapick/item/picktag_autoAd_301.png)