テレビも芸能も興味がないから毎日、平安なのかもしれない、と思い始めたのはコロナ禍よりもずっと、ずーっと前から。世間がパンテミックの渦に巻き込まれても人は娯楽を求め、パンテミックだからこそ普段の日常を恋しく思い娯楽番組が絶えないのか真意はわからないけれどニュースを検索するとなぜか芸能人のトピックも一緒に紹介されるのです。

私は並んでいるそれらの記事に「芸能はニュースじゃないよ」と不満に思いながらスマホのアルゴリズムに興味がないことを伝え my 画面を掃除します。それでもかつて耳にした事のあるフレーズは詳しく知らなくても常識の範囲内で記憶する事にしています。ずい分昔になるけれど三婆と云うドラマ?が流行り、、1970年代から今に至るまで有名処の女優さんが技を競う舞台です。

内容はちょっとブラックだけど喜劇テイストだから記憶に残るのは涙を堪えて笑った場面だったり女優さん達の凄技びっくり、、そして場面は破茶滅茶な会話のやり取りが続き話題になり易く又、「タイトルのキャッチーな名前が舞台に足を運んでない人々にも」拡がります。

演じる人によって小説の中で描かれた三人の女性の年齢は多少の違いがあるとしても「婆」の文字から察することができます。、、、で、今回、現実に三婆が実家に訪れる機会があり私は付き合い笑 かつてのドラマを思い出しました。

連れ合いをおいて叔母達が実家に顔を見せました。待ち構えるのは母と妹、近くに住む私ですから四捨五入すれば三婆ならぬ六婆がランチを兼ねてテーブルを囲みます。


取り分けて皿に盛り付けたモノを📸✨に。。



それぞれが持ち寄れば少しずつでも豪華?なランチになり一頻り食べた後には集まった皆から近況が話されます。最初は誰かが話すと残りの皆が聞くヘッドフォン パターンでしたが時間が経つにつれ近くの相手と「あれはどうなった?」とか「そう云えば」「この前、ありがとう」等親族であっても親しさは色々。6人は3組に分かれ(要するにman-to-man)話はよりプライベートになりペチャクチャ賑やかな時間を楽しみました。



一番遠くから飛行機を使って来てくれた叔母からのお土産はご当地モノ!の代表みたいです。


楽しい時間の中で舞台「三婆」を思い出したのは喧しかったからでなく高齢期の真っ只中の彼女達の一番の関心事が「終活」だったから。既に平均寿命を超え元気な高齢者になったラッキーな年長の叔母だけでなく皆が、どうやって生きるかではなくどうやって死ぬかを考えているなんて超ブラック


高齢化で終活がブームなのは、、明らかにTVの仕掛けテレビパソコン に違いないけれど、家族に余分な負担をかけずに「どう死ぬか?」を笑顔一杯にして会話する叔母と母の様子を見て現実は喜劇か?それとも悲劇? 否々.....TV脳でしょうって、、黙って突っ込んでしまいました。家族ってそれなりに世話をしたりされたり迷惑をかけたり被ったりするものなのに 爆弾 スイッチを押せば簡単に情報だと思っている洗脳装置は叔母達の意識にも影響している模様です。


終活を済ませてお墓の心配がなくなったら、あの世に旅立つ!と信じている彼女達をちょっと

冷やかに観察していたらランチタイムとオヤツの時間が過ぎ、ついに「名残惜しいけれど解散」となるまでエンドレスで話していました。子供に迷惑をかけない終活とは人の関わりが希薄になった今の社会の縮図 ....... ?!


これも再た、ブラックだなぁ、、 

近くに住む叔母達は解散と同時に帰りましたが遠方から来た一番若い叔母はホテルに泊まって埼玉を散策してから3日後に羽田発新千歳行きで帰ります。叔母曰く、埼玉では半袖で歩き新千歳飛行機フラッグに着いた途端にダウンコートを羽織るそうです。ホテルでゆっくりする間に脳内アルゴリズムを変えるべく、終活より有意義な事を探そうよと話してみよう。。。 覚書 345