東京都立第五福竜丸展示館 | LIZABSTRACT

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プロフィールに書いています。無断転載お断りしております。

先日、東京都立第五福竜丸展示館に行った事を
少し書いたが、改めて第五福竜丸について
書いておきたいと思う。


夢の島公園の埋立地と海がいりくんだ場所に
展示館はあって、青い海を臨みながら公園の中には
バーベキュー場がある。
何組かのグループがバーベキューを楽しんでいた。
東京で一番の汚染地は東京湾だとNHKで
放送していたので、空間線量もさぞかし高いのかと
思っていたら0.05μSvくらいでかなり低い。
気持ちの良い場所に展示館はあります。



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展示館に向って歩いて行くと
高校生がふたり展示館から
出てきたのが遠くに見えた。
若い子がこういうところに関心を持つのも
原発問題があるからだろうか?
だとしたら嬉しいし、これから原発問題は
私達ではなくむしろ彼ら若い世代が背負う事を
避けて通れない大きな問題である。



展示館の外に福竜丸のエンジンが展示してある。
廃船時に船体からはずされ貨物船
「第三千代川丸」に搭載されていたエンジンも
1968年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、
第三千代川丸は沈没したが、その後28年後に海底から
引き揚げられてここに展示されている。
このエンジンも数奇な運命を辿って
やっと福竜丸の本体とここで静かな時を迎えたのだろう。



展示館の入り口では、福竜丸の大漁旗が
出迎えてくれる。


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第五福竜丸は元々、1947年、和歌山県
東牟婁郡古座町(現:串本町)で
カツオ漁船第七事代丸(だいななことしろまる)
として進水した船だった。



事代主という神道の神様がいるけれども
事代主神は大黒天の子で
道祖神として知られるが、釣りが好きな
恵比寿神なのだとも言われている。
第七事代丸も恵比寿のお使いとなるべく
漁に出かけて人々の食卓を豊かにしようと
活躍した、そんな漁船の一艘だったのだろう。



全長 - 28.56m 幅 - 5.9m 
大きな木造の船体は近くで眺めると迫力がある。
恐る恐るスクリューの近くに線量計を近づけてみたが
0.09μSv位で、外よりは高いが今の関東の事を
思えばそれ程高くない。
因みにこの日の夕方の銀座四丁目交差点で
0.12μSv程度だった。




8月は終戦記念日前後で、広島や長崎の
原爆投下の番組とかやってましたが、
いつも不思議なのですが、核物質って
半減期30年とか長いものは二万年とか
よく聞きますが、広島の爆心地とかって
一体今どれくらいの線量なのか誰も言いませんよね?
検索しても北広島の線量を測るというものは
ありましたが爆心地を測るものはありませんでした。




もっとも新しく舗装したりしたら、
線量もかなり落ちるでしょうし・・・



放影研も
http://www.rerf.or.jp/general/qa/qa12.html

「広島・長崎にはまだ放射能が残っているのですか?
12 いいえ、実質的には残っていません。」
と答えています。



これを読むと、
「中性子線には、ガンマ線とは異なり
、放射性でない原子を放射性の原子に
変える性質があります。爆弾は地上より
かなり上空で爆発したので、
爆弾から放出された中性子線は、地上に
届いても弱いものでしかありませんでした。
ですから、原爆の中性子線によって生じた
誘導放射能は、ネバダ(アメリカ南西部)、
マラリンガ(オーストラリア南部)、ビキニ環礁、
ムルロワ環礁などの核実験場で生じたような
強い汚染ではなかったのです。」とあります。


つまりビキニ環礁などの水爆実験の方が
強烈な汚染があったと放影研はいうのです。

まるで「γ線やから全然被害なんかないやん!」
と言ってるようですが、なんだかこの説明で
私は納得ができません。




γ線だけでも被爆者は充分に悲劇的な
宿命を背負わせられています。

しかし広島長崎よりも、度重なる
原爆 水爆実験が凄惨なものであった事は
事実なのでしょう。
それでは、何故それ程の被爆を受けた福竜丸から
現在放射線が出ていないのでしょう?
除染した事は大体察しがつきますが、
どのように除染したのか気になりますね。




放影研のサイトだと、
爆心地 における最大放射線量は広島で 0.8 Gy
1Gy/h=0.8Sv/hなのでmSv/hに換算すると
0.8 Gy= 「640mSv/h」です。
一方第五福竜丸展示館の展示では
福竜丸は「2000~3000mSv/h」となります。

展示物の中で一番ショッキングだったのは、
昭和29年5月の日本経済新聞の記事です。
5月16日17日に東京に降った雨が1リットル当たり
4000~6000カウントだったと言うもので、
cpmという測定方法があり。
1分間に何カウント放射線が貫くかを測定する
ものですが、現在千葉県で0.1μSvの時に13カウント
測定しています。
雨で4000~6000カウントと言う数字は
驚きですが、それにも増して驚くのは
京都に16日に降った雨が1リットル当たり
8万カウントと言うものです。
鹿児島大学で4千カウント。
京都がダントツです。





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私の線量計はμSvとcpmの両方を測定します。
cpm 「counts per minute 」
「一分間あたりの放射線測定回数による放射線量」
計器の種類や状況によって誤差が
生じる場合が多いSvと違って、
人体に対する影響の大小は
考慮されないのだけど、そのカウントはSvとかよりも
正確なのだそうです。



福竜丸の場合は、アメリカに対して水爆実験の
責任を問うもので、なるべく正確に計測したいけれど
現在の福島は被曝した国民の責任をとりたくないから
なるべく出ないように測る。
なるべく正確性に欠ける計測をして
被曝の経緯を検証できないようにしている。
そんなふうに思います。


しかし・・・
日本経済新聞・・・経済界って
昔からちっとも変わってないんですね。





[「人口」ほぼ確実
 但し人体には影響なし]
そう見出しに書かれています。


経済発展途上の日本としては、アメリカに
強い事が言えなかった経済界なのでしょうか?
ここでもすでに「発病しても放射能が原因と
特定される事はないですよ。」と新聞に
言われている感じがします。

原爆投下と原水爆実験実験と
どちらの方がマシかなんて、実際に被曝された
方の身になったら言えないと思った。
もっと踏み込んで言えば、爆弾でなくて
原発だから多少被曝しても大丈夫なんて
いうことも間違っている。



原発による核の平和利用なんて無い。
被曝者が出るような事業が平和だなんて
全部虚像なのです。


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日本全土を汚して核の雨は、
一体どれ程どこに溜り、どこに散ったのでしょう?
除染などは無かったのでしょうか?

福竜丸はどのように除染され、
その後どんな運命を辿ったか?
福竜丸の乗組員の事。
書いておくべき事がたくさんあります。
そんな話はまた次の機会にしたいと思います。