ムバラク政権崩壊後のザヒ博士① | LIZABSTRACT

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2011春 311以前の私にとっての大きな
注目事のひとつはエジプト革命と
ザヒ・ハワスが関与する考古学上の
様々な利権と犯罪だった。


ムバラク政権下でのザヒ博士の現地での噂は
酷いものだった。
口先だけで私腹を肥やしているとの
評判は王家の谷でもカイロでも聞いた。

2012 8月11日
久しぶりにTVでザヒ博士を観た。
たしかムバラク政権崩壊後、
告訴されてしばらく干されていたのでは
ないかと思う。


以前から私を知っている方は、私がSNSで
ザヒ博士の黒い噂について書いていたのを
読んでくださった方もいらっしゃるかも
しれません。その一つに
ザヒ博士や吉村作治先生が
アンケセナーメンがツタンカーメンの墓に
贈った矢車菊の花束は仲が良かった二人の
愛の象徴のように語られている、
今でもカイロの考古学博物館で
みる事ができる展示品についている札に
「Small bouquet of Pensea leaves.」と
書かれています。

考古学博物館で、全く花がついていないのに
「矢車菊の花束」と書いているのに
ものすごく疑問を持ったのですが、
やはり同じ疑問をもってブログに書いていらっしゃる方が、
英国の知り合いに問い合わせたようで
×Pensea
○Persea =ワニナシ(アボガド)
と判明したようです。

博物館の札すら・・・
誤字だったのね~~~。


つまりその遺物は・・・
「ワニナシ(アボカドの一種)の葉の小さなブーケ」
だという事。
ザヒ博士と吉村先生の適当さにビックリいたします。

今回もまた懲りずにTVカメラに
写っていたアンケセナーメンの矢車菊の花束・・・
の、贋物。
学者も学者だけど、
TV局もTV局だと思う。


しかも「アンケセナーメンが贈った」と言う根拠は、
発見者のハワード・カーターが、その手記に

「この花束を、夫に先立たれた少女の王妃が、
「二つの国」を代表した若々しい夫にささげた
最後の贈り物と考えたい。 」と書いたから・・・

つまり、カーターの「そうだったらいいな~」という
ただの妄想で、考古学的意味は全くないのだが、
それに追随して考古学者の吉村先生が
そんな嘘ついたらダメだよ~!と思う。


彼らは考古学を金儲けの材料に
しているだけなんですね。
吉村先生が、革命以来全くザヒ博士と行動を
共にしない理由も非常に興味があります。


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               つづく