和気神社へ・・・1 和気広虫 | LIZABSTRACT

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宇佐八幡宮神託事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E8%A8%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

というものがあり
和気清麻呂の持ち帰った神託に依って
国家の難を救われたという話がある。

天武系からの最後の天皇である称徳天皇(しょうとくてんのう)の時に、
習宜阿曾麻呂が宇佐神宮より天皇の位を道鏡に譲れとの
神託があった事から、
女性天皇である称徳天皇の気持ちは揺れる。

道鏡は物部氏の一族出身で弓削櫛麻呂の子で、
法相宗の高僧・義淵(ぎえん)の弟子であり、
良弁からサンスクリット語を学んだり
している。言わばエリートの高僧なのだろう。
禅に精通していたことから、宮中の仏殿に入ることを許され
朝廷での出世街道を歩み始めるようになり
称徳天皇の病気の看病をした事をきっかけに
天皇のお気に入りとなったと言われている。

称徳天皇は重祚し、女性でありながら二度も
即位する事になる天皇だ。
父は聖武天皇、母は光明皇后であり、
仏教との繋がりはことさら深いのであろう。
女性の身であり、政治の世界に身を置いて長く、
精神的にもかなりお疲れだったのかもしれない。


称徳天皇は側近の和気広虫を

宇佐八幡神の神託を預かりに行かせようとするが、
虚弱で長旅に堪えられそうもない広虫(法均尼)

の代理として弟の清麻呂にその役目を命じた。


清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。
無道の人は宜しく早く掃い除くべし」『八幡宇佐御託宣集』
という神託を持ち帰る。


「皇室ではない者を天皇にしてはならない」と言う事だ。


道鏡は天皇になれなかったが、
道鏡を天皇に就けたがっていたと言われる称徳天皇なのか、
怒った道鏡派なのか?あるいは両方の勢力からなのかははっきり

しないが、

清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)
に改名され←結構、やることが幼稚。(*^_^*)
大隅(九州南部)への流罪となる。
姉の広虫も、別部狭虫(わけべのさむし・せまむし)
と改名されて、都から追放処分に←超幼稚な改名。(*^_^*)


新羅の女王である「善徳女王」と言う韓国の史劇が
あったが、ちょうど善徳女王が称徳天皇のようで、
道鏡がピダムのようだ。
ピダムが仏を意味する名前なのも面白い。

結末もちょっと似ていて悲しい。
称徳天皇は生涯独身で病死する。
道鏡は称徳天皇が崩御されると権力はたちまちに衰えて失脚。
ピダムは乱の末に壮絶な死によって果て、
善徳女王も間もなく病により崩御される。
(実際の韓国史ではピダムの乱の最中に女王は崩御される)

第46代とされる孝謙天皇と重祚して第48代称徳天皇になる
間に天武天皇の皇子・舎人親王の七男である
第47代淳仁天皇(じゅんにんてんのう)の時代がある。
この天皇はほとんど政治の実権がなく、
藤原仲麻呂に実権を握られていて、
最後は上皇より「仲麻呂と関係が深かったこと」
を理由に廃位を宣告され淡路国に流され、
公式では病死となっているが
どうやら殺害されたようで、葬儀の記録も無いようだ。

広虫は和気氏のシャーマンで称徳天皇に信頼があった所に、
男巫女の道鏡が現れて、法王となり
藤原氏と対立していく構図だ。
淳仁天皇はただただ巻き込まれて
時代に飲み込まれてしまった感がある。

淳仁天皇が即位した頃に、唐では安禄山の乱が起きた。
玄宗皇帝が寵愛し、楊貴妃が養子にまでした安禄山も
乱を起こし最期はあっけなく暗殺される。

そういう、明日をも知れない激動の時代だったのだろう。

道鏡が失脚後に、割合と刑が軽く極刑にならなかった事で、
道鏡自身が皇位を狙ったわけではないと言う説があるが、
仏教僧であったと同時に、積極的に祈祷師であり、
男巫的要素の強い道鏡に畏れを持って

極刑に出来なかったのではないか?と私は思う。


中国では高僧の肉を喰うと不老不死となる、とか言い
三蔵法師を襲う話があったような記憶があるが、
一方、日本では仏教僧を騙すと七代祟る。とか
坊主殺すと七代祟る。などと言われ、
道鏡のような力のある僧侶はなおさらの事、
恐れられたのではないかと思う。


宇佐八幡宮神託事件で実際に
「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。
無道の人は宜しく早く掃い除くべし」と言う神託を預かったのは、
禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)である。
辛島氏のシャーマンだ。
和気氏と辛島氏の繋がりの深さを感じる。
和気氏が積極的にのパトロンになっているのも
辛島氏が応神八幡に仕えた女性シャーマンの家系で、
男巫女の道鏡を失脚させるきっかけになったのも興味深い。
辛島氏スサノオを先祖としている家系であることも
見逃せない。

和気氏も辛島氏も鉄繋がりである事で、
関係が深いのかもしれない。


先日、岡山を旅した時に
和気町の和気神社にお参りした。

次回は和気神社への旅の事を書こうと思う。


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