第七話 | 小説・混雨 【まじりあめ】

小説・混雨 【まじりあめ】

学生時代に制作した映画の小説。カナダ・バンクーバーを舞台にしたストーリー。

2000年 バンクーバー

12時間のロングドライブを経て、バンクーバーのメインストリートに位置するバスディーポに茶子は降り立った。このバスディーポからカナダ全土へ向けて様々なバスが旅立っていく。

ロビーには家族旅行やツアー客が溢れかえっていた。マクドナルドの前で泣き叫ぶ女の子、シアトル行きのバスに乗ろうとする老人団体。皆それぞれこれから始まる旅に心躍らせているようだ。


茶子がここ、バンクーバーに降り立つのは実に3年ぶりになる。雪姉さんの死をきっかけにすっかり疎遠になってしまったカナダ第3の都市バンクーバーの喧騒は田舎から長時間を経てたどり着いた茶子に一層の疲労を感じさせた。


小さいながらも自分の夢を着実に膨らませ、出店まで漕ぎ着けようとしている茶子の最後の仕事が、ここバンクーバーにある。
最後の仕事は今までの試練に比べたらいとも簡単に終えてしまいそうなことだったが、茶子にとっては一番気の重くなる仕事であり、一番不安なことだった。

この一年、忙しい合間を縫って初めての出店に向けて一つ一つ難題を片付けてきた。一番の障壁は当然のことながら資金繰りであった。

小さいといいながらも、カフェの出店となればそれなりの資金が必要となる。当初は6万ドル前後で収まるだろうと思っていたが、当面の運転資金やスチーム機材等を含めると8万ドルになってしまった。8万ドルという額のお金を茶子は今まで見たことがないし、全く想像もつかない。

決して野心家でも起業家でもない茶子が、書いたこともない事業計画書に着手し、投資家、銀行に頭を下げる。当然のことながら軒並み首を左右に振られるばかりであった。

担保になるものは、亡き両親が残してくれたエレファントマウンテンの裾野に広がる1000坪の土地。しかしこの寒村の土地など担保に相当するような価値のあるものではなかった。ましてや子供の頃に誓った夢をかなえるためにカフェをオープンしようとしている茶子に、投資家達を納得させられるだけの大義名分など持ち合わせていなかった。


何度もくじけそうになりながらも、独り頑なにあの頃の夢にこだわっている自分が哀れにも思えた。今まで心の中で強く燃えていたオープンの夢も、気が遠くなるような道のりに何度も挫けそうになった。雪の死がなければ、これほどまでにがんばれなかったかもしれない。


そんなある日、しばらく会っていなかった叔父が突然尋ねてきたのだった。

「茶子、なんか面白そうなことをやってるらしいね。先日、バンクオブモントリオールの人間がうちに来てね。一見おとなしそうな 女の子が、いかにも説得力のない事業計画書を持ってきてひたすら融資を頼み込んできたって言っててね。よくよく話を聞いてみるとどうやら私の姪っ子らしい。どうしたんだい?なんで私のところに話を持ってこない。」

「だって、、、、」

茶子の叔父はロイヤルバンクのネルソン支店長。まだまだ差別や偏見の残るこの田舎街にして、日系人としては異例の出世といえる地位を叔父は築いていた。茶子は、自分にとって一番頼れる存在とわかっていながらも、叔父に頼むことは甘えることだと思い頼めないでいたのだった。

「まずは話を聞かせてくれないか?説得力があるかないかは別として、一銀行マンとしてあなたの夢を聞いてみたい」

そう叔父はいい、幾分白髪が目立つようになった髪を掻き分けながら、優しい眼差しを向けてきた。
茶子は叔父の優しさに心を打たれながらも、これが最後のチャンスと自分に言い聞かせ、一生懸命包み隠さず話した。


子供の頃みんなで誓った夢のこと。仲間達が皆ネルソンからいなくなり、自分が唯一彼らとの繋がりを保持できる最後の夢だということ。姉の死、姉の叶えたかった夢のこと。
そこには投資家に対しての作られた事業計画ではなく、売上予測も立たないような絵空事でしかなかったが、叔父は話が終わるまでそんな茶子の姿を何も言わずに見守ってくれた。

「自己資金は約1万ドルあります、、。担保に相当しないだろうけど、エレファントマウンテンの近くの土地もあります、、」

茶子は頼み込むように自分のすべてを話した。叔父はどんな反応をするだろうか?全く予想がつかない。これが駄目だったらどうしよう、そんな思いが頭をよぎる度に、叔父の優しい視線が胸を痛める。

「7万ドルか。結構な大金だね。」

一呼吸置くと、叔父は葉巻に火をつけた。何か考え込んでいるようだ。白い煙がもくもくと立ち込める。葉巻をおいしそうに吹かす姿は2年前と全く変わっていない。
叔父は壁に掛けてある雪の写真に目をやり、そして優しく茶子に語りかけた。

「やってみなさい」

突然の言葉に茶子は一瞬理解できなかった。そんな茶子を見透かしたように叔父は続けた。

「その代わり、場所はベーカーストリートの私の土地を使ってくれ。こんな僻地でカフェをするなら、それこそ立地が勝敗を分ける。私の土地はうちの会社から数十メートルしか離れてないし、それなら私も毎日だって通えるだろ?」

「ありがとうございます!!」

思わず茶子は立ち上がり、深く頭をさげていた。涙でかすんで叔父の姿がはっきりと見えなくなった。今までたまっていた不安、挫けそうになった夢。心細かった毎日。すべてを吐き出すように、とめどなく涙が流れ出た。


叔父は何も言わず、茶子の肩を抱きしめた。


すべてがうまく回り始めた。後はバンクーバーでみんなにこのことを伝えるんだ。バスディーポの外でタクシーを捕まえ、
宿泊予定のホテルへと向かう。
茶子は今回のバンクーバー行きが最後の大仕事であることを、一年以上前から知っていた。どんなに自分の思い通りの店ができても、みんなが帰ってきてくれなければ意味がない。たとえみんなが帰ってきてくれなくても、あの頃の思いを果たして何人が心の中に保ち続けていてくれるだろうか。


自分自身、様々な現実に直面し、その思いが揺らぎそうになっていたのも事実。
仮に叔父がロイヤルバンクの支店長でなければ、7万ドルの借金を抱えてまで出店には踏み切れなかったに違いない。

それに、ベイカーストリートのど真ん中の土地を叔父が譲ってくれるという幸運にも恵まれなければ、とても叶わぬ夢だったのかもしれない。叔父は、私に採算のとれる人気カフェに成長することなど微塵も思っていないのかもしれない。

姉の死、友人の度重なるネルソンからの逃避など、叔父は茶子の決して輝かしくない歴史を充分理解しているだけに、背中をおしてくれたのだろう。それに、茶子にとっては大金でも、ロイヤルバンクの支店長ともなれば7万ドルなど痛くも痒くもないはずだ。


とにもかくにも、叔父のためにも、自分のためにも、そしてみんなのためにも、この夢は達成しなければいけないのだ。

まずは、誰から行こうかな、、、。

3年近く会っていない友達の顔が次々に浮かぶ。期待と不安の入り混じった感情を胸に、茶子はタクシーのシートに深く腰掛けた。