はじめまして♫

 
ご来訪ありがとうございます☺️
 
 
看取りに惹かれる看護師
 
自分の人生を生きる人の
 
最期の寄添い人
 
はせがわあゆみ です🥰
 
 
 
 
"死"を考えることは "生きる"を考えること
 
【人生の最期をどうすごすか】
 
この言葉
 
余命宣告された方や
 
高齢者だけに当てはまると思っていませんか?
 
 
自分自身の最期の時間は
 
まだまだ先だって思っていませんか?
 
 
本当に??
 
明日、交通事故にあわない保証はある?
 
明日、自然災害に巻き込まれない保証はある?
 
今日、心筋梗塞を起こさない保証は?
 
 
毎日の日常を積み重ねていったら
 
最期のゴールは誰にでもくる
 
 
死は
 
等しく誰にでもくるんです
 
 
いつ来るかなんて
 
誰にも分からない
 
 
つまり
 
誰もが
 
【人生の最期の時間】にいるのかもしれない
 
 
残された時間の長さは
 
誰にも分からない
 
 
あるのは【今】だけ
 
 
その愛しい【今】という時間を
 
どうすごしますか??
 
 
 
 
看護師を目指した理由
 
私は社会人経験を経て
 
看護師になりました
 
 
パチ屋のアルバイト
 
料亭の仲居さん
 
コーヒーショップ
 
 
色んなバイトをして
 
お金を貯めてワーキングホリデーでNZへ
 
 
その後関西の福祉施設で事務として働きだし
 
 
そこで出会った看護師さんの一言が
 
人生の転機となった
 
 
「看護師は、魂で会話するんや」
 
 
しばらくその言葉が
 
頭の中でこだまする日々を過ごし
 
 
表面的な会話ではなく
 
心で
 
もっと深い魂で
 
人と繋がる
 
 
そんな仕事がしたかったことを思い出した
 
 
その瞬間
 
看護師になる
 
ということが
 
ストンと腹に落ちてきた
 
 
腑に落ちるという言葉にぴったりの感覚でした
 
 
 
看取りに惹かれる
 
今までの人生の中で
 
一番心に残っている“死“にまつわる出来事
 
 
それは
 
身内の死でも
 
親しい人の死でもなく
 
 
働いていた福祉施設に入居されていた方
 
 
名前は知っているけど
 
顔も思い浮かばない
 
話したこともない
 
 
その方が亡くなって
 
お見送りに参列したとき
 
正直何も感慨深いものはなかった
 
 
その一週間後
 
故人の所へよく顔を出していたご友人
 
その方が施設のスタッフと
 
故人の想い出話をしながら
 
突然泣き崩れた
 
 
「もう会えない・・・」
 
 
その後ろ姿を偶然目にしたとき
 
 
その背中に
 
深い深い悲しみと
 
そして愛情を感じた
 
 
悲しみに暮れる後ろ姿に
 
その人を想う暖かさがあった
 
 
その瞬間に私はやっと
 
亡くなった方の死を感じた
 
 
大切な人の死ほどつらいものはない
 
心が引き裂かれるような悲しみがある
 
 
だけどそれは
 
その悲しみの深さと同じだけ
 
愛していたからだ
 
 
 
 
死はつらく悲しい
 
でもそれだけではない
 
 
故人を想う暖かさがある
 
悲しみを感じきった先に
 
何かの気づきを与えられることもある
 
 
悲しみだけではなく
 
暖かさを感じられるまで
 
遺された方に寄り添いたい
 
 
これが私が“死”に惹かれる理由
 
看取りに関わりたい理由
 
 
 
病棟勤務を経て思うこと
 
看護師としての病棟勤務
 
最初は業務や技術・知識を覚えることに精一杯で
 
何も疑問は持たなかった
 
そういうものなんだと思ってきた
 
 
徐々に徐々に
 
果たしてこの人は本当にこの処置を望んでいるのか?
 
それを考えるようになってきた
 
 
意識もなくベッドに横たわったまま
 
延命のために点滴をされる
 
胃ろうから栄養を入れられる
 
窒息予防のために吸引をされる
 
この人は本当にこの生き方を望んでいるのか?
 
 
 
 
正解は誰にも分からない
 
本人にしか分からない
 
 
でも本人には意思表示するすべがない
 
決められるのは家族だけ
 
 
本人の意思を確認することはもう叶わない
 
自分だったらどうしたいと思うか
 
想像することしかできない
 
 
入院して何らかの処置を受けるかどうか決めるとき
 
その決定は家族に迫られる
 
パニックになっている暇もない
 
答えは短期間、短時間で出さなくてはならない
 
返事を待っている猶予のない場合もある
 
 
その決定が正しかったのか
 
誰かからマルをもらえることはない
 
自分の中で抱えていくしかない
 
 
自分の最期の過ごし方を
 
自分の望む形に近づけるためにも
 
 
決定を迫られる家族の負担を減らすためにも
 
元気なうちに話し合っておいて
 
損はないなと思うのです
 
 
 
毎瞬を本音で生きていく
 
“死”って特別だけど
 
特別じゃない
 
 
日常を積み重ねていったら
 
その延長線上に必ず来るもの
 
 
死の間際だけを想像して
 
最期をどう過ごしたいか考えても
 
多分具体的には思い浮かばない
 
 
それはとても特別な時間であり
 
同時にそれはただの日常
 
 
私は自分の人生を大切に生きたい
 
 
日常を大切にしていったら
 
結果的に愛しい人生になる
 
 
人生はただの日常の積み重ねだから
 
その日常も
 
今のこの瞬間の積み重ねでしかない
 
 
結局のところ
 
今を大切にできるかどうか
 
 
後先なんて考えるなってことじゃない
 
正解を選択するってことじゃない
 
 
今自分の中に浮かんだ感情を
 
無かったことにしていないか
 
ってことだ
 
 
明るい感情も
 
暗い感情も
 
怒りの感情も
 
楽しい感情も
 
苦しい感情も
 
悲しい感情も
 
喜びの感情も
 
恨みの感情も
 
 
無ければ良かったものなんてない
 
蓋をしなくちゃいけないものもない
 
 
ぶちまけなくてもいい
 
伝えなくてもいい
 
 
ただ
 
自分の中に浮かんできたことを感じる
 
そこに有ることを受け入れる
 
それだけ
 
 
それだけで
 
日常は愛しくなる
 
 
 
 
 
私のしたいこと
 
自分で書いてて
 
くっさいセリフだなぁと恥ずかしくもなるけど(笑)
 
でもホントにそう思うから仕方ない
 
 
そして
 
私が伝えていきたいのは
 
そういうことなんだ
 
 
最期の時間について考えるきっかけを作ること
 
 
悲しみを感じきった先にある暖かさを見つけるまで寄り添うこと
 
 
最期の時間かもしれない今この瞬間を大切にするきっかけを作ること
 
 
今この瞬間を大切にするために浮かんだ感情に蓋をしないこと
 
↑これが怖い人も多いからそれに寄り添うこと
 
 
これが今の私のやりたいこと
 
 
 
 
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました💛
 
 
よければ、もう一つの自己紹介も見てください♫
  ↓ ↓